・・白いシーツが乾くまで・・








 あつ子さんは三十二歳で家族持ちです。
意外とすごいらしいんだけど見た目はぱっとしない東芝に勤める旦那サンと、旦那サンにそっくりな息子(カードバトルに夢中なんだって)が一人。川崎近くの新築の、広いマンションの六階にお住まいです。
 僕達はあっクンが小学校に行って、きっとリコーダーで「アマリリス」を吹いている間、部屋で落ち合ってセックスをします。
 始まったのが今年の五月。入学した大学にも飽きてきた頃、僕等は出会い系サイトで知り合いました。



*





 けだるい女の目覚めのように、窓の下でシイの木が妙に艶かしく揺れていた。
「あ! ビール飲んでる! ちょっとダメだよ、未成年のくせに!」
 バスから上がってきたあつ子さんが、結構マジな声を出す。こういう声を聞いたのは、なんかで興奮してゴムをつけないで行為に及ぼうとした時以来だ。
 バスタオルを巻いたままベッドに近寄ってくると、有無を言わさないで俺の手から発泡酒の缶を取り上げようとする。
「あつ子さ〜ん」
 がんばって缶を離さない様にしていたせいで、引き摺られるようになって後ろへ倒れこんでしまった。さかさまになった視界に、彼女が遠のいていく背中が見えた。
「ビール〜」
「お酒は二十歳になってからじゃないと駄目!」
 子供をしつけるのには慣れている人だ。びしっと言われるといつも逆らう気がなくなってしまう。
「真面目なんだから、もー」
「あと半年の辛抱でしょ? 会社に入ったら毎日のように飲むようになるんだから、今は我慢しなさい」
と、流しに片付けてしまった。流し台の側の缶ごみ入れはいつもへしゃげた空き缶で一杯になっているから、きっとあつ子さんは正しいんだろう。
「あつ子さんって育ちいいでしょ」
「何? なんで?」
 俺は顎を仰け反らしたまま笑う。
「家キレーだし、体キレーだし、何より胸でかいし」
「馬鹿、何言ってんのよ」
「それに結構真面目じゃない」
 そうだ。
あつ子さんは学歴も高いし、かなり道徳的な人だ。以前怒られた理由もこういう場面で聞くものとしては非常にまっとうだった気がする。ルーラ入れてるんだから大丈夫じゃない、と抗議した俺に、
『もしあたしがかずき君に病気移してたらいやだもの。検査してないから分からないだけで持ってるかもしれないでしょ? もしそんなことになったらあたし、一生後悔だから』
 他にも俺は知っている。
彼女はワイドショーは見ない。週刊誌も見ない。テレビはNHKばっか見てドキュメンタリーが好き。浪費もしない。外食もしない。掃除が好きでアイロンがけが得意。酒飲まない。タバコ飲まない。服装は堅実で地味。
「真面目かなあ」
「真面目だよ。なんで出会い系なんかで遊んでるの?」
ていうか、これそもそも「遊び」? 彼女は万事がそんな感じだから、セックスもまるで夫婦のもののようにする。
「あつ子さん刺激求めるようなタイプでもないし…。俺の言うことじゃないかもしれないけど、実際よく分かんないよ」
 するとあつ子さんは考え込んでしまった。
多分、彼女は考えること自体、嫌いではないんだろう。何か引っかかる事があると、別の動作をしながらも、ずーっとずーっと考えているから。
「自分でも不思議じゃないわけじゃないのよね…」
 俺はどうやらあつ子さんが長らく感じてきた疑問をまたつついてしまったらしい。結局服を着た俺を玄関に送り出すその時まで、彼女はどこか上の空で、目には見えないけれども頭の中ではぐるぐると、色々考えまくっているらしかった。
 それからさよならの挨拶を交わした後にぽつりと、
「かずき君は何でなの?」
――――振り向いた時、ベランダではためく柄物のタオルが、妙に記憶に残った。



*






 僕は自分でいうのもなんですが名のある大学に通ってます。事実、高校の頃はそこに行けば何かあるかな、と淡い期待を抱いてました。で、結論から言うと印象としてはバカばかりです。
「俺さ、ここのところ天才の孤独ってものを考えてるんだ。…すごいよね。やっぱ誰からも理解されない孤独っていうのは壮絶だろうね」
 この眼鏡君は福井だかから出てきた地方の秀才で、ディスクルス倫理学にも通じていないくせにやたらとディベートしたがる困った人です。多分、全校弁論大会か何かで金賞でも獲ったのかな。
「壮絶なの?」
 何で「誰にも理解できない」はずの天才の孤独が「壮絶」と理解されているのかはあまり考えてないらしい。
「だって壮絶だよ。世の中にこんだけ人がいて―――渋谷とか歩くと分かるでしょ、あれだけ人がいて、誰一人、自分を分かってくれる人がいないんだ…。ただの一人もだよ?」
「そんじゃ、君は自分が骨の髄まで誰かに理解されてるとでも?」

 福井君を片付けるのは簡単です。
彼はまだ、テレビでも本でも些か強調されすぎているような問題しか手の中に持っていません。いや、「まだ」というのは希望のこもった表現で、もしかしたらいつまでもそのままなのかもしれない。
 天才の孤独などという、悩む必要のないことで我を忘れることのできる彼だもの。自分がプラスティックの車で遊ぶハムスターだってことに気付かないまま、終わって行くかも知れないよ。
 そう言えば「出会い系」が事件としてもてはやされていた時、彼はこう叫んでたっけ。
「僕はあんなものにはまるやつの気持ちが全然知れないよ!」
 つまり彼はそう宣言することで、ものすごく多数の「出会い系」天才を産出していたわけだ。 はは。ごくろーさん。



*





 二週間後、あつ子さんの家に行くと、久しぶりに天気の好い日だったので、ベランダには洗濯物が溢れていた。二人で向かい合ってテーブルに座り、あつ子さんが好きなダージリンを飲む。
 出会ってもう四ヶ月になろうとしていて、落ちつく夫婦でもあるまいに、俺等はセックスを焦らなくなっている。無論、行けば必ずするのだけれど、最初俺が求めていたような「割り切ったお付き合い」というには前置きが長すぎるだろう。
 ところで午後一時だった。
言葉を交わす必要のないほどの平和な時間が流れていく。締められた大きな窓の外で真っ白いシーツが、風にあおられてくるくる、くるくると踊っていた。
 ――――なぜ、俺はこのまま帰れないのだろう。俺は自分が小学生だった頃の、飴の味する日曜日の午後を思い出しながら考えた。
 落ち着いた部屋、紅茶のいい香り、白い洗濯物、優しい(たとえどんな形であろうとも)恋人―――――。ここにあるものはどれも皆、俺の持ち物ではない。けれども故郷の風景を自慢する人のように、自分のものだと錯覚することだって出来るはずだ。
 そしてきっと俺はそれで満足だろう。目の前の女性を妻と思って夫になった振りをして紅茶を飲んで、そして礼儀正しく出て行くことも出来る。
「またね」
と、言って。それなのに何故――――――。
「あたし、かずき君に申し訳ないことしてるかな」
 唐突に、あつ子さんが口を開いた。過程の半ばから出発したようなその声が、彼女も俺と同じように物思いに耽っていたのだと分かった。
「なんで?」
「…だって、利用してるよ」
 あつ子さんは両肘をついて、その上に顎を乗せた。セミロングの髪の毛が一すくい落ち、右耳を隠す。
「利用してるの?」
図書館のカードみたいだね。
「うん、多分。
…この間かずき君と別れてから、あたしずーっと考えてたのね。後悔してないけど、なんであたし出会い系なんかにカキコしたんだろう。いや、そもそもなんでネットで出会い系になんか行ったんだろう。
 …あたしgooで検索したのよ? 偶然たどり着いたわけじゃないの。その前にインターネット・オプションの設定を『高』から『低』に変えたの。
 そこまで手の込んだ順を踏んでおいて、我ながら『よく分からない』じゃないだろって感じよね」
 俺は検索じゃない。…無料ホームページによくある、広告バナーを押してその後いくつもジャンプして、辿り着いた。そうやってクリックしてどんどん深みにはまって行った時の記憶を辿ろうとしたけれど、うまく形にならなかった。
 思い出せなかったわけではない。ただ人が犯罪を犯しているときの気持ちなんてそんなものかもしれない。考えることを一旦放棄してやりたいようにやってみる。そんな、自堕落めいてわがままで無我夢中の瞬間を、言葉で表現できるほど俺は上手ではない。
 ――――――だが、あつ子さんは違う。
「…ここの昼下がりはちょっと静か過ぎるよね。壁も厚いし、子供達は保育園や学校に行ってて三時くらいにならないと帰ってこないし…」
修辞でもってどこまでも突き詰めていく人間だ。
「昨日ね、すごく天気が悪かったでしょう。昼間から薄暗かったせいかな、あたし珍しく昼寝なんかしちゃってね…。多分、二時間くらい眠って目がさめたの。
 でもねこの部屋の中、まるで瞬き一つしただけみたいに、何も変わってなかったよ。シーンとして、無人(火曜日だから子供は学校からそのままピアノの先生のところ行くのよ)で、相変わらず薄暗くって…。
 時刻が分かんないから時計を見たら四時過ぎだったの。
あたしいつものようにつっかけを履いて、洗濯物を入れにベランダへ出たの…」
 カラカラカラって、あの音って一体どこで鳴ってるんだろうね。
「洗濯物、ちっとも乾いてなかった。朝に干したときとほとんど変わんないまま、じっとりとして薄ら冷たくて、何も変わっていないの。あれ? 今ホントに四時?
そう思った時ね、あたしああそうか――――ってなんとなく分かったの。
 結局、洗濯物が乾かなければあたし、生きていたかどうかも分からないのね。子供とパパが家から出て、帰ってくるまで、あたしの生きていた証はこれなんだ。
 時間は確かに過ぎた。あたしは確かに生きていた。
だってその分洗濯物が乾いてるもの―――――」
 ああ、言い方を間違えた。
彼女は突き詰めてしまう人間だ。
考えてしまう人間だ。
そんなことに気が付かなければ幸福に生きて死ねるのに。福井君みたいに。
「無自覚だったけど、そういうことだったみたい。あたし自分の昼を洗濯物の蒸発だけに使いたくなかった。ていうか、昼も生きていたかった。そういうことみたい」
 そして彼女は説明し終わると、かずき君を利用してごめんね、と俺に対して謝った。俺には謝ってもらうような筋合いがないような気がする。ただ体が寂しいなんて理由でこんな真似を重ねている俺は、彼女と同等どころかそれ以下だろう。
 「天才の」なんて冠詞をつけるから孤独が宝石になるんだ。それがまるで唯一無二のものであるかのように錯覚するんだよ、福井県。
 孤独は真珠ではない。路傍の砂利石だ。世界に八百万転がる顧みられないただの石ころなのだ。 事実、誰も分かってくれない。俺のに欲望てな名前がつくことには反対しないよ。でも白いシーツの生活の波に溺れて消えようとしているこの人の孤独にはお前、きっと幸福という呼び名をつけるだろう?
そうだろう?


 その後、僕達は白いシーツが乾くまでの間やっぱりセックスをしました。ひらひらひらめく影がベッドにかかるのを目にしながら僕達は…、
とりあえず、生きていました。











---EOF-









01.08.28
to be continued


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