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- epilogue -




【付記】

 カイン・ヘキガティウスは一二六五年、故地イステルに帰国。長らくイングリット男爵家に滞在しながら研究、医療活動を続けた。
 その合間の一二六八年、「ディオラント民話集」を出版。閉ざされた東部を記録した稀少な書として広く大陸に流布した。ちなみに「ディオラント」とは「神棲む地」との意の造語である。




*






「夏場……、薄着だったせいでしょう。彼の肩口のところに、何か黒ずんだ痕があるのに気付いて驚きました。
 それは首を回り込むようについていて、間違いなく人の腕の痕でした。右手の方は特にくっきりしていて、五本の指の形も判別できました。
 火傷の跡ですか? と聞きましたが彼はちょっと笑っただけでした。
 今思うと、男の腕にしては細すぎます。女性か子供の腕ではないかと思いますが、火傷の跡とも違っていましたし、まったくもって未だに謎です。」

(ロキ・トレンティ『追想』)








「……彼はオデッスス産の一般的な学者に比べればまだましだったが、色々と付き合いの悪いところがあった。
 殊、俗事に関する面倒くさいことは全て東のせいにして逃げるので有名で、例えば恋愛相手を紹介されそうになると『東でしたからいい』と言う。でも結婚は? という質問すると『それも東でしたからいい』などと言っては人を煙に巻いていた。
 無愛想だったが、決して人嫌いではなかったのに、彼は結局死ぬまで独身を通した。何故そこまで頑なになっていたのか、その理由はもはや誰にも分からない……。」

(G.シモン『故人を偲ぶ葦』)







*







 八四年、彼はオデッススの施療院に移動。医学を含め研究を続けていたが、九〇年冬、膵臓癌により病死した。
 遺体は故人の言いつけにより火葬後、東部へ運ばれ、そこでの習慣に従って森に葬られたと記録されている。
 しかし、今現在その正確な場所を知ることは不可能である。
 尚、施療院の中庭には、墓とは別に彼の存在を記念して楡の苗が植えられた。いまや成木となったその足元の石版には、彼がいつもしつこく繰り返していたという警句が刻まれている。



    『医者とは
     傷ついた生温き神殿を建て直す
     現世の石工である』







"The Deity Inside"
The End



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01.12.15
This novel is made from the mail
of RYU-GOROSHI-san.
I cannot say how thank you so much.