レヴォリュシオン エリート









「フースケ君」
 乱れたほこりっぽい髪に、前をはだけた綿シャツ一枚といういでたちで現れたフェリックスを見て、フースケはハンモックの中で笑った。
「やー、フェリックス。あなたも随分汚れてここいらの雰囲気に馴染んで来ましたね。前はお上品な若貴族か教師みたいだったのに」
「どさくさにまぎれて好きなことを言わないで下さい…。野外で太陽に焼かれながら、乾燥した風に何時間も吹かれる生活を続けたら誰だってこうなりますよ。部下達もみんな日焼けして貴族どころかプロレタリアだ。
 それはそうと、ずっとマークしてた連中が現れたと通報があったそうですが?」
「ええはい。【サクラ】やあなたのところの若い人達をやりました」
 と、フースケは手の甲で眉をこする。
「逮捕してきてくれますよ」
「あなたは行かないのですか」
「ぐうぐう…」
「…最近。どうかしましたか?」
「はい?」
「熱心ではないですね。職務に」
「やあ、クリスマスボケですよ。親父と二日間ぶっ通しで酒盛りしてたもんで」
「……」
 沈黙に気付いたフースケは、寝そべったままぐるんと眼を上向かせて、愛嬌に笑った。
「俺はもともとこういう人間ですよ、フェリックス。
 地が出てきただけです。気にしないで下さい」
 フェリックスは、相変わらず丸い眼鏡をかけていた。砂っぽいこの地域ではレンズが汚れ手間がかかるのだが、これだけは譲ろうとしない。
「…フースケ君。何かあるなら相談して下さい。私は少なくとも、君の同僚ですよ」
「……」
 開いた窓の向こうに鳥が鳴いていた。目を閉じると赤黒い闇がある。血液がザーザーと掠れた音を立てながら、落下していった。
「ありがとう」






[ 8 ] 灼熱


 クリスマスが終わって一年の最週末が迫る頃には、北州は初期の混乱を解消しつつあった。
 城の修復・強化も完了する。また入城以来精力を傾けてきた治安維持活動の成果が出て、評価レベルも初期標準からやや上方に修正され、それに伴って税収も増加していた。
 ちょうどいい時期に休戦期間が重なったことはあるが、それにしても前が前であっただけに城主の政治手腕は四方にとどろく。
 コランダム鉱床付近の治安も、部隊が在留する以前に比べれば格段によくなっていた。BOTは駆除され、低レベルユーザーも安心して鉱床で仕事出来るようになり、人口が増えて個人露店の数も倍近くになっている。
 だがこういった変化は、同時に旧体制に馴染んで身を保っていた者達の反発を招くことにもなった。
 利益を独占しようとする者にとっては、鉱床は危険で初心者にはうっかり近づけない秘境である方が都合がいい。ブルー・サファイヤの出口が限られていればこそ、価格も売り手側が自由に操作できるのだ。
 証拠こそ揃っていないが、彼らはBOTやPKプレイヤーを保護し且つ連携し、同盟外のユーザーを締め出していた形跡さえあった。
 当然彼らは城側の取り締まり活動をさしでがましく感じ、苛立ちを募らせていく。
 フースケとフェリックスが冒頭のような会話を交わしたその日、指名手配されていた一人の高レベルユーザーがお縄にかかった。
 『生身好き』と揶揄されるPK常習者である。逮捕する際にも五、六名の死者を出した大捕り物だったのだが、ようやく彼を拘束し、その行状について運営に調査依頼した途端、地元のクラブ連合からクレームがついた。
 その男についてはよく知っている。古馴染みで、彼が違反行為をするはずがない。拘束の根拠を説明しろというのである。



「……」
 地域名物、薄荷水を置いたテーブルを挟んで、彼らとフースケらは向かい合っていた。
 詰め所に押し掛けて来たのはどれもベテランらしき貫禄のユーザーで、決して友好的な雰囲気とは言えない。
 初対面ではなかった。あの刺激に満ちた赴任当日、フェリックスににぎにぎを握らせようとした連中に混じっていた顔である。
 椅子の端に座ったフェリックスの女性副官が、覇気のない声で彼らの質問に答えた。
 その手は不安げで、胸の前の書類なんかより、自分の帯剣の柄をしっかり握っていたいという感じだ。
「…ひ、被疑者には一般ユーザーから、数多くの苦情が寄せられています。採掘場でのPK行為が主な内容で、苦情の総数は五〇件に達します。当局としては、これを取締らざるを得ません」
 中央に座った馬面の男がいやらしく笑った。
「そりゃね、あんたらは取締りがお仕事なんでしょうから? 大いにやって、点数を稼いで下さったらいいですよ。
 でも、あなた方は今回、彼のことを運営に通報したそうじゃないですか。それはちょっと、やりすぎじゃあないですかね?」
 フースケは、手を持ち上げてこしこしと頭の後ろを掻いた。ヤクザの相手って、こんな感じかしら。
「…誰から、その話をお聞きに? こちらからは何も発表していないはずですが」
 フェリックスが口を挟むと、相手はその眼鏡が憎いとでもいうように彼を睨む。
「――誰だっていいでしょ、んなことは。
 PKは規則で認められてる行為ですよ? 地域の統治者に逮捕されるのはしょうがないが、何故運営に通報するんですか。いやがらせだ。取り下げてください」
「…正しく申し上げましょう、通報したわけではなく、調査依頼を行なっただけです。
 ユーザーからの告発によれば、彼の行動には奇妙な傾向が見られました。採掘場に現れると、何故かBOTらしい者には目もくれず、生身の人間だけを標的にする――。それゆえ、『生身好き』などとあだ名されました。
 彼が現れると付近にBOTしかいなくなるので『守護神』などとも言われた。…こういった行動が事実かどうか、記録の照合を依頼したのです」
「馬鹿らしい。そんなのは中傷ですよ。彼に殺された弱虫が腹いせにフいてるんだ」
「かもしれません。そうであれば、じき運営からは咎なしと報告が降りてくることでしょう。何故――」
 フェリックスは咳払いをする。
「皆様がそこまで必死になって彼を庇うのか、正直理解しかねますね」
「なんだよその言い方は。…こっちは無理して丁寧に話してやってんだ。ナメんじゃねえぞ、ああ?!」
「……」
 馬面は、萎縮する女性副官、フェリックスの眼鏡からはみ出した眉、そして眠たそうにしているフースケの顔を、順に睨みつけていった。
 と、横に座っていた小柄な男が場違いなほど軽い口調で彼を止める。
「まあまあ、兄さん。そんな言い方はないでしょう。皆さんが辟易してらっしゃいますよ」
「…なんだよ。邪魔すんな」
「邪魔してんのはあんたですよ。そんな喧嘩腰じゃ収まるものも収まらない――。この人達だって、話せば分かる人達だと思いますよ」
 仲間が黙りこむと、男はいきなり細い目をにっこり山型にして、馴れ馴れしく身を乗り出してきた。
「ねえ騎士の皆さん。今までは互いに黙って、ただただ対立してきましたが、そろそろ我々も、まともな話し合いをしてみてもいい時期じゃないですかねえ。
 我々、お城の動向を探っていたんですが、オタクさんはどうも一月や二月でいなくなるようなクラブじゃなさそうですし、勿論我々も、馴染んだ土地を動くつもりはありません。
 同じ地域に生きる者同士、いい加減、まあまあの関係を築こうじゃありませんか」
 未来の親父さんみたいなのが出てきたな、とフースケは笑った。育ちのいいフェリックスが隣で面食らっているのも愉快だ。
「…『生身』氏は、あんたんとこのメンバーじゃないでしょう?」
 間を救うようにくだけた口調で返すと、小男は手応えを得て、体の向きを変えた。
「勿論違いますよ。彼は一匹狼だ。でも付き合いの長い商売仲間なんです。
 今まで持ちつ持たれつ、互いに苦労しながらやってきました。我々としては何とか彼を助けてやりたいと思いますし、彼がいなくなるとさびしいんですよ。
 …我々の気持ちも、分かっていただけませんかねえ? 
 世界が始まって以来、この鉱床を維持してきたのは僕らですよ。僕らは僕らなりのやり方で、八方うまく収まるようにちゃんとここを管理してきたんです。
 それなのに城の連中はいつも『従え』と命令するばかり。特にあなた方は、城から持ってきた堅い定規で上からポコポコ叩いて回っては、従来の約束事をブチ壊していかれる。
 我々は、あなた方が来て以来、失ってばかりなんです」
「…そうだ。色々台無しなんだよ!」
 小男は仲間をなだめると、笑いながら、抜け目なくフースケの反応をうかがった。
 顔に同情の皺が寄りはしないか。私欲の影がちらつきはしないか。
「人は殴られればより反抗的になります。規制を強めれば地下へ潜るだけです。
 あなた方だって既に取り締りに苦労してらっしゃるでしょ。しかも我々の怒りが募りに募れば、…何が起きるかは、周知の通り」
 それが支配される側の切り札だ。初手から『革命』の二字を、タイトルに負う世界である。
「ここらでなにか一つくらいご厚情を下さったなら、我々の扱いも今後、少し楽になりますよ。それは僕が、保証します」
 フースケは笑いながら顎を引いたが、つと左手を掲げ、尚も押そうとする男の発言を押しとどめた。
「…俺達はこの地域が開かれて、正しく発展していくことを望んでるよ。
 あんたらも同じ事を考えてるなら…、話し合いの余地はあるんじゃないかな。そのことはしっかり覚えておきましょう」
『…フースケ君』
 フェリックスの方を見ないで続ける。
「でも『生身』氏の過去については…、話し合うことは何もないでしょ。
 彼の罪状を決めるのはデータと運営で、こちらの一存ではない。歩み寄りの意志は嬉しいが…、ちょっと材料が、悪すぎやしませんか」
「――…」
 小男は、しばし無言でフースケを見つめていたが、やがて
「なるほど。出直しましょう」
と立った。
「な、なに言ってんだよ、お前!」
 逆上する馬面と、戸惑っているもう一人を置いて、さっさと出口へ向かう。
「黙れ。帰るぞ」
「ふ、ふざけんな、コラア!」
 馬面が机を蹴り上げた。グラスが浮き上がり、辺りにミントの香りを振り撒きながら床へ落ちる。
 的外れな行為だった。城側は勿論、小男までが非難がましい表情で彼を振り返る。
 どうやら彼には、二人の会話がうまく理解できなかったらしい。小男の部下と言うわけでもなさそうだ。
「さっさと通報を取り下げろ! あいつを自由にしろって言ってんだよ! 俺は諦めねえぞ!」
「馬鹿野郎。さっさと来い」
 残り二人が男を引っ張るが、男は抵抗した。顔を真っ赤にし、金魚みたいに目を飛び出させて人差し指を突きつけてくる。
「あいつは仲間なんだ、絶対許さねえ!
 ――通報を取り下げないなら、こっちだって運営に訴えてやるからな! お前らの身だって潔白じゃないんだ!」
 城側の三人は目を丸くした。
「お前らのやたら正しい城主様にも、それを崇拝する馬鹿どもにも教えてやる。いくら格好をつけて見せても、お前らも所詮は俺らと同じ程度の人間なんだ! つつけばいくらでもボロが出るんだってことをな!」
 ほとんど力技で、男は外へ引きずって行かれた。それでも入り口の方でがしっと柱が鳴った挙句、最後の怒号が響く。
「待っていやがれ!!」




「…頭の悪い人だなあ」
 フースケが、床のグラスを拾い上げて呟く。
「仁義には厚そうだけど」
 フェリックスは前屈みになって眉をひそめ、心行くまでげんなりしていた。良識派の彼は、いかにもああいうものが苦手そうだ。
「来るものが遂に来たという感じですね…。まあ最初の賄賂をはねつけた日から、いつかはこういうことが起きるだろうと思ってましたが…。
 ――さあ、もう泣かないで。モップを持っておいで」
 副官は横でめそめそしていたが、励まされて鼻をすすりながら、奥へと入っていった。
「…にしてもフースケ君、勝手にあんなことを言って大丈夫ですか」
「ん?」
「場合によっては話し合いに応じるという含みを持たしたでしょう。あれは、城の方針ではないですよ」
「んー…。連中が言ってたじゃないですか。『この地域を管理してきたのは自分たちだ』。今は『失ってばかりだ』って。
 俺はまあ、それはそうだろうなと思うんですよね…。フェリさんには、そういう気持ち、ないっすか」
「……」
 フェリックスは答えられなかった。代わりにため息を吐いて、複雑な心情を吐露する。
「やれやれ…。実際僕もここに勤めて以来、少々俗世に染まり始めてますよ…。
 しかしあの男、妙な事を言ってましたね」
「ああ、はい」
 それは彼も気になっていた。
「ここにきて一月…。メンバーの誰かが不正を行なったとでも言いたいんでしょうか」
「……」
 頭の悪い人間の八つ当たりかもしれないし、思い当たる節もない。だがあんな言い方をされると、さすがに愉快ではなかった。
 新北州は、旧北州の過失の手前、何よりもルール遵守を掲げてこの一月を邁進してきた。
 各人が必死になっているこの時に、自分たちの部署から失火するようなことがあっては、他のメンバーに顔向けが出来ない。
 フースケらは薄気味の悪い思いを抱いたものの、部下達にはそれを話さず、通常どおり取締り活動を続けた。勿論、調査依頼も取り下げなかった。
 暮れも迫った二八日、夜。
フースケは城からの呼び出しを受けた。



*



「あー、疲れた! もう休憩する!」
 【楼蘭】は羽根ペンを放り出すと、書記官室の天井に向かってあけすけに吠えた。
「お茶が飲みたいなあーっ……」
 斜め前に座るアベじいが、いつまでたっても反応しないので、『落ちて』いるのかと目を向ける。
 いや、彼はちゃんといた。顔も上げず黙々と、書類仕事を片付けている。
「お茶が、飲みたいなーっと」
 楼蘭はもう一度言ったが、アベじいはやはり無視した。
「ねーっ?」
 とうとう彼は紙をめくりながら、
「…欲しいなら、楼蘭が自分で用意しておいでよ。…僕だって、忙しいんだから」
 少女は唇を尖らし、すねたような声を出す。
「なに、その言い方。感じ悪っ。…いいもん。面倒だから飴玉で済ます」
 下げた小袋からまん丸の飴を取り出して口にぽいと放り込んだ。かわいらしく膨らんだ頬をちょっとだけ盗み見ると、アベじいはため息をついて仕事を続ける。
 楼蘭はしばらく彼の反応をうかがっていたが、やがて椅子の上に長い両足を引き寄せ、腕で抱えた。
「なに怒ってんのー? アベちゃんてば」
「……」
「クリスマスのことまだ根に持ってんの? しょーがないじゃん。リアル友達とも、仲良くしておかなくちゃいけないしさ」
 楼蘭はオフでの約束があるからと、二三日のイベントはまるまる欠席したのだ。以来、アベじいの態度が目に見えてよろしくない。
「まだ疑ってんの? 女の子だっていってんじゃん。アベちゃんにだって同性の友達くらいいるでしょ?」
「…クリスマスのことは別に構わないよ。オンラインゲームなんだから、都合の悪い時だってあるさ」
「じゃ、何怒ってんの?」
「…あんまり楼蘭がわがまますぎるんで、着いていけなくなってるだけだよ」
「あたし? なあに? あたし、わがままなんか言ってないじゃん」
 さすがに、この一言にはアベじいの頭の中で弾けるものがあった。
「――…どこがだよ…?!」
 笑ったつもりだったのに、力任せに押された紙が破け、ペン先が潰れる。自分が馬鹿になったような気がした。
「人を顎で使う…。仕事をサボって僕に押し付ける。約束を平気で破る。気分によって言うことをコロコロ変える。
 …これがもし、わがままじゃないなら、まさか当たり前ってことか…? 僕は、君の召使いか?!」
 楼蘭は日光がまぶしい白人さんのような顔をし、口を縦に開いた。
「なあんで怒るのー?! ずるいよー! アベちゃん楼蘭のこと好きなんでしょ? だったらそれくらいしてくれたっていいじゃーん!
 カノジョとして扱ってもくれないくせに、勝手に一人でプリプリ怒んないでよねー!
 アベちゃんいつもマクシムさんとか未来さんにはぺこぺこしてさー。あの人たちの言うことは何でも聞くパシリじゃん。
 なのになあんで楼蘭のお願いは文句言って聞いてくれないわけーえ?」
 アベじいの頬に、さっと血の気が上った。
「――僕は…パシリじゃない!」
 楼蘭は笑う。彼女はかわいらしい唇をしていたが、そこから流れる言葉は毒のようだった。
「何言ってんのお? まんまパシリじゃん。アベちゃん、あの人達の前じゃすっごい萎縮してるくせにー。それどころか最近は後輩のアルカンさんにも頭上がんないでしょ?
 素直に認めた方がいいよ。自分が負け犬ってことくらいさー」
 楼蘭がケタケタと笑ったその瞬間、アベじいは両手を振り上げ、力いっぱい、リアルでもしたことがないほどの勢いで、机を殴った。
 バ ン!
「……」
 息を呑む楼蘭とアベじいの間を、書類がひらひらと舞い落ちていった。
「――出て行け…」
「えっ?」
「出てけよ! 犬なんかに用はないだろ!」
 口を開けている彼女に吐き棄てると、さっき穴を開けた紙を取り上げ、やたらに丸めて傍らの床にびしりと叩きつける。
 紙のボールは跳ね返った挙句に、椅子の後ろを転々として止まった。
 アベじいはどすんと腰を下ろすと、顔の青白さを隠すように、両手で覆いをかけた。
「や、――やだ、そんなマジになんないでよ…」
 楼蘭は、気圧されたように足を解くと、立ち上がって彼に近寄っていった。忘れていたやかんに触れようとする時のように、おっかなびっくりで出された手を、怒りに任せた手がはたき返す。
「ご、ごめん…!」
 楼蘭は慌てて、泣きそうな声を出した。
「ごめん…。言い過ぎた…。ごめんね、アベちゃん。
 アベちゃんがあんまり優しいから、あたし、いい気になってたかも…」
「……」
「ごめん。お願い、出てけなんて言わないで。アベちゃん、許して…」
 背後から、二本の腕がアベじいの細い体にすがりついた。小さな額が背の中央に、押し付けられる。
「ごめん。アベちゃん。ごめんねえ…」
 重いが、奇妙に心地よい拘束の中で、彼はかなり躊躇した挙句、ため息を吐いた。
 怒りの代わりに、大人げなく激した自分に対する恥が湧いてきて、緊張が一気に萎える。
「…もう…、いいよ」
 背中でわしわしと彼女の頭が振られた。
「よくないよ。ごめん…。本当に楼蘭バカでごめん…! もっと気をつけるから…、嫌いにならないで…!」
「いや…。僕のほうこそ、言い過ぎてごめん…」


 これが最初の喧嘩でも最後のそれでもなかった。爆発の余韻が冷めると、楼蘭はすぐに戻るのだ。
 オリジナル・メンバーだから、みな口にこそ出さなかったが、わがままな彼女に振り回されるアベじいの姿は、城内で応援されつつ、やはり失笑を買っていた。



*



「久しぶりだな、恒介」
「うーっす」
 城の執務室で、二人は数日ぶりに顔を合わせた。冬休みなので、学校で会わない。
「なんか、雰囲気変わった?」
「そうか? ……」
 マクシムは笑ったが、そこにも不思議な余裕があって、今までのようにどこか窮屈そうな、はりつめた、演技っぽい印象がない。
 フースケは、そこらの下士官より埃っぽい上着に両手を突っ込んで、あらー? と思った。
 なにこいつ。かっこいい。
 アルカンが横から口を出す。
「早速、本日お越し願った理由ですが」
「よっ、アルちゃん。痩せたねえ」
「いえ…、そんなことは」
「仕事のしすぎじゃない? それ以上細くなってどうすんのよ」
「その仕事の話を致しましょう、フースケさん。
 『鉱床地帯を警備する城の騎士の中に、賄賂を受け取ったものがある』という旨の告発が運営側になされた模様です。
 こちらの言い分を聞きたいと、調停部から打診がありました」
「…あらあら」
 反射的にあの机を蹴飛ばしたナイスガイの顔が浮かんだが、まさか彼の一存でもないだろう。
 城主と妥協の道を探るか、あくまでも反抗するか、連合内でも意見が割れているに違いない。
 フースケは二人に対して、手短に事の顛末を説明した。連合側の行動に、アルカンは呆れた様子だ。
「…ではそのクラブ連合の連中が、今回の密告者である可能性が大ですね」
「タイミングと内容から言って間違いないだろ。告発されてる奴の名前が分かる?」
「いえ。それはまだ明らかにされていません。書類には、『数名』としか」
「さすがの大天使の翼も運営にまでは届かねえか」
「耳に囁く風もございますまい」
「『そんなことは有り得ない』――と、返信を」
 フースケとアルカンの間で、またアルカンとマクシムの間で、視線のやり取りがあった。
 マクシムは膝の上で組み合わせた指を、一段と深く握りなおす。
「…それで、いいんだな、恒介。もし何らかの不正行為が発覚した場合…、いかにお前と言えども、何らかの処罰を検討せざるを得ないが」
「情報に頼る人間って汚いじゃない」
「…?」
「敵の内情を探るその手を、味方にも伸ばすからね」
 二人はすぐ、その言葉の意味を解した。アルカンは少し愛想を尽かしたように、だが一抹の同族意識を引きずって、顎を何度も頷かせる。
「…よく、分かりました。では、そのように回答し、運営の出方を伺いましょう」
「うん」
「…そのクラブ連合…」
 マクシムが流星のような声を出すので、フースケは顔を戻す。
「これ以上、放置するわけにはいかないな」
「まあねえ。でも彼らにも言い分はあるだろうな」
「…何を庇う? 徒党を組み、暴力によって地域を支配し、自分たちの利益を不正に蓄えた上、官憲を脅す。マフィアと同じだぞ」
「…岩と砂だらけの鉱床地帯は、こことは少し違う世界だ、マクシム。誰もコランダムを諦めたりしない。だからクラブ同士で思慮も無く衝突したら、血みどろの殺し合いになっちまう。
 …多分、クラブ連合というのは、野生のつかみ合いの果てに自然に誕生した、あの土地なりの解決策なんだ。今、ちょっと調子に乗っているのは事実だけど、とかく長く続いてきた集団であることは確かだよ」
 フースケは笑った。調子のいい小男のことを思い出して、おかしくなったのである。
 マクシムは片眉を上げた。
「…恒介。お前がそんな甘い態度でどうする。しっかりしろ」
「ふふ。ほら地縁って、あるものじゃない、俺らの…」
「…コランダムは州の重要な財産だ」
「――…」
「利己的なならず者集団を容れる余地はない。
 私はお前を、土地の連中と馴れ合わせるために常駐させているわけではないぞ。自分の使命を忘れるな恒介。…太朗じゃあるまいに」
「……」
 フースケは黙って頭の後ろをポリポリと掻いた。
「…不満そうだな?」
「まさか。あんまり格好いいから恐縮しただけさ」
「…お前は昔から、不賛成の時にはそういう眼差しで、人を見る」
「これは参ったなあ」
「――恒介」
 リーダーに呼ばれては、顔を上げないわけにはいかない。フースケは自覚している以上に率直らしい自分の目を、不承不承、彼に向けた。
「クラブ連合は、消滅の方向で解決するように。昨日までは譲歩の可能性もあったかもしれないが、こうしてこちらを侮辱する行為に出たからには、もはや妥協はならない。
 必要とあらば追加で部隊を派遣する。いいな?」
「…了解…」
 フースケは彼の迫力に押されて引き下がった。
なんなんだ、この空気は…。
 もともと、誠はこういう拒否反応を示すんじゃないかとは思っていた。彼は日本的な村社会を嫌う傾向がある。いや村だけでなく、頭の悪い、しつこい人間関係は全て嫌いそうだ。
 だが、冗談ぐらいは言えると思っていた。
 俺はえこひいきされるのも嫌いじゃないけどな、と。
 ――ただ近所に住んでるってだけで、ヤクルトをもらったり、好かれたり、かわいがられたりするのも…、悪くは、ないじゃないかと。
 言えなかった言葉を心中で供養しながら歩く。肋骨の内部を、羽虫のような小さな予感が走り回っていた。


 帰りがけ、たまたま城の入り口でアンリエットとすれ違った。あら。と会釈してくれる。
 相変わらず優雅で美しい女性であったけれど、フースケは――時々嫌になるくらい、色んな情報をつかみ出してしまう彼の目は――、そこにアルカンの顔色とも通じる、満たされないまま泳がされている希望の疲労を認めた。





 翌日、運営からの反応が返ってきた。
収賄に心当たりがないという回答は受け取った。尚、告発状に記されている名前は以下の通りである――再度、確認を願う。
 フースケもフェリックスも恥をかかずに済んだ。そこには、彼らの部隊に属する人間の名は一つもなかったからだ。
 ただ影響を被って思わぬ場所が揺れた。
リストに楼蘭の名があったのである。




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