・・difference・・







「昨日の八時見た?」
「見た見た。二股かけてる女の部屋に男が突っ込んで行くヤツだろ。すごかったね、『死ね』とか行って」
 言いながら、吉田のグラスが空くのでビールを継ぎ足してやる。
「ありがと。すごかったよな。俺、風呂から上がってきたら丁度その場面でさあ、トランクス一枚で見入ってたら湯冷めして」
「そりゃそうだろ」
 会社から駅に向かう途中にあるいつもの食い物屋である。遅くなったので飯を食おうと入ったが、吉田といるとどうしても一杯飲まないでは済まないことになる。
「いやあ、お前は絶対見てると思った。ああいう実録もの好きだもんな。警察24時とかさ。
 実はみゆきも結構好きでさ、そういうもんあると必ず流してんの。俺がチャンネル変えようとすると、怒る怒る。
 こっちは背中向けて洗い物してるからいいかなと思うじゃん。駄目らしいよ」
「そりゃきっと音聞いてるんだよ」
「うん、そう言ってた。すごいよな。俺結婚するまで、女ってもっとドラマ見るもんかと思ってた」
「ほとんどドラマと一緒だろ、あんなもん。所詮他人事だしさ」
「最近あの手の、素人さんの体験を元に、っての多いけどさ、絶対やらせだよな」
 俺はほっけと一緒に白米をもぐもぐやっていたので返事が遅れた。
「そりゃそうだ」
「つーかさ、スタジオで離婚届とかに判押すじゃない。こんなんでマジで離婚するわけないじゃん! と思うわけ。おりゃ食え、独身モノ」
「お前相変わらず生トマト食えないのな」
 好き嫌いはないが小食なほうなので、いつも吉田に置いて行かれる。吉田は苦手な生野菜を俺に押し付けると、俺が食い終わるまでにビール一本空にする。今夜もいつものパターンだった。
「でも最近マジでああいう番組多いからさ、少々のことじゃ驚かなくなってきてるよね。借金とか不倫、二股くらいじゃ、普通じゃん? みたいなさ」
味噌汁に髪の毛が一本浮かんでいた。面倒くさいのですくってぽいして、そのまま口をつけた。
「かもな」
「なんかだね、俺はその状況って、エロのシュチュエーションの枯渇と酷似していると思うわけだな」
「なんで教授口調なの」
「だって今エロにタブーってあるわけ? ないでしょ。なんかの漫画でさあ、姉弟のセックスが『最後のタブー』みたいな売り方してたけど、そーんなこともないじゃない。
 ロリータだってフツーだし、SMなんか文化だし、ホモだって3Pだって、最近じゃ全然目新しくないわけじゃん。なんか俺ら、目年寄り過ぎるよね、最近ね」
「分析してる分析してる」
「エロはもっとリアルな場面を重んじ、規制されるべきだ! その方が興奮する!」
「定食屋で結論それかい」
俺は奴が残したプチトマトを潰しながら茶々を入れた。
 奴が言った事は概ね正しいのだろう。確かに俺たちはもう少々のことでは驚かなくなっている。だけど実際は違うだろうなと思っていた。
 俺らは確かにSMがどんなものか、近親相姦がどんなものか知っている。もしかすると映像を見たこともあるかもしれない。だが、実際に女の背中を打ちのめしたことはないし、母親を押し倒したことも無い。
 肉体的な記憶は、持たない。
だからそれはきっと少し、違うのだ。








 駅、改札を抜けたところで吉田と別れた。
行き先が正反対なのである。
 挨拶をして吉田の体が壁向こうに消えた後、自分も階段を降りながら奴に電話を掛けた。
『なんだよう。さみしいのかよ』
 階段が尽きるとほぼ同時に、向かい側のホームに携帯を持った吉田の姿が現れた。何かのいたずらだとおもっているらしく、にやにやしている。
『冷たい部屋に帰るのがヤなのかあ? また今度うちに飯食いに来いよな。みゆきも楽しみにしてるから』
「吉田ぁ、俺さ……」
 電車が参ります。とアナウンスが鳴る。
「俺、こないだみゆきと寝たよ」
危険ですので白線の内側までお下がりください。







 さっきまで、ごくあっさりと不倫や二股の話をしていた吉田の、紙みたいに強張った顔が左右からの電車の胴にかき消された。
 俺は通話ボタンを押して電話を切ると、動き始めたホームを進行方向に少し歩いた。
 知っていることと、実際にやっていることは違う。
鼓膜は裏切りや堕落の話に慣れっこになっていても、いざ目の当たりにすれば人はいささかの甲斐も無く迷い、落ち、混乱する。
修羅場もまた。
 テレビなんか何の役にも立たない。
そんなことは最初から分かっていることだ。
 なぜならあれは「やらせ」なのだから。
本当ではないのだから。
ドラマなのだから。
当たり前だ。
 だが――――――――
突然奇妙な感情が腹に生まれて、それが眉をきつくゆがませた。
 だがそれならば、一体、俺たちは何のために嘘と知れている逸話を、毎日毎日これほどまでに浴びる必要があるのだろう?



 電車が動き出すと、携帯の電波は死んで完全に沈黙してしまった。
 明日も確か9時から実録モノの番組が6チャンであるはずだ。
しかし、そんなものを見ても何の解決にもならないだろう。
 俺たちの問題はいささかも脚光を浴びることなく、永遠に地下鉄の構内に溜まっている。











---EOF-









02.11.26
to be continued


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