・・僕等はヘーゼルのように甘い・・








 昼下がり。
君と僕は代官山のおされな喫茶店に腰を下ろして、一杯が夏目先生ほどもするicedのフレーバー・キャッフェを飲む。
 水滴を滴らす背の高いグラスの下に、ヘーゼルの茶色い液がだまになって、赤いストローにつつかれてはマーブル模様を吐き出すといった感じ。
 君はこないだ見つけたというかわいい柄のスカートをはいて、趣味のいいマニュキュアで手の爪と足の爪とを夏の日に照らしている。
 冷房に満ちた店はとても静かだった。音楽もない。
ただ外で葉っぱだけが揺れている。胡乱に焦げるように揺れているのを見ていると、君が言った。
「結構甘いね、これ…」
「うん。…でも甘いのがよかったんでしょ」
「…うん、でもちょっとだけ苦くない?」
「そうな…、びみょーに」
「…そうだよね」
「…うん…」
 すっかり「まったり」モードに入ってしまって、会話をするのが互いに億劫だ。でも習慣で、何かしゃべらずにはいられないので、意味のない言葉をぽつぽつと漏らしてはすぐに先が尽きて失笑する。その繰り返しだ。
 終いにちょっと声の調子を変えて、君が言う。
「…なんかあたしらもう…、枯れてるって感じだよね」
「あはは」
 その言葉は冗談だと分かった。ので、笑う。
「そうだねえ」
「ホントそうだよ。最近よく思うの」
組んだ手に顎をつける。
「なんか家に帰ってきてもぼーっとしちゃって何もしてないしさ。フィットネスとかにも行かないし、仕事もどうでもいい…。かといって恋愛も別に…。
 コレやばいよね。なんか全然意欲ないの。色んなことに」
 僕は黙ったまま飲み物に口をつける。
付き合いが長いからもうそろそろ分かっていた。「ぼーっとしちゃ」う君が、こういう時だけは能弁になることを。
 自分は虚しい。満ち足りて空々しい。何もする気が起きない。
こう訴えるときだけ、君は僅かに生き生きとする。友達である僕相手に威勢のいい嘘を並べる必要はないわけだしね。溜まっていた戸惑いをここぞと吐き出してくる。
「あたし、最近じゃ何もしたくない自分が恐いよ。どうしたの?! って思うわけ、自分で。
 …つい三年前には、学生やってた時には、こんな感じじゃなかったと思うんだけどな」
 頬に沿えた手の形はとてもきれいだ。僕はまたストローを吸った。
「……どうなんだろう、今だけなのかな。そのうち、何か燃えるようなこと、来るのかなあ…」
「………」
両手がうつむいた頭を回って、両耳を押さえるようにする。
「あたしなんだか…、言うのが怖いけど…、こんな人間になる予定じゃなかった気がするのね…」
「………」
フーっと、息が君の咽喉から漏れた。
「あー、もう。仕方ないよね、こんなこと言っても…。
 甘いなあ…、このコーヒー…。もう、お腹いっぱいだよ…」





 そうだね。
長い付き合いだから、君が活き活きしていた時のことも知ってる。
何か嬉しいことがあるとその場で何度も飛び跳ねていた時の君のことも覚えてる。
 我慢できなくて泣いたり、手がつけられないほど頑固だったり、夢を侮辱されると怒ったり、君も僕も、こんなにおとなしくて弁えた生き物ではなかったはずだ。
 君は舞台女優になりたいと言っていた。
僕は留学をしたいと言っていた。
それが僕等の夢だった。叶っていれば話は確かに違っただろう。
 …だが、あれはひ弱な優しい夢だった。
力を持たぬ泡沫の戯言だった。
だから現実が立ちはだかってきた時、僕らは戦うことが出来ないで、場に応じてそれに穴を穿つことのほうを選んだのだ。
 最初の一つを諦めた時は僕も君も泣いたね。
しかし、妥協は二度目からはただの頷き一つに化けてしまう。
 それはもはや躓きですらない。だから汗も出ないで、人はそれをバランスがいいと褒める。拘りの無い僕等はこの複雑な世界に相応しく、実際とても生き易い…。
 そして未来も同様に平易だ。
予想も出来ないことなど来ないね、きっと。
壁を棄てた瞬間に視界は広がり、僕等はよく言われる「公平」で「広い」視野を手に入れているから。全てが分かるし、全てを許せる。
 つまり僕らは大人になった。
引き際を心得た賢い大人になった。
 ちょっとしたおしゃれや憩いを楽しみながら、下劣にならず品を保って、人に迷惑を掛けないでそれでいてカモにもされず…。
 僕等は僕等の望んだ理想的な生活を、模範的な人生をやっている。
人に褒められれば得意になって浮つきもする。えらそうに人のおかしな点を指摘したり矯正したりするじゃないか。
 だから…。
…だから………。




 ――――――問題なのは往生際の悪い僕等自身のほうだよ。
この結論に何かを感じるなんてことがそもそも甘えてる。
 五十年先まで見えるように壁を蹴り倒しておいて、今更虚しいも何も無いだろう。虚無的な生活に後ろめたさを感じる権利など、僕等にはもう無いんだよ。
 君も僕も、幸福だと思わなきゃ…。
幸福だと思わなきゃ…。
 時間が戻っても結果は同じだ。闘えない僕等にこれ以外の結論は有り得ない。
 だから君、こんな場面でそんな文句を言うなんてやめたがいい。
それが正直な吐露であればあるだけ、悲しいほどに卑小だよ…。




 甘くて甘くて甘くて苦い。
下の方にだまになる。
この飲み物は僕等のことだ。
冷房のように優しい絶望に浸された文明の、優しくて諦めきった午後。




 だが僕等は自分でそれを注文したのだ。
そして九時間後にはまた…、月曜が来る。








---EOF-









02.07.06
to be continued


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