レヴォリュシオン エリート







[ 10 ] キングの死



「――処刑だ! 処刑判決が出たぞ! 一時間後に、中央広場で処刑だ!!」
 あっという間にその報はシテを駆け巡り、普段から混み合う街は、大変な騒ぎとなった。いい席を取ろうと広場の周りに人が押しかけ、集まった連中を相手に商売しようと露店がそれを取り囲む始末。
 首都シテの民は派手好きで、果てしなく享楽的で、節操が無いというので、世界的に有名だ。
「しかし名残惜しいなー! この騒ぎも今日でしまいだ」
「ここ二日、処刑三昧だったもんね、退屈しなかった。今日の処刑が最後の大花火ってとこね!」
 菓子を売る店の親父が、客の女と話をしている。二人共、明るい調子で、残虐なショーに心を痛める様子などは微塵もなかった。
「裁判も見ものだったってねえー。
 大体が、マクシム、アンリエット、アルカンと揃うだけでも絵になるのに、そこに着飾ったクラブの代表者がずらーっと並んだんだからな。ゴージャスな眺めだったとよ」
「今度の王様は結構、場の仕切り方を心得てるって感じよねー。先が楽しみだわー」
「裁判って、客寄せのために開かれたの?」
 店先に立っていた若い男が口を挟む。旅装で、カバンを横がけにし、帽子に押された髪の毛が目元を隠すように伸びていた。
 その格好と共に、相手が名を隠していることを見て取ると、二人は愛想笑いを浮かべるうち、
「――まさかあ」
 すっと用心深くなった。
「マクシム様はキングとは違って、正真正銘の『大革命』をやってのけた御仁だよ? そんな低俗なことなさるもんか。
 何でも王座に着く人間には、その心得みたいな文書が運営から手渡されてて、そこに『前王の処遇については公平を期すように』ってわざわざ書いてあるらしいよ。それで代表を集めて、ちゃんと投票で処決なすったんだろ。
 キングはそんなことしなかったからねえ。今度の王様の方が立派だよ」
「でも、死刑に反対する奴なんて、どうせいやしないだろ?」
「まあ、そりゃ…、無罪投票はゼロだったらしいが」
「じゃ、勝利をより完全にするための祝祭だったわけだ。ごちそうさま」
 男はそう言うと硬貨を置き、水色のどんぐり飴の袋を一つ取り上げて、人ごみの中へ消えていった。
 残った二人は男の姿が追えなくなると、代わりに互いの顔を見合わせる。




 二月の末。『カテドラル』を初めとする一三のクラブ連合軍の猛攻に屈し、シテ城は遂に落ちた。
 大革命が成ったのである。
 半年もの間、シテを占拠し続けたクラブ『ブルーブラッド』は、その根城で壮絶な滅びの時を迎えた。
 さすが仮にも「エリート」の名を冠するだけあって、彼らは手強く、またどれだけ形勢が不利になっても決して戦いを諦めようとしなかった。
 両軍は激しい消耗戦を繰り広げ、シテの王城は広い石段から城の廊下に至るまで、累々たる遺体と血痕とに埋まった。
 はっきりと勝敗がつかぬまま、戦争時間帯が終了すると思われたその時、『カテドラルのエリート』と呼ばれるある部隊が、中心部に捨て身の突撃を敢行。はがれかけて風にひらひらしている紙をもぎ取るように、辛くも勝利を手にしたのだった。
 国王【キング】は勿論、首脳陣の多くが捕虜となり、昨日までにそのほとんどが処刑されていた。
 そして今日は極めつけに特別な日である。
 何しろ、『レヴォリュシオン・エリート』の世界が始まって以来、初めて、国王が処刑されるのだ。




「ほらよ」
 若い男が差し出した飴玉の袋を、下から両手ですくい上げるように女が取る。
「ありがとー」
 男は黙ったまま、彼女が隣に背をつけた。街路樹の幹を分け合うその距離感はごく自然で、傍目には家族か恋人に見える。
「全然、近づけそうもないね」
 女が言って、飴玉を口に放り込む。その目は街の中央、『革命広場』の方へ向けられているが、大騒ぎする人々の背中が見えるばかりだ。
 恐らく身の置き場などはあるまいし、下手をすればフリーズする。
 逆に言えば、だからこそ来たのだ。いくら騎士達がお尋ね者を取り締まろうと思っても、この人ごみの中から指名手配犯の姿を割り出すのは、至難の業だ。
「声が聞こえればいいさ。どうせSSが出る」
「うん」
 女は片方の頬をふくらまして、ぼんやりした目で辺りを見ていた。
「あらっ、君。かわいーねー」
 通りかかったナンパ野郎に声を掛けられる。
「どっから来たの? 旅装束だねえ。長くて素敵なプラチナブロンド。地毛? 染めたの?」
「……」
 女は黙って男の裾を引っ張る。幹が丸いので、ナンパ君には始め、彼の姿が目に入っていなかった。
「あらっ失礼、お兄さまがご一緒でしたか。妹さんをお誘いしてもよろしいですか?」
「兄弟じゃないもん。夫婦だよ」
 と、女。ナンパ君は一向ひるまない。
「あらー、旦那様でらっしゃいましたか。では奥さんをちょっとお借りしてもよろしいですか?」
 男は笑ってしまった。
「一体どこに連れて行くわけ?」
「処刑見物なんかどうですかね? 血がドバーッと出ておもしろいですよう。その後食事をしましょう、お嬢さん。子牛のロワイヤルなんてどう?」
「俺達は正体を隠してるんだぞ? どこの誰とも分からない女性をしつこく誘うなんて、無用心だな」
「おーやあ、旦那さんはどこの田舎から出ていらっしった? …シテは都会だよ。数え切れないほどの人間が毎日、押し寄せては引いていく。
 過去や正体なんて何の意味もないね。度胸と才能ときっかけが全てだよ。逆にそれさえあれば、いくらでも望みのものを手に入れられる。シテはそういう街だ!」
「…なるほど、あいつが来たがるわけだ」
「ほらほら、旦那さんもボクのこと気に入ったって言ってるよ。一緒に、世界で最初に殺される王様の最期を楽しまない?」
 呆れて頭を下げた男の視界に、小さな影がふっと差し込んだ。覚えず帯剣に手を伸ばしたその手が、
「人妻貸し出し中と聞いたが、本当かの?」
 ――止まる。
 目を上げると、そこにはえらく背の小さな、白髭の老人が立っていた。追っ払おうとしたその時、
『ワシは、シンビと言う』 
 囁きが放たれ、男は殺気立つ。
 個人に囁くためには、相手の名前を知らねばならない。この小柄な老人は、彼の隠された名を、知っているのだ。
「……」
『まあそう、怖い顔をしなさるな。トボけるのも今更じゃ。元カテドラル、騎士隊第二隊長フースケ殿。
 ワシは味方じゃて。ちょっとお前さんに話がある。こちらへ、なんなら奥さんも一緒に、来ておくれ』
「……」
『来なんだら、今すぐ騎士隊へ通報するわい』
 どいつもこいつも。フースケは帽子の影で呟いて歩き出した。連れの腕も引っ張る。
「あらー? 旦那さん。いきなりどこ行くのよ? ひどいな。奥さん置いてってよー」




 老人は小股でちょこちょこせわしく歩き、彼等を旅籠の立ち並ぶ地区へ連れて行った。
 本当にシテは広い。どの州の州都でも宿なんて大抵五つほどしかないのに、ここでは通りの端から橋まで宿屋が並び、しかも満員の様子だ。狭い階段を、人を押しのけるようにして上らねばならなかった。
 やがて通された狭い一室に、辺りをうかがう二人の男と、三人の女性が押し込められていた。見たこともない顔だ。名前も隠れている。
『【エリカ】殿じゃて』
『初めまして』
 一番身分の高そうな女性が手を出してくるのを、フースケは困惑の眼差しで止めた。
『なんだこれは?』
 老人はまあ座りなされ、と椅子を出してくる。フースケの連れの為に、女性の一人が立ち上がってもう一つ椅子を差し出すと、自分は寝台の上に座って、仲間の腕を取った。
『どういうことかは、依頼者当人が語るによって』
 …なんだと? と尋ね返す前に、フースケの頭に別の男の声が響いた。
 我が耳を疑った。
なんとそれは、【キング】。
 前国王にして、今は死刑囚。恐らくシテ城の中で死刑までの長くて短い時間をただ待っているはずの、【キング】の声だったのだ。




『――すまないな、フースケ君。何しろ非常事態なので。ろくに顔も会わせたことのない君に、突然囁きなどを送る無礼を許してくれたまえ』
 キングはシャツとズボンという簡素な服装に相変わらず目隠しをされたまま、控え室に押し込められていた。全ての窓に鉄格子のはまった独房で、扉の外には武装した騎士が二人、背を向けて立っている。
『…どういうことだ。こんな時に。敵でも味方でもない俺と、悠長に会話してる場合じゃないだろ』
『敵でも味方でもない君だから、最後の会話の相手に選んだんだよ』
『――そういう言い方、やめてくれる?』
『時間が無いので手短に言う。君の目の前に立っている三人の女は、私の妻と、その侍女達だ。残り二人の男は、城の官吏の生き残り』
 思わず顔をしかめたフースケを、エリカの緑の瞳が静かに見つめ返した。
『彼女らは、大革命のどさくさに何とか城から脱出したのだが、今度はそこから動けずにいる。
 私の処刑で、シテの騒ぎが最高潮になる今が、最後の脱出のチャンスだ。どうか妻達が無事に、街の外の同盟クラブの根城まで逃げ延びられるよう、手を貸してやって欲しい』
『…なんで俺がお前の身内の脱出の手助けをしなくちゃならないんだ。仲間でもないのに』
『君の他に、頼れる者がいないからだよ』
『そういう言い方やめろって! 俺を罠にはめる気か? 俺がどういう人間だか知ってるんだろうな?』
『知ってるとも、――カテドラルのリーダー、マクシム・ソボルの朋友で北州の重鎮だったが、一月前、反抗的なクラブ連合を掃討中、突如として離反し、失踪したフースケ君だ。
 仲がよさそうに見えて実は犬猿の仲だったとか、新入りのメンバーの陰謀だとか、やおい関係のもつれだとか色んな説があるが』
『最後の言った奴、殺す…』
『私はマクシム・ソボルの強硬な政策についていけなかったという説を信じている』
『……』
『人情に厚く、困っている人間を見過ごせず、人の頼みを断れない』
『やめろっつーの!…誰の入れ知恵だ』
『シンビ殿だな』
 憎悪を込めて振り向いた。シンビは今更チワワみたいに目をキラキラさせて見せるが、ムカつくだけだ。
『どういうつもりだ? クソジジイ…。とんだ面倒事に巻き込みやがって。俺にだって連れがあるんだぞ』
『何を言っておるか。面倒事が好きなくせに』
『ああ?!』
『今までもお尋ね者の身のくせに、あっちこっちで喧嘩の調停をしたり、困った連中を助けたりしておるではないか。
 御身大事に暮らすのが目的なら、初めから山にでもこもっておれ、このうつけ者〜』
 久しぶりに素でムカッと来た。両手を耳の横でビラビラさせる老人に詰め寄ろうとした時、耳元でまたキングが囁く。
『…頼む、フースケ君』
 抑えながらも、急いた口調だった。
『もう時間がない。あと十五分ほどで刑の執行が始まる。
 私が簒奪者の名で殺されるのが仕方が無い。非難されることは初めから承知の上だった。
 だが妻は関係ない。たまたま私の隣にいただけで何一つ徳に反することはやっていない。
 だが新しい国王には、そんな言い訳は通用しないだろう。事実、妻は追われている。
 私は自分が死ぬのは全然構わない。だが妻が衆人環視の中で犯罪人のように殺されるのだけは納得いかない。
 頼む。―― 一生のお願いだ。どうか…』
『あのな、キングさんよ。忘れたのか? あんた昔、俺を殺したんだぜ』
 処刑時間が迫るにつれて、少しずつ外の騒ぎが大きくなってくる。風に押される窓枠を見つめながらフースケは言った。
『それを分かってて、どうして俺に頼む?』
『…シンビ殿は、君のことを、他人から殺されたことは忘れても、他人を殺したことは忘れられないタイプだと。
 君の助けが無ければ、妻達はいずれ彼らに捕まるだろう。全員が君の旧友の手によって、処刑される』
『――』
 そうしてあらゆる種類の人間が、フースケの性根を利用するというわけだ。
 楼蘭が彼を見上げる。フースケはいきなり腕を伸ばして老人の襟首をつまみ上げると、やけになって言った。
『くそったれが! …さっさとどういう計画になっているのか話せ!
 ――向こうとの連絡は済んでて、ちゃんと馬は用意出来てるんだろうな!』




 計画は単純だった。目立たぬよう二手に別れ、街の騒ぎにまぎれてシテの東西両門の傍にある、馬屋までたどり着く。
 あらかじめ用意してある証文で馬を借り、一気に城外へ駆け抜けて合流した後、街道を南下した先の森の中腹にある同盟クラブ『ふくろう党』の根城へ駆け込む。
 彼女らは総じてレベルが低かった。逃げる最中に城側の追っ手がついた場合、官吏上がりの男二人だけでは、確かにどうにもならなかっただろう。
『あのアルカンとかいう若造、天使どころか悪魔みたいに執拗な男だの。
 エリカなんぞを処刑しても、何の意味もないに、各所に騎士を放って捜索させておるのじゃ』
『…前はまだ、愛嬌が残ってたけどな…。
 じゃ、行くぜ』
『…すみません』
 フースケと楼蘭が振り向くと、エリカ達が揃って深く頭を下げた。
『どうぞよろしくお願い致します』
 宿の外に出るのも一苦労だった。大変な騒ぎだ。
 画面が重たい。彼らは会話することもなく、手はずどおり宿の前でふらりと二手に別れた。
 人、人、人だ。新宿駅南口か、渋谷駅前のスクランブルか。立川の花火大会でもいい。とにかくいっそブチ切れて楽になりたくなるくらい、人がいた。
 苦労しながら進んでいくと、エリカがはっと立ち止まってフースケは追突しそうになった。
 顔を上げると、たくさんの頭の向こうに、船のように進んでいくむき出しの荷馬車が見えた。林立する騎士達の真ん中に、後ろ手に縛られた男が座っているのが一瞬、目に入る。
 ――キングだ。
「はやく」
 フースケはそのまま固まりそうになった彼女の肩を抱いて、強引に先を急がせた。



 ようやく目隠しを取られたキングは、揺れる荷馬車の上から、水のように沸き立ち煮えくり返る通りの有様を、最後の景色として見つめていた。
 顔また顔をいくらたどっても、彼が心配する女の姿は見えないので、どうしようもなく、笑う。



 証文はシンビの名で切ってあった。何しろ他の人間は全員が指名手配リストに載ったお尋ね者である。
 門には五、六人の騎士がいたが、もう警備を半ば放り出していた。フースケたちは一団という印象を与えぬよう、騎乗してバラバラに門を通り抜けると、合流地点目指して馬を走らせた。



 彼らの脱出と引き換えに、革命広場では刑の執行が始まっていた。
 処刑は『王の剣』を委譲された若く、堂々たる体躯の騎士の手で行なわれた。刑場ではアルカンがキングを出迎え、最後に言いたいことはないかとまた聞いた。
「ないと言ってるだろう」
 と、かつての王は笑う。
「お前らにはな」
『エリカ…』
 一度は世界に君臨したその頭が、台の上へ押し付けられる。死を催促する歓声の中に、「キング万歳!」というものが混じっているのに気付いたが、もはやどうにもならい。
 最後に、もう一度呟いて彼は、
『エリカ』
目を閉じた。



 新王マクシムとその連れは、広場近くの高い建物の一室からそれを見ていた。
 そこにはアンリエットは勿論、【リタ】や【リコ】、【オオタカ】などの同盟クラブリーダーがずらりと並んでいたが皆、硬い面持ちで、黙りこくっていた。
 やがて、世界の最後の日のような静寂が広間の中央から生まれ、シテの城門まで一瞬にして染み渡ったかと思う矢先、同じ場所から今度は畏怖を覚えるほどの咆哮の束が、爆風のように回転しながら全ての建物を震わした。



 フースケは、前を行くエリカの背中がびくっと震えたのを見た。
 広場の歓声が鼓膜に届いたような気がして歯を噛んだが、後ろを振り向こうという気は起きなかった。確かめる勇気もない。黙って先へ進んだ。
 ――やがて合流地点に至り、別れたメンバー達と再び顔を合わせる。
 彼らは、街道に沿って南下を始めた。市内に比べると意外なほど通行人がなかった。みんな祭りに出かけたからなのか、東京と同じで、ちょっと奥へ入るとこんなものなのか。
『のー、フースケや』
『なんだよ、クソジジイ』
『一つだけとっても気になっておることがあるのじゃが、教えてくれんか』
『なに』
『おぬしと楼蘭は夫婦と言っておったが、それは方便か? それとも実際デキちゃっておるのか?』
『お前、後で額に釘打って殺す』
『だって人妻か否かという重大な問題が』
『エロジジイ』
『小学生に向かって何という暴言じゃ』
『しょっ…?! てめ、幾つだ?!』
『五年生じゃ』
『うわキモッ!』
『なにがキモいか。エッチいことに興味があるのは当たり前の年じゃわい。で、どうなんじゃ?』
『……』
『お前さん達、本当にやっ…』
『ガキ。――スピード上げるぞ、着いてこい!』
『ちっ。なんじゃなんじゃ…。ケチ…』
 いきなりフースケは一人加速して群れから抜けた。促されたシンビも続く。
 目配せを受けた楼蘭が、全体はそのまま進むにとどめ、二人を先に行かせた。
 真っ直ぐ伸びていた街道が、大木にぶつかるのを避けるように、二手に分岐する。その付け根に、少人数ながら、騎士隊がいた。
『おおっ?!』
『牽引するぞ、援護しろ!』
『ほっほー、こりゃまた。承知!』
 フースケは腰から爆薬を取り出すと、突っ込んでくる彼に気付いた騎士達の中へ、ためらい無く放り込んだ。
 官憲への先制攻撃だ。爆音と共に、ペナルティが跳ね返る。
 ダメージは大したことはない。だがフースケの名前を隠していたシールは剥がれ落ちる。それを見た騎士達が、煙の向こうで一斉に色めきたった。
「指名手配犯だ! 逮捕しろ!」
 フースケは馬の手綱を繰って逃げながら、まるでソフトクリームを舌で巻き上げるように、兵たちを街道から引き剥がしにかかる。
『感心した。何故、騎士がいると分かった?』
『逃げ込む先がそうあるわけじゃないんだろ。だったら、その順路を放っておくわけが無いだろが。あのお優しい天使様がよ!』
『しかし、これでは多勢に無勢じゃぞ!』
『要は本隊を通せばいいんだ! ――楼蘭! 全力疾走させろ!!』
 馬上で頷いた楼蘭が、全員を加速させた。前方に戦いの埃が視界に入り始める。彼女らは、狭い側道に備えて一線となり、その脇を駆け抜けていった。
 フースケはシンビに術を展開させながら、懸命に騎士を引っ張る。引っ張るが、そうし切れなかった分が、本隊の末尾に取り付いた。
 術が飛ぶ。槍が繰り出される。すぐ後ろを走っていた男が背を切られ、うめき声を漏らしたその時、楼蘭が馬上で身をひねり、指にはめていたルビーの指輪を、投げた。
 追っ手の足元で炸裂したそれが馬を痛め、いくばくかの距離を稼ぐ。
 ひるんだ彼等の背後をフースケたちが突きのけ、追い抜かすと、引きずりまわされていた騎士隊がそれを追って、最後に側道へ入った。
 二十名もの騎士を相手にまともな戦いをする気は初手からない。
 この先は狭い一本道だ。このまま同盟クラブの勢力圏まで逃げ切る。騎士達も、今、独断でクラブの根城を攻めることは出来ないはずだ。
 その後どうなるかは知らないが、とにかくキングの妻エリカを根城へ送り届けるという義理だけを果たせば、フースケ的にはたくさんだ。
 騎士達も馬鹿ではない。すぐ遠距離攻撃を仕掛けてきた。列の先頭に上客がいると踏んだのだ。
 シンビも術を返す。フースケも引き続き爆薬を投げて応戦した。しかし量の差はいかんともしがたく、ペナルティもきつい。
 ほどなく行く手にクラブ集落が現れた。大勢のユーザーが、武装して一行を待ち受けているのが見える。
 もう一息、と思ったその時、見事な光球が背後の騎士から放たれた。それは空を鋭く鳴らし、一気に数人の頭上を飛び越すと、過たずエリカの背の真ん中へ、吸い込まれていく。
 後ろについていた楼蘭がふいと手を挙げてそれを受けた。肌の上でエネルギーが爆ぜ、火花が飛び散る。馬がいななき、バランスを失いそうになった。
「っ…!!」
『楼蘭!!』
『大丈夫―…』
 楼蘭は何とか背にかじりついてしのいだ。先頭が集落にたどり着く。彼らは速度を緩めることなく、一騎また一騎と集落の中へと突っ込んで行った。
 最後尾であったフースケとシンビも中へ入ると、手綱を引き絞って、馬に首を返させる。
 騎士達は、途中で追うのを止めていた。根城からの射程距離には立ち入らず、山道の中途に固まって様子を見ている。
 さすが『エリート』だった。よく統率されている。
 馬が動き、集団の奥から、指導者と思しき男が現れた。遠目で顔がはっきりしないが、日光に反射してきらりとする丸眼鏡には、見覚えがある。
「…フェリックス…」
 フースケは思わず、喉の奥でその名を呼んだ。
 彼の方は、少し時間がかかったようだ。服装や雰囲気がかなり変わっているから、無理もない。
 だがそれでも最後には、彼が自分を認めたのが分かった。
「……」
 彼は何も言わずに馬を振り向かせると、部下達を率い、静かに来た道を引き上げていった。




*




 緊張が解けると、楼蘭はクラブの術師に招かれて、傷の手当てを受けた。
 部屋の隅に腰掛けたフースケはそこらで引っこ抜いたネコジャラシを手に、困りきった顔でその様子を見ている。
「お前さあ…。そういうことはやめろって、前にもちゃんと言っただろ」
「うん。またやっちゃった。ごめんねー。楼蘭、馬鹿だから」
「……」
 フースケはネコジャラシの茎をねじった。そこにひょいひょいとシンビがやってくる。
「ほい、フースケ。『ふくろう』の連中が、お前もクラブに入らんかと言うとるぞ。二人じゃ、実入りのよい狩りもできんじゃろー。仲間や補給地が出来ると楽じゃぞー」
「アホか。俺らはお尋ね者だぜ。そんなもの抱え込んだら、シテの連中に格好の取締りの口実を与えちまうじゃないか」
「そんな口実があってもなくても、あいつらはいずれ来るわい。――そうじゃろう?
 連中は、自分らを守ってくれる新しい指導者が欲しいんじゃよ。今のままでは、エリートに狩られる日を、指折り待つばかりじゃからの…」
「……」
 フースケは体操の時みたいに頭をがくん、と落とすと、ネコジャラシを落とした。逃げ出そうとしたシンビの襟首をとっつかまえると、拳で頭蓋骨を挟み、ぐりぐりする。
「あいたたたた!!」
「お前はそうやって他人の神経ちくちく刺激して楽しんでんじゃねえ!! このスケベ小学生が!
 リアルじゃランドセル背負ってるくせに、人妻とかおっさんくさいこと言ってんじゃねえよ!!」
 とはいえ、エリカにもその従者達にも、『ふくろう党』のメンバー達にまで軒並み慰留されて、二人はその夜、彼らの集落で過ごすことになった。
 森の中の根城に大きな建物などはない。外で焚き火をして、キングの追悼集会+新メンバーの加入式+フースケ達の歓迎会を一緒くたに行なう。
 クラブは四〇人程度の規模だった。高レベルユーザーがかなり多く、目立った動揺などはなかったが、それでもどこか悲劇的な雰囲気が漂っていた。
 キングは死に、時代は変わった。いずれ、激しく、逆らうことの出来ない高い波が、ここを滅ぼしにやってくるという予兆。
 もっとも、そう感じているのはフースケだけかもしれない。反政府のクラブの根城にいるという事実が、どうしても過去を思い出させるのだ。
 包帯の巻かれた手首で杯を持った楼蘭も、涼しい夜風の中にぽそりと言った。
「思い出しちゃうねー。やっぱ」
 彼の隣で、銀に変わったその髪が光っていた。フースケは上を見る。
「月が、違うな」
「長いよーな、あっという間のよーな…。楼蘭が生きて、こんなとこにいるなんて、未だに不思議だよ」
「……」
 彼女は黙って頭の後ろを掻くフースケに、炎の映える顔を向けた。
「ていうか楼蘭は全然いいけどー、フースケさんとか、大丈夫なの? だって、リアル友達でしょー?
 …今までも気になってたんだけどなんか、悪くて聞く勇気が出なかったんだよね…。
 クラブ離脱してから、どうなの? 学校とかで、気まずくない?」
「――学校…? あー…」




-続く-




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