レヴォリュシオン エリート







[ 9 ]



北州支配クラブ『カテドラル』より運営調停部へ

 ご指摘いただいた事実について、緊急に当人らより聞き取り調査をいたしました結果、一部より、収賄行為を認める旨の回答を得ました。
 その全員が不正行為時『山ノ手』のメンバーであったことを確認しておりますが、現在『カテドラル』の一員であることに変わりはありません。事態を真摯に受け止め、調査の結果に基づいて、厳正な処罰を行ないたいと存じます。
 この件につきましても、『カテドラル』は調停部の判断に全面的に従い、問題の解決を最優先に努力する所存です。何卒よろしくご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。
カテドラル クラブリーダー
マクシム・ソボル



*



「知らないよ! 知らない! 楼蘭、何も悪いことしてないもん!! この、縄、解いて!! 痛いってばあ!」
 冷たい白亜の床の上で、後ろ手に縛られた楼蘭が身悶える。その横にはアベじいが手の先まで蒼白になって、床に跪いていた。
 執務室には急報を受けて久しぶりにメンバーが揃っていた。未来、フースケ、アルカン、何故か同盟主のアンリエット。そして一番奥の城主の椅子に、マクシム・ソボル。
 楼蘭は水に落ちた虫のように、じたばた無罪をわめき続けるが、周囲をうんざりさせるだけだ。
「見苦しい真似はやめなさい、楼蘭。
 あなたのお友達だった人達が皆、自分と同じようにあなたも賄賂を受け取ったと証言してるんです。今更言い逃れは出来ませんよ。
 『山ノ手』の吐いた唾を、我々が被るというわけだ。とんだ大恥です」
 骨の髄まで冷淡なアルカンの声が、室内の空気をますます寒くした。
 ――だから言わないことじゃない。
舌打ちが聞こえてきそうだ。楼蘭の放縦ぶりが目に余っていただけに、同情の空気は薄い。
「…そ、その証言に、間違いはないわけ?」
 宿題を忘れた生徒みたいな挙手をして、フースケがおずおずと尋ねる。特別聞きたかったわけではないが、思わず出たのだ。アルカンはさっと首の角度を変え、ピンで止めるように彼を見た。
「有り得ません。彼女らは過去三ヶ月にも渡って一緒に鉱床で働いていた仲間です。たとえて言えばあなたとフェリックス殿の関係です。これ以上の証言者はありません」
「違うよ! 何言ってんの、あんな奴ら友達でもなんでもないッ!」
「あー。一時は確かにそうだったかもしれないけどさ」
 頼むからもう黙ってくれ、とフースケは心中で念じながら言葉を継ぐ。
「かつての仲間でも、状況が変われば互いに足を引っ張り合うことだってある。特にこのコの場合、…一人だけ、特別待遇を受けたようなものだし、仲間内での妬みなんかもあるんじゃないの」
「そうだ。…それに、二人をこんなところに引きずり出して、どうしようと言うんだ?」
 未来も加勢する。勿論、彼が庇おうとしているのは楼蘭などではない。
『とりあえず、四人だけで話そう。誠、このバカ女と、その二人を一度退出させてくれ。これじゃ太朗があんまりかわいそうだ』
「だめだ」
 マクシムは驚くほど透き通った声で、きっぱりと否定した。そして、昨日のフースケと同様に、はっとなった未来の目を、静かに射る。
「我々は、今まで違反行為に対して厳しい態度で臨んできた。一方で身内の過失はこっそり処理したということになれば、信頼は失われ、我々は正義の皮を被った偽物として、『山ノ手』以上に軽蔑されるぞ。
 それが君達の結論か。馬鹿げている。こういう時には、どうすべきだ。アルカン」
「――はい。本来ならば、身内にこのような誤りが起きることは絶対に避けるべきですが…、起きてしまった以上は、運営から罰せられるよりも先に対象者を懲戒し、免職すべきです。
 そして城主の謝罪の言葉を、直ちに文書にして、人々に公開すべきでしょう」
「…うわあ、役所か、国みてー」
 思わず漏れたフースケの苦笑を、マクシムの鋭い声が切り取った。
「我々の目標は王座ではなかったのか」
「……」
「覚えていたのは、僕だけか」
 沈黙の中で、マクシムは、床のアベじいへと視線を転じる。
「みんな、心積もりが足りなかったようだ。大きな目的を忘れて、目の前の楽しみだけが大事になっていたようだ。
 もう我々は二十人足らずの弱小クラブではない。二州にまたがり、メンバー数も六十人近くになっている。
 志を高く持たねば、当然その中に埋没して終わってしまう。のみならず、中には道を誤るものも出るだろう。――彼のように」
 名すら呼ばれていないのに、床の上でアベじいの細い肩がびくっと跳ねた。下を向いたままのその鼻筋を、汗が滑っていく。
「…お前だって、承認したんじゃないか」
 額を押さえたフースケの暗い声に、マクシムは首を振る。
「彼の罪は判断を誤ったことではない。そのことに途中で気付きながら、止めなかったことだ。情に流されて、女の過去を調査することも、その態度を戒めることもなく、問題が発覚するまで何もしなかったことだ。
 その甘えがこんな最低な状態を招いた。
 ――かわいそうだと? 毒と分かっているものを飲み続けたんだ。太朗が苦しむのは当然だろう。
 彼は適正にやっている全ての官吏に、騎士に、『カテドラル』メンバーや、同盟クラブのメンバーにまで、自分の吐瀉物を吐きかけた。
 本来なら衆人の前で裁きを行なわねばならないところ、アンリエット殿にご臨席頂くことで済ましている。これ以上の譲歩は許さん」
 それは分岐点に立ち、過去に決別を告げる最後の挨拶のように聞こえた。
 フースケも未来も、そして心のどこかで温情を期待していたアベじいも、マクシムが、当初のような、和気あいあいとした活動や関係性を、清算しようとしているのだと気が付いた。
 確かに、彼の言うことは正しいのだ。もはや、『カテドラル』は彼ら四人だけの組織ではないし、ノルの城も秘密の隠れ家ではない。
 意識を変えて、気をつけねば、集団はすぐなあなあになって、利益より弊害の方を多く生むようになる。『山ノ手』のように。或いはコランダム鉱床の、クラブ連合のように。
 アベじいはそのことを忘れて楼蘭に没入した。しかも没入したきり、戻ってこなかった。マクシムは彼の、その意識の低さを責めているのだ。
「太朗」
「……」
 震えながら、アベじいが顔を上げる。歪んだ眉に切り取られた上目遣いの瞳が、絶体絶命の色を浮かべて、マクシムを見ていた。
 彼は未だに、自分独りで歩く自信がないのだ。マクシムは勿論、それを知っていた。いつまでも自分や未来に守っていてもらいたいという、彼の甘い期待を。
「今後も、我々と、一緒にいたいか」
「……」
「ならば、自分の過失は自分で裁け。――」
 マクシムの手が、彼を差し招いた。
「……?」
「来い。剣をつかわす」
『――誠』
 フースケがマクシムに矢のような囁きを飛ばす。マクシムは構わなかった。アベじいの膝が、伸びる。
 彼は震えながらも、存外真っ直ぐ座の前に進み出た。するとマクシムがおもむろに帯剣を抜いて、彼に差し出す。
 これには未来もフースケも驚いた。マクシムの帯剣はすなわち、『城主の剣』だ。
 それは特殊な効力を持つ霊剣で、一州に一振りしかなく、当然他人には譲渡出来ないと思われていた。
「――僕の刃を太朗、お前に貸してやる…。
 僕らと共に、先へ進む気があるのなら、『委譲受諾』のボタンを押して受け取りたまえ」
 どうやらアベじいには、委譲のウィンドウが表示されている様子だ。
 細い目を見開いて一瞬動きを止めていた彼だが、やがて長衣のすそから手を出し、その柄を、ぎゅっと握った。
 『城主の剣』は貸与可能なのか…! フースケはその事実と、一体その剣がこれから何に使われるのかという予感に打たれて、ぞっとした。
「分かるか」
 マクシムが言う。
「自分自身の手で、楼蘭を処刑したまえ」
「――おい…っ!!」
 未来が気色ばんで一歩前へ出ようとしたが、アルカンが左肩を差して止める。
「我々は変わらなければならない。そうだろう、未来!」
 マクシムは未来に言ったが、その声は寧ろ目の前のアベじいの体を斜めに打った。
「変わらなければ、強くならなければ、キングには勝てない。レヴォリュシオン・エリートにはなれない。永遠に、この州どまりだ。
 甘い気持ちは今日限り棄てろ! 僕はとっくに棄ててる!!」
 未来は彼の勢いに気圧されて口をつぐんだ。フースケが知る限り、初めてのことだ。
 アベじいは間の抜けた猫背で、真っ白な顔をして、なんだかただ一人関係のない人間のように立っていた。
 しかしやがて、よろめくように城主に背を向けると、ふらふらと、もと来た道を、戻り始める。
「――アベちゃん…!!」
 目と目が合った時、楼蘭が叫んだ。
「あたし、何も知らないよ! 本当に知らないよ! 信じてよ…!
 あいつらに言ってよ! あたしがそんなことをするわけないって! あたししてない! してない! してないんだったら!」
「……」
 知らぬ間に口が開いていたフースケの頭の中に、彼女の金切り声が反響した。自分でさえこうなのだ。彼ならば頭の中がもっともっといっぱいで、眼窩から溢れ出しそうなくらいのはずだ。
「言ってよ! 言ってよ! あたしの言うこと聞いてよ! あんたパシリじゃないんでしょ?! 一人前の男なんでしょ?!
 それだったら、庇ってよ! あたしのほうを信じてよ! バカ! バカ!
 ――やっぱりダメなんだ。あの人たちに守ってもらわないと生きてけないんだ。やっぱあんた負け犬だよ!! 負け犬! バカ!! 死んじゃえ! ――負けい…!」
 楼蘭は尚も自由な二本の足を動かして逃げようとする。しかし、縄と術でがっちりと結ばれた腕が使えず、立ち上がることが出来ない。
 逆にアベじいの足は、坂道を転がり始めたボールのように、少しずつ加速していった。その顔は、確かに勝った人間のそれではない。
 遂に彼は女の足元に追いつくと、マクシムに与えられた鋭い剣を、獣じみた叫びを上げて振りかぶった。
「おあああっ――!!」
「きゃあああっ!!」
 次の瞬間、奇妙に崩れたような、肉のすねたような、なんとも気の抜けた音が、ノルの高い天井に跳ね返った。



「ぎゃあああああっ!! いやあああああああ!! ぎゃああああーーっ!!」
 大声で叫びながら、楼蘭が逃げていった。振り下ろした弾みに転んだアベじいの剣が当たったわけでもないだろうに、突然縄の解けた両手を振り回しながら。
 千年の恋も冷める声だった。かわいらしさも影もない。殺されると思っているのだから、無理もないが。
「――あれが本性だ」
 額に細い皺を寄せたマクシムは、不快そうにそう吐き棄てると、椅子から立った。
 床にうずくまって震えているアベじいに近寄ると、黙ってその手から剣をもぎ取り、戻ってきてフースケに押し付けた。
 委譲ウィンドウが確かに出る。ほとんど条件反射で、フースケはそれを受け取った。
 マクシムは探るような目でフースケを見つめた。その瞳が、彼に、分かったか。と言う。
 だらしない関係のたどり着く先がこの始末だ。自分はそんなもの、信頼しない。
 それからふいと視線を外すと、
「手はずどおりに」
「はい」
 アルカンが頭を下げる前を、アンリエットを伴って退場していく。
「どういうことだ?! 衛兵も下げたな?! なぜ逃がした?」
 未来がアルカンに食って掛かる。アルカンは、嘲るような皮肉な目をした。術を発して楼蘭の縄を切ったのは、彼である。
「お前らのやることは分からん!」
「そうですか? フースケさんも、そうですか?」
 すうすうと冷気が上へ這い登ってくるような感じのする、得体の知れぬ剣を手にしたまま、フースケはいやな気持ちで立っていた。
「…――逃げる彼女が、我々を、彼女の古巣に導いてくれるというわけか」
「そうです。フースケさんは、鉱床のクラブ連合の本拠地に、常時見張りを放ってますよね。彼女が駆け込んだら――その時が」
 攻撃のし時だ。城の指名手配犯を匿ったのだから。
 命令。我がカテドラルの名誉に泥を塗りつけた鉱床のクラブ連合を『城主の剣』で、成敗せよ。




「――年の瀬に、殺生が舞い込みましたね」
 馬の鐙に片足をかけたフェリックスが、よいしょと体を馬上に蹴り上げる。
「殺生納めだ」
 既に二十ばかりの騎士達が、準備を整え、出発の号令を待っていた。風が吹くと馬の足元から砂埃が上がる。騎士達は皆、布で口元を隠していて、鎧の紋章がなければ山賊と見分けがつかなかった。
 全員が普段とは比べ物にならぬほど、しっかりと身の回りを固めていた。移動速度を犠牲にして強力な鎧を負い、馬にも多量の備品をぶら下げている。
 詰所の前を通る人々は、不穏な気配を察知したかのように、恐怖のこもった眼差しを彼らに注いで、そそくさと家に逃げ帰った。
 風の中にうずくまる、鉱床の街コッレ。ノルのあの壮麗な城とは異なる基準で、運営されてきた街。
 フースケは、たった一月しかここに暮らしていないが、もうこの荒れた土地が好きになり始めていた。その土を踏んで今、街の大きな過去を、切り払おうとしている。
 夢と、誓いのために。
 一度まぶたを閉じて俯いた。それから口元に指を差し入れて布をひき下ろすと、騎士らに向かって叫ぶ。
「敵位置は]1403 Y1843!
 決戦である! 相手は諸兄も良く知るクラブ連合の面々であり、城主マクシムは、二度と、連中の顔は見たくないと仰っている…。
 諸兄もまた同感であろう。この戦いで彼らとの因縁を全て決着させる――出発!」
 爆発でも起きたかのような土煙を上げて、駒は一斉に街の外へと駆け出した。
 その影は遠い山並みに沈んでいく赤い夕日を迎え撃つかのように、次々と西の果てへと墜落していく。




「…分からん。どうして誠は、こんな真似をする?」
 城の一室にはアルカンと未来が残っていた。アベじいはとっくに接続を切った。気を鎮めるために出された葡萄酒の瓶は、二人ともが飲んで、ちょうど半分のところで止まっていた。
 木が斜めに交差する格子窓の向こうには、薄く染まった西の空が見えた。
「太朗が復活してくるかどうか、分からんぞ…」
「おやめになるのは自由ですよ」
「貴様…!」
 未来はカッとして、テーブル越しに彼の襟首を鷲づかみにした。腕が当たってよろめいた瓶を、当のアルカンの手が受け止める。
「俺の仲間を侮辱するな! 疫病神め」
「…なんですって?」
「お前が来てから、カテドラルにはろくなことが起きない! 俺は初めからお前が気に食わなかったんだ。やはりあの時、殺しておくべきだった…!」
「…これはどうも」
 アルカンは蔑んだような笑みを浮かべると、意外なほどの力で、未来の手を引き剥がした。
「僕に当たるのも結構ですが、…少しは城主様のお気持ちも考えられてはいかがです?」
「なんだと? お前に何が分かる!」
「ほら、それです。――あなた方は、付き合いの長さに油断して――甘えてますよ。あなた方がどれだけ城主様の負担になっているか、分かってないんだ」
「な、なんだと…?」
「仰っていたではありませんか、あなた方には心積もりが足りないんだと。あなた方は城主様を褒めるでしょう。だが、その真似はしない。あなた方は城主様をありがたく思うでしょう。だが、彼があなた方をありがたく思う回数はどれくらいです?
 いい加減、目を覚ました方がいいですよ…。あなた方は皆、彼を貪っていたんだ。彼の才能と善良さを貪っていた。彼がどれくらい我慢していたか、見当がつきますか。
 頓珍漢に人を責める前に、少しくらい自分の胸に手を当て、考えて御覧なさい!」




 太陽の姿がなくなると同時、風が出てきた。椅子の二つ並んだバルコニーは涼しかった。
 細い月が出て、清潔な暗い夜だ。城下には細やかな黄色い灯りが揺れて、蛍虫の集う水辺のようだった。
 椅子の一方に腰掛けたアンリエットの声が、梢のこすれあう葉音に紛れた。
「…少し、お気の毒だったのではありません? 勿論、あなたの仰ったことは、もっともでしたけど…。
 彼は、恋をしていたのですわ」
「……」
 マクシムは答えないまま、南に黒々と横たわる遠い山陰を見つめていた。
「…何をご覧になっていますの。フースケさんたちが、気になります?」
「いえ…、――シテを」
 アンリエットは寂しげに微笑んだ。
「いつも、それだけを見つめてらっしゃいますのね」
「当然のことです…。――彼は…」
マクシムは目を細くする。
「恋をしていたのではありません。
 彼には自分が人並みでないというコンプレックスがあるんですよ。昔からです。だから、今回も人からバカにされたくないという一心で、無理やり恋人を作ろうとしたのです。
 勿論、女の方だって、それを利用したんです。抜け目なく、甘えかかって」
 もう一度どこかでお会い出来ませんか。そう尋ねようとしていたアンリエットの言葉は、吐き出される前に夜に消え入った。
 代わりに、組んだ膝の上に両手を重ねて、彼女は尋ねる。
「マクシム。あなたのお役に立ちたいわ。…どのようにしたらいいですか」
「――もしそれが、僕により尊敬されたいのだという意味でしたら…、何よりもまず、嫉妬をやめてください」
「……」
 彼女は目を見開いて、隣のマクシムを見つめた。頬に上った血の気が、予想外に図星を指されたことを表していた。
「…わたくし…、そんなに…」
「いいえ。ほとんどの人間は気付かないでしょう。しかし、こういうことは、一人が気づけは充分ではないでしょうか。
 例えばフースケのような勘の鋭い人間は、どこにでもいるものです」
 アンリエットは、マクシムの本当の声を知っていたから、直接言われているような気がして、冷静さを保つのに苦労した。
「…もし僕がお好きなら、どうか僕を好きでない振りをしてください。
 ご自身の感情を克服して毅然と振舞ってください。そうですね、アルカンのように――。
 僕は孤独にも耐えうるあなたを、心から尊敬致しましょう」
 女は闇の中で笑った。
「残虐な方」
 マクシムは一瞬、子ども時代に引き戻されたような気がした。
「…下らない事をお尋ねしますわ、マクシム。お怒りにならないで。
 あなたは、昔からそうですの? それとも…女には、いつもそう振舞われるの?」
 マクシムは当惑したように、言う。
「僕は『残虐』ですか? …そうでしょうか?
 僕はただ、本心をお話しているだけです。あなたなら分かってくださると思えばこそ、本心をお話申し上げているのですが…。
 僕は、誰もが他人を頼りにせず、自分の足で立つべきだと思っているだけです。少なくとも、今のようにしなだれ合ったままでは、一人前の大人とすらいえません。
 僕は、未来にも、太朗にも、…誰にも皆――そろそろ自分の頭で考えて…そうですね…、厳しさを、悟ってもらいたいだけなのです。
 アンリエット。僕の言うことは…、間違っていますか?」
「…いいえ…」
 アンリエットは首を振ると、悲しそうに笑った。
「あなたは正しいわ」





 クラブ連合との戦いは日没と同時に始まり、星がいくら瞬いても終わらなかった。
 口腔に刺さりそうなほど鋭角の月が、上天から冷たく谷間の殺戮を見つめていた。
 集落の規模は中程度。人数はざっと目算で三〇名程度だった。
 住処を襲われた連合側の抵抗は激しく、城の攻略戦にも劣らぬ苛烈な衝突が既に二時間近く続いている。
 フースケは、今までサボタージュしていた償いのように、先頭で闘わなければならなかった。
 『城主の剣』は特別な効果を持つ霊剣であり、この剣で止めを刺されるとレベルが減退し、向こう二十四時間のアクセスが不可能になる。しかも、どの武器にも必ずある耐久値の記載がない。切っても切っても刃こぼれひとつしない、とんでもない武器に見えた。
 こんなものを手渡した以上、マクシムの望みは明らかだ。
逃がすな、一人も。
 フースケは、仲間を汚名から庇うように休み無く剣を振るった。部下の中には、彼が武功を焦っていると勘違いした者もあるほどだった。
 どこかで見覚えのある男を刺した。街の酒場でカードをしていた女も殺した。見たことのない顔の方が珍しいくらいだ。馬面の死体はうっかり踏んだ。
 レベルも男女も、感傷ももはや関係ない。潰すのだから。長い年月、この鉱床に居座り続けてきた彼等を、クラブごと、今日遂に滅ぼすのだから。
「――…あんたは…!!」
 びし、と振り下ろした剣を受け止めた男が、驚いたような声を上げた。
 額から落ちかかる血を気にしながら目を凝らすと、自分の下にいるのは、あの小男だ。
 詰所で馴れ馴れしく笑って「この人たちだって話せば分かる」とのたまい、フースケの説明に出直すと引き下がったあの。
「…くそ、どうしてこんな…!」
 刀身がこすれあって歯軋りのような音を立てる。フースケは何も言わなかった。男の剣が刃こぼれして落ちていくのを見ていた。
「退いてくれ! 全員が全員主戦派じゃない! 手の汚れていないものもいる!」
 小男が言った。言いながら懸命に剣を押し返してくる。――もう遅い。踏ん張りながらフースケは思う。どうして連中を止めてくれなかった。
 いや、そうじゃない。フースケには分かっていた。
 あれがここでのやり方なのだ。ナメられないよう幾度か発破をかけておいて、互いに出来るだけ対等な状態で話し合いに持ち込む。
 しかしそんな慣例は、マクシムには、通用しなかった。
 二人は幾度か打ち合った後、一旦身を引いた。フースケの刃が迷っていた。そこに望みを見た彼がまた、何か言おうとしたその時、男の背後に長刀を持った騎士が滑り込んで、狭い背を薙いだ。
 小男の口から血が溢れ出す。
倒れた男に止めを刺すため、他二名が殺到し、フースケにはもう、彼の姿が見えなくなった。
『…誠…』
 ――もう、大分なはずだ。フースケは疲れて、ぜいぜい言いながら、両膝に手を着いた。
『…誠!』
 しかし彼からの返事はない。まだ許してはくれないのか。
 変わらなければ。強くならなければ。
エリートにはなれない。
 逆さまになった脳内に、その言葉だけが血に乗って渦を巻いた。
 フェリックスの囁きが飛び込んできた。
『フースケ君。無事ですか! 今、どこです?!』
『…えーと…、…東端です…。岩肌の、近くです…』
『全く君という人は、全然返事をしないんだから…!
 ほぼ制圧しました。一旦合流しましょう。動かないで下さい!』
 手勢を率いてやってきた後衛のフェリックスは、フースケを見つけて思わず絶句した。夥しい量の返り血を浴びた上に砂埃が付着し、全身がどろどろになっている。
 しかも『城主の剣』だけは何もしていないかのように無垢なままぼうと発光して、血塗れた手の中で傷んでも、汚れてもいないのだ。
「…楼蘭…、いましたか…」
 フースケは差し出された布で顔の汗を拭いながら言った。固まった血でカチカチになった前髪が、変に踊る。
「いえ、引き続き探索中です…。しかしフースケ君。彼女は私が切りますよ。
 いかに問題のあるユーザーだったとは言っても、アベ君の彼女だったのでしょう。それを君が殺すなんて…」
「いや、フェリックス…。多分、それでは駄目なんでしょう…」
「え?」
 北の城には、城主様と天使様が住んでおり、天使様には、翼がある。
 マクシムは彼を介して見ているはずなのだ。フースケが態度を改めたか。つまらない感傷を棄てたか。エリートに相応しいのか。
 君主に服従する、意志があるか。
「――…」
「フースケ君?」
「あ、え?」
 目の前で振られたフェリックスの手に、フースケが我に返ったその時、
「――楼蘭だ!」
という声が、背面で上がった。
 弾かれたように、フースケは走り出した。止める間もなかった。
「フースケ君…!」
 一瞬前まで彼が立っていた闇に、フェリックスの声が虚しく響く。



 どこに隠れていたのか、追われた楼蘭が建物の影から飛び出してきた。フースケが進路に飛び込むと、ビクッとして行く先を変え、全く無策に、山を登り始める。
 無駄だ。岩山はあちこち行き止まりになっていて、たやすく追い込まれてしまう。だがもう彼女にしてみれば、他に逃げようがないのかもしれない。
 フースケは容赦なく彼女を追った。ほどなく袋小路の先にへたり込んだ楼蘭の前に、剣を持って、立つ。
 二人のちょうど真ん中、遥か頭上で、月が笑っていた。
 楼蘭は静かだった。両手両足を放り出して座り込み、フースケを見つめて喘いだまま、もはや泣きもわめきもしない。
 らしくなかった。
 恐怖がその無邪気を根こそぎにして、彼女はまるで沈んで、諦めきった、まさに死ぬ直前の女になっていたのだ。
 フースケは、どこかで、こういう女を見たことがあった。
 どこかで?
……どこで?



馬鹿だなあ……忘れたのか?
暗い病室の中にひとり悲しげに横たわるのは、
母さんだよ。



 がくんと膝が滑った。山道の傾斜を堪え切れず、よろめいた挙句、尻もちをつく。
 落ちた途端、無理やりに押さえつけて働かせていた全身の機能が、もうだめだと一斉に離反を始めた。
 フースケは悶えた。
 ――ああ。
 楼蘭が驚いたように顔を上げる。
 ――だめだ。
 天を仰いで彼は告白した。
 ――だめだ!
 俺は彼とは、行けない!
『やめる』
 その短い囁きに、仕事をしていたマクシムはぴくりと筆を止めた。






 フェリックスは、フースケが楼蘭の手を引いて戻ってきたのを見て、何かよくないことが起きたのを知った。
 フースケは『城主の剣』だけを彼に託すと、生気なく笑って何も言わず、闇の中へと歩き出す。
 部下達は動揺して背中で騒いだ。幾人かが剣を抜いて彼等を追おうとするのを、フェリックスは片手を上げ、制止した。



 フースケと楼蘭は以来、行方をくらました。
クラブ『カテドラル』は収賄を認めたメンバーと共に二人の除名を決定し、彼らは、お尋ね者となった。




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