・・名も知らぬ君・・










あれはもう
正月など遠く離れた一月の末だった
君は夕刻
混みあう電車に友達と五六人で現れた


…アタシモウ感想文出来チャッタカラ
三日デ出来チャッタヨアンナノ



紺地の制服の
襟元からのぞく白い丸襟
それに夕焼けが映えて
その掠れた落ち葉色が
単調で苛立った鉄の体の中に
下校時間の校庭を運んできた


アタシコナイダ芥川読ンダヨー
デモアタシアレハソンナ好キジャナイ
芥川ハ……



君は大きな眼鏡をかけて
少しふっくらしていかにも勉強が出来そうだが
どんな子供とも同じで
褒められたくて認められたくて威張りたくて
少し高い声で咳き込むように
ものの分かった生意気な話し方をした


宮沢賢治ハヨカッタヨ オススメダヨ
アタシ「雨ニモ負ケズ」覚エタ 言エル



一気にまくし立てるや君は
相手の子に「うん」と言う暇も与えないで言い出した


雨ニモマケズ
風ニモマケズ



―――――大人である私は微笑んだ
そう そうやって詩を憶え
憶えたことをまた誰かに誇りたくて得意げに暗誦する
そんな恥ずかしい真似を私もまた
あの頃にはやっていたなと思って


雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク


君の記憶は正確だった
恐らくその場に居合わせた他の大人たちにも
聞かようと声もはっきりしていた
辺りはしいんとし始めて
私もじき笑うのは止め
一度も君の方を見はしなかったけれど
目を伏せたまま
じっと君の声を追っていたよ


決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ



そして駅は終着駅で 半分死んでたみんな
一斉に動き出した
電車の代わりに人が波になって
出口からそれは直に階段へと流れた
そこにもちろんまかれながら
私はまだ聞いていた
歩きながら君がまだ 力強く続けていたので


ヒデリノトキハナミダヲナガシ

夕暮れと

サムサノナツハオロオロアルキ

人いきれと鞄の角と

ミンナニデクノボートヨバレ

膝の疲労と目の痺れと精神の困憊の海に

ホメラレモセズ

君の鋭い声は響き周囲をまるで映画の中に変えた

クニモサレズ

階段を昇りながら私はじいんとして涙が出

サウイフモノニ

君も東京も昔も宮沢賢治も残らず好きになったよ

ワタシハ
ナリタイ・・・・・・




名も知らぬ君
そしてそんな気もきっとなかった君
けれどもあの時はどうも―――――
どうもありがとう













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02.04.28
to be continued


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