- 藪柑子漫談 -

(三十五)エピローグ




 駒子です。お父様がお亡くなりになってもう四年が経ちます。今年はお父様をしのんで大きな集まりがありました。
 もちろん、お姉様や私たちは行きません。お母様だけがちょっと顔を出してらしたそうです。
 集まりの前に、前からよく遊びにいらしていた方々がまたおうちにいらっしゃいました。城山のお兄様や、紅梅さんや、小西のおじ様や、深山のお姉様など、すごく懐かしい方々が久しぶりに集まっておいででした。
 お母様もお楽しそうで、おめかしをなさってご機嫌もよろしくて、私も嬉しかったです。
 お昼の膳はお姉様が腕をふるわれました。すごくおいしい、と皆様に評判でした。深山のお姉様がふざけて、私のところにお嫁にいらっしゃいって仰ってました。
 よかったらお婿さんを紹介してくださいな、とお母様が皆様に仰ってました。徳永先生がきっと写真を持ってきますよ、とはりきってらっしゃいました。
 一時間も遅れて、絵描きのおじ様がおつきになりました。私は知っているのですが、お姉様がいつまでもお嫁にいらっしゃらないのはこの方のためなのです。
 お母様は多分ご存知ありません。お父様ならともかく、きっとご気分を損なわれるに違いないから、お話しないのだってお姉様が仰ってました。
 私も、お母様が破れた靴を平気で履いているような男の方とお姉様との結婚を承知なさるとはとても思えません。お姉様は考え直されたほうがいいと思います。



 皆様はお仏壇の前にたくさんお供え物をして下さいました。おまんじゅうや羊羹やカステラや、どれもみんなおいしそうな甘いお菓子ばかりです。
 どうしてお父様に差し上げるのに、こんな甘いものばかりお持ちくださるんでしょう。きっとお供えした後私たちが食べることを考えて下さってるんだろう。
 秋雄と話してそういうけつろんになったので、皆様が出られた後、私と秋雄はそこからおまんじゅうを一つずついただきました。
とてもおいしかったです。
 お姉様にはたしなめられてしまいましたけど、こうやって私たちが楽しそうにしていると、お父様も喜んでくださるように思います。
 お父様のお写真はちょっと怖くて、お口がへの字になっているのですが、こういう時に見上げると、目尻が少し笑っているように見えるのです。
 お父様はお庭にいっぱい藪柑子の株があったために、「藪柑子先生」って呼ばれていたそうです。ひびきが面白いので、父の書斎の縁側に座って、藪柑子先生、藪柑子先生と呼んでみることがあります。
 すると、お庭の藪柑子の緑色の葉っぱが駒子、駒子、と、お父様の代わりに返事をします。




(大正九年十二月九日)
藪柑子漫談 完






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