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永劫恋慕
- 7 -
 




 オッシアはまだ頭の収拾がつかなかった。いっそむせび泣きたいような気分なのに、一滴の涙も出なかった。吐く息が白いことだけが無用に真実だった。

「……お父さんが、お父さんが。神父さまお願い、助けてよ……!」 「オッシア……、そうやって全ての人を憎むのはおよし……」 「そこにいればもうお前は、……人を憎まなくてもいいんだから」 「その盲目さときたら、人間の愚かしさそのものよ……!」

 言葉が記憶を呼び、それがまた言葉を、懸命に彼が理性で押さえつけていた理不尽で抑制の利かない激情が、様々に噴出してきた。
 呼吸をするのが苦痛だった。そして段々と、ヴィオレリの言ったことが分かってくるに従って、汗ばむほどの羞恥心が背中を熱く駆け昇ってきた。
 彼はかろうじて二本の足で歩きながら、それでも阿片に酔ったような目で、考えもなく自分の部屋へ戻ろうとしていた。結局、自分は彼女の言葉に従っているのだと思うと余計にやりきれなくなったが、身体は言うことをきかなかった。
 そのまま五千年でも放っておいてもらいたいような心地だったのに、こんな夜中、突然に現実が追いかけてきた。
 廊下の先で、誰かがオッシアの名を叫ぶ。顔を向けると、顔見知りの生徒の一人だった。
「導師! 大変です!」
 言いながら駆け寄ってくる顔色が尋常ではない。オッシアは逃げ出したくなったが、仕方がなく待ち受けた。
「良かった。お探ししていたんです」
「……何か……」
「さ、サラフが、中庭の奥の方で暴れているといって、今騒ぎに……」
 一気に言って、彼は息を吐いたが、オッシアには、自分がやったと言われたのと同じくらいぽかんとしてしまう話だった。
「……なんですって?」
「導師、サラフに韻術をお授けになりましたか?!」
「いいえ?」
「……では一体どうして彼は火気韻術など使えたのでしょう。昔ソマス老師の庵があった辺りが丸焼けなんです。……もう誰も近づけないし、手がつけられません」
 オッシアは信じられないままに、走り出した。学生も後に続く。
 サラフに、韻術の手ほどきをしたことはない。しかし、彼はずっと講義にくっついてきていたし、部屋にある本は全て自由になるが……。
「まさか……!」
 森の中を走るにつれ、人の数が増してきた。大勢といえる程でもないが、騒ぎになっているというのは本当のようだ。
 見知った年上の導師がいた。オッシアを見つけると、待ちかねたように近寄ってくる。
「一体どうしたのですか」
という問いに、顔を皺だらけにして答えた。
「どうしたもこうしたもあるか。怪我人は四人で、一人だけが逃げ延びてきたが火傷で半死半生だ。残る三人は向こうに倒れたまま、救出しようにも近付けん。
 ……一体あのガキはなんだ?とんでもないものを育てていたな。間違いない、悪魔か何かだぞ。
 外から数人で韻力を併せればどうにかなるかもしれん。どうしようかと言っていたところだ」
 既に数人の強力な韻術師が集まっている。オッシアは慌てて押しとどめた。
「待って下さい。何の理由もなく、彼がこんなことをするわけがありません。私が今から行って説得します。
 必ず大人しく外へ連れ出してきます。ですから、攻撃は待って下さい」
「韻術師が四人も死にかけてるんだぞ!!」
誰かの声が反駁した。
「悪魔に説得など通じるものか!」
「悪魔ではない。あれは人間です」
「あの肌を見ろ!」
「あなたは白猫が黒猫を悪魔と呼ぶと思いますか!」
 怒鳴りつけるような勢いに、その声は黙った。周りの人間も、彼の初めての大声に驚いている。ぼそりと別の声が、正気? と囁いた。
「……よろしいですか、必ず穏やかに連れ出して参りますから、絶対に術をかけないでください。
 約束して下さい! 私は皆様を信じます。……よろしいですね?」
 オッシアはぐるりと人々の目を見回した。時には不安な、時には気圧されたような目線が帰ってきたが、反対の声を上げる者はいなかった。
 彼は頷くと、その人垣を割って奥へ踏み出した。人々はその場に立ったまま、彼の後ろ姿が木々に見えなくなるのを黙って眺めていた。





 数分は普段と変わらぬ木立の姿が続いた。しかし、突如不自然に開けた眺めに突き当たり、そしてその先は正に、地獄のような光景だった。
 ようやくさしぐみ始めた緑の木々の片側だけが無残に焦げ付き、足下には波紋を刻んで黒ずんだ砂だけが残っている。このような徹底的な破壊を見たことがない。オッシアは眉をしかめて、歩を進めた。
 三つ、大きな墨の塊が転がっていた。まだ所々から煙の筋が上がっている。オッシアは息があるかどうか確認しようと、異臭を堪え近寄ったが、屈み込んだ先は足だった。
 首を返したところに、見覚えのある首飾りが落ちているのが目に入った。彼等を陰に助かったのだろうか、それは高熱の勢いを受けて少し変形していたが、拾い上げると中身はまだ無事だった。
 オッシアは、サラフがその首飾りを大事にしていることを知っていたので、強いて中を確認したことがなかった。それで、歪んだながらも小さな「彼女」に対面したのは、これが初めてだった。
「……ヴィオレリ……?」
 呆然と言う。
そうだ……。彼はこれをソマスからもらったと言っていた。
「…………」
 サラフがどんな思いで自分達を眺めていたのかやっと知り、思わず目を閉じる。何年も、昼も夜も倦むことなく、絵のヴィオレリに恋慕し続けていた少年の孤独を思った。
「…………なんてことだ……」
 自分は何も、何も分かってはいなかった……!
うめき声が耳を打った。目をやると、一番近くの身体が手を動かしている。
「……ど……どう……し……」
レナンの声だった。
「……あ……たしの……せ……じゃ」
「―――馬鹿が!」
 オッシアは彼女の胸辺りに手をさっとかざすと、術を込めた。心臓が破裂するくぐもった音がする。レナンの手は落ち、二度と動かなかった。
 立ち上がった刹那、オッシアはびくりとした。前方に黒い肌の少年が、凄まじい沈黙をまとわせてじっと、彼を見ていたのだ。
「サラフ……」
 いつもの穏和な少年の瞳とは違った。運命のように、非道で非人間的な顔をしている。これはいけないと呟いて、オッシアは韻文を唇に乗せ始めた。とにかくこれ以上韻術を使わせないように、一時的に周囲の空気を静止させようとしたのだ。
 ところが、その時。
風が立った。それは自然の理に従ったものではなかった。
「……!」
 思わず詠唱を中断して、オッシアは身構えた。ほぼ同時に彼の全身を、剃刀のように鋭利な風が、どうと襲った。
「つっ……!?」
 目を庇った手の甲が裂けて、血が舞った。だが、彼には体中に出来た裂傷に気取られている暇はなかった。
 咄嗟に少年の韻数を計算していたのだ。全身の血流が凍るような心地がした。
 ―――― 一九三韻……!
 限界韻数の倍だ。信じられなかった。彼は、東方をこちらの尺度で測ってはならないという自分の言い草に、噛みつかれたような気がした。
 その間にも休みなく、サラフは詠唱を続けていた。その技術は稚拙だが、速度はそれを補って有り余るものがある。
 オッシアは自分の周囲に赤色結界を張るのが精一杯だ。しかしそのおかげで、次の韻術は彼の身体へ届くことなく音を立てて発散した。
 重いため息を、彼はついた。サラフは少し表情を曇らせただけだ。傲慢で高飛車な雰囲気だった。
「……サラフ、落ち着きなさい。私はあなたと、殺し合いなどしたくない。
 何が起こったのか説明して下さい。そうすれば私がどうにかします。
 ……あなたは、これを」
と、オッシアはひん曲がった首飾りを取り出した。
「レナン達に壊されて怒ったんじゃないのですか」
 無言のうちに、サラフの顎が上がった。と、突然オッシアの手の中で、爆発でもしたように首飾りが砕け散る。
「サラフ!」
 オッシアは驚愕した。少年はやすやすと結界を突き破ってきたのだ。何という集中力だ。
「僕は」
 サラフが喋った。彼の声には今や力がこもり、その響きは帝王のものだった。
「もうあんた達にはつきあわない」
 それが、彼の言ったことだった。そしてオッシアにはその韻の意味が分かった。
「サラフ……」
意識もしなかったが絶望が滲む。
 自分は今日ここで死ぬかもしれない、と、くらくらする頭の中で思っていた。




 あんまり廊下が騒がしいので、ヴィオレリは火事でも起きたのかと心配になり、赤い目を闇にごまかしながら外へ出た。行く一人を捕まえて話を聞く。
 当然ながらその返答は彼女を仰天させ、ヴィオレリは事の起こっているという方向へ走りだした。
 人垣は倍に膨れていた。難儀しながら核心へと近づくと、来ているはずのオッシアの姿を探した。が、どうも見あたらないので、ふと目に留まった院長のもとへ駆け寄る。周りを数人の一級術師が囲んでいた。
「ああ、女史。どうも面倒を起こしてしまって……」
申し訳ない、と続くのを両手で制して聞いた。
「オッシアをご存じじゃありません?」
「ああ……、彼は」
 院長は振り向くようにして、後ろに立っていた術師へ視線を投げた。頷いて、その男が代わりに話す。
「説得してくると言って中へ入ったままです。数回韻術の発動があったみたいだし、もうやられてるかも知れません」
「! なぜ助けに行きませんの!」
「大丈夫ですよ、ヴィオレリ」
 なだめるように院長が口を出した。
「これから二十人近くが一斉に術をかけます。そうすればいくらあの化け物でも……」
「なんですって! 二人に向かって術をかける気?!」
「これしか方法がないのです。サラフは既に数人を殺しています。これ以上の犠牲者を出すわけにはいきません」
「……それでオッシアは、どうなってもいいの?!」
 すると、院長は急に不機嫌な顔をした。
「彼はサラフの監督官ですぞ! 弟子の責任は彼の償うべきものだ」
「……彼を殺すつもり? あなた方は正気!?」
 冷淡な言葉が返って来る。
「ヴィオレリ、あなたこそ何やら私情の虜になっておいでのようだ。しかし私は書院全体のことを考えておるのです。どのみちもう止めようがありません。詠唱は始まっています」
「止めなさい! 一体自分達が何をしようとしているのか分かっているの!」
「女史をお止めして」
 二人の男がはっとした彼女の肩を、左右から押さえ込んだ。
「院長!!」
 怒りに燃えて叫んだけれど、彼女には力がない。
 詠唱は着々と続いていた。他の術師達が、増える人だかりを押し返しつつ、その環を確保している。
「……院長、止めなさい! 許さないわ。あの二人を殺したら許さない! あなた方は今までもさんざん彼等を殺し続けてきたくせにまだ満足しないの!」
 院長は、ふいに声の調子を変えた。彼女だけに聞こえるような低い調子で、苦々しく言った。
「女史。久しぶりに激昂してらっしゃるんですな。そんなあなたを見るのは久しぶりだ。
 ……けれどいつも思うことですがね、ソマスにしろオッシアにせよ、彼等はあなたをそこまで取り乱させる価値のある男ですか」
「……何を言ってるの……? 関係のない話でしょう」
「私はいつも、それを考えている」
「…………あ、あなた……」
「いい、機会が重なったというだけですよ」
 ヴィオレリは、とても辛抱できないように首を振った。絶望が鼻に抜けるようだった。なんて愚かな。なんて愚かな。
 彼女が黙ったので、院長は反対に二三度頷くと、目を反らして韻術師達の丸い輪を見つめた。
「……もうすぐ完成だ」




「僕は、東へ還る。そこで獣のように貪り合いながら暮らしている、野蛮な西の人間達のことを話すよ。
 そうしたら仲間達はきっと、僕のしたことを誉めてくれるだろう。よくやった、人間として当然だと」
「…………」
 オッシアは、少年に何一つ言葉を返してやれなかった。それどころか、その思考は彼のものでもあるのだ。胸の中で容易く共感が膨れ出すのが分かった。
 けれど彼には経験がある。世界のどこにも、楽園などないという真摯な言葉をもまた、聞いたのだ。オッシアの脳裏で、最前のヴィオレリの涙が蘇ってきた。
 彼は迷った。分からなくなった。どうすればいいのか本当に見当がつかない。それはサラフの問題でもあり、同時に彼の問題でもあった。
 オッシアは、苦しげに顔をしかめたまま、口を開く。
「……サラフ。我々はとにかく、もっと考えなくてはなりません。もっと、もっと長い時間をかけて。私は二十数年、あなたもまだ十数年だ。結論を出すには少なすぎると思いませんか。
 ……もちろん、もう、あなたは充分見たと、充分知ったと思っているでしょう。けれど、やはりそれは、どうしても短いのです」
「あんたはそうしたらいい。ヴィオレリと……一緒に」
 胸を鷲掴みにされたような気がした。痛みを堪えながら、けれどもそれは違うのだと言うわけにはいかなかった。都合のいい嘘だと思われるだけだ。
「……サラフ…………」
「あんたは幸せだよ。少なくとも彼女には、愛されているんだから」
 潰れた紙のように、少年は笑った。頬をつたった涙が月光に、銀色に染まった。
「――――…………」
 世の中が、一体何のためにこんな不幸な少年を生み出したのか、分からない。
 オッシアが言葉を無くした、その時だった。
韻術が発動する前に起こる、微かな空気の振動を感知して、閉じかけていたオッシアの目が、はっと見開かれる。
 次の瞬間、空間が撓んだかと思うと、天上に、ありうべからざる真夏の太陽が瞬いた。




 一瞬の光にますます沈み込んだ夜の後から、どっと熱い衝撃波が外のヴィオレリの髪を激しく乱す。木の葉や砂などが全身を叩き、ほとばしった悲鳴は強風にかき消された。
「―――よし行け!」
 誰かが命令する声が聞こえたとき、両腕は既に自由になって、いつのまにか彼女は座り込んでいた。
 麻痺した関節を引きずって立ち上がる。足下がおぼつかなかった。院長と目が合うと、
「行くのなら、お行きなさい」
そう言われた。




 呆然と歩き出した彼女よりも一足早く、走り込んだ術師達は、黒い地平の中心、赤い血だまりの中にうずくまる二つの身体を見た。
 そこへ駆け寄ろうとした彼等はしかし、のそり、と大きい方の背中が動いたのでぎょっとして足を止めた。
 背を起こすと、膝の上に乗っていたサラフの黒い頭がずるっ、と仰向けになって地面に落ちた。彼はぐったりして、時々筋肉が痙攣する以外は、もう動きそうにもなかった。
 術が発動する、と思った瞬間、オッシアは咄嗟に走り出し、驚いたサラフの身体に突っ込むようにして彼を地面に押し倒した。同時に結界を張ったが、もうそれは跡形もなく、間に合いはしたのだが、とても保たなかったのだ。
 あるいはサラフなら、もっと強固なものを張れたかも知れないが、彼はいかんせん無経験で、発動自体を意識できなかった。
 オッシアの白い長衣は、自分の身体から流れる血と、サラフのそれで、背から胸にかけて、真っ赤に染まっていた。
―――― 赤い血だ。
 オッシアはうっそりと目を上げた。夢から覚めた人のようだった。彼等を取り囲むようにして、術師達が立っていた。男も、女もいた。みな、一様に大人だった。
 彼等の前で、オッシアはくすりと笑った。
……私は皆様を信じます?
 ああ……、一体、自分は何を彼等に期待していたのだろう。どうして、もっと賢くなれなかったのだろう。こんな人間達を心のどこかで求め、彼等の良心に信頼をおくなんて、なんて愚かなことだったのだろう。
 結局、こうやって赤い血が流されねば分からなかったのか。考えるまでもないじゃないか。お前の出発はこの赤い血だまりだったじゃないか。ああお前は本当に、……本当に、本当に愚かだ……!
「――――ぎゃっ!!」
 突如、一人の男の首に血潮が弾けた。
奇声を発して仰向けに倒れる。
「わっ!」
 隣にいた男が恐怖に駆られて後ずさった。その肩がふいに後ろにねじり曲がり、骨の潰れる音がした。
「あああっ! うああっ!」
 オッシアは振り向いた。その平静に気後れした数人の足下で、爆発が起こる。
「ひっ!」
 一瞬にして恐慌の嵐が巻き起こった。その目には、オッシアが死神の顔で座を占め、何が起こっているのかと慌てふためく人々は瞬く間に倒されていった。
「導師が狂った! 結界を張れ!」
 大混乱の中で、誰かが叫ぶ。
 その男の首を落とそうと、オッシアはまた手を上げた。もう何人殺そうと、構わなかった。
 還るのだ。……東へ還るのだ。ここを棄て、サラフを連れて、静かな彼方へ還るのだから……!
―――― その時だった。
 血濡れた彼の手首をつかんで、引き止める白い手が時間を溶かした。それからどんと、後ろから抱きつくようにして、背中に柔らかい身体がぶつかる。
「だめよ…………!」
 耳に囁かれたその声で、ヴィオレリだと分かった。
「これ以上はだめ。……還れなくなってしまうわ……」
 血なまぐさい香りの中で、のろのろと、オッシアは馬鹿のように首を振った。声はかすれ、途切れ途切れだった。
「……もう、いい……。……もう……、人間はいい……」
 うわごとのように言葉は漏れた。
「……僕はもう、……還らないんだ…………!」
 目が細まって、涙が、流れた。白い頬を血と一緒に落ちていった。
 周囲の人々は息を飲んで、彼の涙を眺めていた。
「もう、還らない…………! 還らない…………!」
 ヴィオレリは、優しく首を振った。そしてやっぱり泣きながら、けれど母のように微笑んで、強く彼を抱きしめた。
「いいえ……、いつかどうしても還ってゆくのよ……。……どんなに遠回りをしても、……どうしても、どうしても……。
 ……必ず、……私をおいて……、還っていってしまうんだから……!」
 地面に横になっていたサラフが、うっすらと瞼を開けた。朦朧とした意識の中で、彼は次の言葉を聞いた。
「でも、仕方ないでしょう……。いつか必ず還らなくてはならないんだもの。
 だから、オッシア……。私たちが闘う相手はいつも永劫に続く、片思いそのものなのよ…………」
 ああ……、とため息がもれるようだった。永劫の片思い、それはまさしく、あの老人のことだ…………。
 いつまでも、いつまでもその片思いに、人は苦しまなくてはならないのだ。愛しては裏切られ愛しては裏切られ、そうやって開いた厳しい道だけが、人の進む道なのだ。
 それ以外には、ないのだ。どこへ行ってもないのだ。
「……オッシア。赤い血だから、……もう、何もするなとお父さんが言ったのでしょう…………」
 オッシアは、ゆっくりと、震える手を下ろした。そのまま頭を両手で覆い、身体を丸めて、それから泣いた。食いしばる歯から嗚咽の声が漏れ、響く背中をヴィオレリは愛した。逃避しない彼を初めて愛した。
 やがてヴィオレリは濡れる瞳を上げた。まだ唖然としたような顔で、人々は二人を見ていた。
「終わったのよ……」
と、両手をオッシアの身体から離さないまま、彼女は言った。
「……治療を、始めましょう……」





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