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永劫恋慕
- EPILOGUE -
 




 建ったばかりの白亜の壁は、夕陽にあたると霞に染まって美しかった。長い影をただ独り従えて、彼は廊下を歩んでいた。
 まともに歩くと半時間は続くこの長い廊下は、限られた数名だけが使用を許されている。それで彼はよく、ここを外国使節との非公式の話し合いに使った。
 今日は、懐かしい姿が、廊下の窓から外を見ていた。彼女には自分の来たことが見ずとも分かるはずだが、相変わらず人付き合いはいいようだ、黙って近づいてくるまで待っている。
 歩く速度をゆっくりと落とすと、彼は客人の前に立ち、両手を前で揃えた。彼女も静かに振り向いて、そして暖かく微笑する。
「ヴィオレリ。……本当に、お変わりにならない……」
 やはり、そういう感慨がもれた。髪型や服装は流行を追って変わっているけれど、その豊かな表情は全く昔のままだ。おいてきた昔を、夢に見ている晩のようだった。
 思わず、瞬きをする。彼女はにっこりと微笑んで、
「元気そうで何よりだわ。……でも、まずは仕事。
 書院は新生国家トリエントーレを承認し、祝福する旨の文章を持ってきました。今さらね」
と、薄水色のリボンが掛かった書状を出す。
「まあ無理もないでしょう」
 先の戦役で勝利をおさめてから、承認の告知が一気に増加したが、それまで二年に渡って、名目上トリエントーレは大陸中から無視され続けていた。
「それにしても、なぜあなたが」
「院長はまだ、あなたが怖いらしいわよ」
 苦笑しつつ、オッシアはそれを受け取った。
 五年が流れていた。ヴィンにとってはともかく、オッシアにとっては長い年月だった。
 彼はあの事件後一月もしないうちに、書院を出たのだ。彼の本処分が決定する前のことで、彼の実力と事件の重さに頭を痛めていた書院側は、これ幸いとばかりに彼を送り出し、やっと安心したのだった。
「……サラフは、元気にしていますか」
「ええ、本当に大きくなったのよ。最近はやっと外見が追いついてきた感じ」
 書院は、サラフに関しては、十五歳未満の犯罪を罰せずとする国内法を適応し、教化期間をもうけただけで処分を終えた。
 今現在はそれよりも、彼の二百韻の秘密に迫ろうと躍起になっている(無論彼は冷淡なものだが)。
 そしてヴィオレリもまた、彼に寄り添うようにして書院へ残っていた。
「あなたに会うと言ったら、よろしく伝えてくれ、だそうよ」
オッシアは笑った。
「随分気の利く子になったんですね。あなたの教育ですか。それとも書院側のかな」
「どうかしら、相変わらず愛想はないのよ。彼は裏表はないし、あなただからでしょう」
 ヴィオレリは、でも早く帰ってこいとは言われたの、と笑った。二人は連れだって歩き始めた。
「それにしても、あなたが一国の宰相になったなんて冗談みたいだったけど、やっぱりここに来たら認めざるを得ないわね。……いい物、着て」
「これは飾り」
 オッシアはついと胸元を引っ張った。それから廊下の上にかけてある自分の紋章を指し示す。
「そしてあれはただの名前です。
 ……考えていることはあれからほとんど変わっていません。濃く、若い時期でした。思い出は人の顔をしているものですが、あの頃はあなたの顔をしてますよ」
「そう。……そして今では、人間が好き?」
 ――――その問いに、いい加減な答えを投げることは出来なかった。オッシアは黙って、彼女の瞳を見つめる。その奥には以前と変わらず、迷路があった。
 目を閉じた。意識の中で回想と言葉が交錯し、オッシアはしばらく苦しげに考えていたが、しまいに、仕方なく笑って首を振り、
「分かりません」
と白状した。それが、彼に分かっていること全てだった。その他には、様々にわがままな感情だけだ。
「そう」
 美しいヴィンはそれでも、頷いた。むしろ彼女にはそれで、満足だった。
「……実は、今妻が身ごもっていましてね」
「まあ、そうなの」
「ええ。子どもなぞが産まれたら、少しまた色々と、時間をかけてその都度、考えてみることにしましょう。
 その頃にはまた、考え方も変わることでしょうから――」
 廊下は続いていた。
天上を模したアーチの中に、二人の話し声と足音はじき、静かに吸い込まれていった。










【付記】
 オッシア・アルアニスはその後実に二十年以上に渡り、トリエントーレの宰相を務めた。大陸歴一三一五年に没するまで、生涯に渡り自分の「小賢しさ」を愛さなかったと言われる。


 薬草学者ヴィオレリは、二冊の本を著しているが、いずれも薬学に終始しており、彼女自身に関する記録はほとんど残っていない。前出のアルアニスの葬儀の際、姿を見かけたという記録が一部の回想録などに認められる他は、僅かに薬学史にその名を記しているのみである。


 黒い肌のサラフに関しては、書院に膨大な記録が残っている。死ぬまで書院で研究を続け、その間多くの伝説を生んだ。生涯娶ることなく、子孫は残していない。



 その後、三人が個別にせよ、再会を果たしたという記録は見つかっていない。





永劫恋慕・終わり

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