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天使を逃走
-4-









Dio non page il sabato.






*





 西果ての雲が葡萄色に染まっている。
故郷の夕焼けが嫌いな人なんているかしら。
でもあたしがこれを見るのも今日で最後ね。


 やってきたね、スカファルリさん。
立派な体を持ち、慈愛に満ちた顔つきをしたあなた。
 右手の傷はどうしたの?
そう、昨日バラを切ったときに付いたのね。
「あたしねースカファルリさん、この世界が好きよ」
 いきなり何を言うんだなんて、そんな顔しないで。あたし今本気で話しているのよ。
「君はまだ子どもだからね。
私も小さい頃は好きでたまらなかったよ」
「そーじゃないの。これはかたいケツイなの」
「決意?」
スカファルリさんは嗤った。
「そ。ありとあらあゆる汚いものや、サイテーなものを突きつけられたとしても、この先もずっと、この世界を愛していくって、そーゆーかたいケツイなの。
 …だからあたし、まずあなたを殺すね」
「なに…。…グ、グロリア! それは何だ!」
 後ろには沼があるわよ、スカファルリさん。あなたが「かわいそうな」ローザの首を絞めて、死体を棄てた沼が。
「馬鹿な真似はやめなさい」
「そうだよね。
あんたから見たら、馬鹿な真似かもね。
 ローザは馬鹿のくせにいやらしいことばかり知っている、ヤな子だった。突然叫んだり、跳ね回ったり、泣き出したりして、何の役にも立たなかったし迷惑だった。
 …でも、あたしの唯一人の友達だったんだよ。あんた達があの子をなんて呼ぼうが関係ないわ。あたし達は友達だったんだ」
「グロリア、拳銃を下ろしなさい。落ち着いて話をしよう」
「ノー」
「君はまだ子どもだから、事情がよく分からないんだ。こんな事をしてなんになる」



 あたしは笑った。そう、さすがによく分かってるね。
「分かっているわ。あたしはホントはローザの事なんてどーでもいいんだって。どうせあの子は帰ってこないもんね。あたしは利己主義よ。いいわ、さっきのは忘れて。
 あたしは、あたしの世界のためにあんたを殺すの。…ねえスカファルリさん、あたしいくつに見える? 
 あたしね、年をとらない天使だって言われてるの。これでも今年二十歳なのよ。
 あたし、閃いた十五歳の日から年とれないの。
大人になれないの。大人達がみんなであたしを欺いた、そのことに気が付いた日から、あたし出発できないの。馬鹿みたいでしょ?
 男の人と寝るのイヤ。怖い。気持ち悪い。
…あたしは不具だ。
女の子とさえ寝られなかった。
あんなに大好きなアルとさえ寝られなかった。
 あたしは世界が大嫌い。この村が大嫌い。大人が、男が、女が嫌い。教会が大嫌い。「かわいそうな」ローザも嫌いなら天使のあたしも嫌い。
そんで大嫌いなものだらけなあたしが大嫌い。
 …もうたくさんだわ。
あたしは大好きなあたしになるの。
男の人と寝られる女になる。
憂い顔も浮かべられるようになる。
 あたしはまともになるの。
そのために、あんたを殺すの。
こうしなきゃあたし、どこへも出発できない。
 あんた達の事情のために、黙って天使の人生を送っていくなんてまっぴらよ。
天使が自分に満足しているとは限らないのよ」
「…グロリア、分かった。悪かった」
 あたしはにっこり笑った。アガタさんが天使の微笑み、ってふざけてた微笑。
「…スカファルリさん、お祈りは済んだ?
 だいじょーぶ、心配しないで、寂しくないわ。
ちゃんと悪魔さんのところへ、あなたを送ってあげるからね」
「ご、後生だ、止めてくれ、…助けてくれ!」
「ローザもそうやって泣いたのよ」



 どん。と腕に重たい波。
ちりっと香る硝煙のいい匂い。
 ぱっと、ちりぢりになる赤い血がきれい。
ああ、血ってのはこんなにきれいなものだったの。ぞくぞくする。
あたし今日から、あたしの血も好きになれるわ。
 どん! どん! どん!
「ああ」
二発三発と打つごとに、あたしの中からなにか熱いものが湧き上がってくる。歯を食いしばっても、体が無茶苦茶になりそう。
「あ―――ッ!!」
 どん…! かち。かち。かち。かち。
とうとう弾が切れちゃって、
「ああああ――――ッ!!」
収まりきらないあたしは体を二つ折りにして、雄叫びを上げました。
 それからちょっとの間に落ち着きを取り戻し、ぴくぴく痙攣している男の体を、沼へ蹴り落としました。






 あたし行くね、神父さん。
今度こそ本当にこの村から、天使から出て行くの。
 迷惑をかけて本当にごめんなさいでした。
あなたが真剣に事件に取り組んでくれることを知っているからあたし、安心して出ていけるわ。
 あたし神父さんが好き。
そのきれいな優しい青い目と、低い穏やかな声が好き。





*





 ――――アガタさんに頼まれて君の部屋へ行ったら、あんまりきれいに片づいているんでびっくりしたよ。それから、とても怖くなった。
 グロリア、君は今どこにいるの。
君のために作った仮面はどうしたらいいの。君がまとめたこんなちっぽけな荷物の類の、その悲しさをどうしたらいいのか。


 グロリア。
アガタねえさんが寂しがっているよ。アイスクリームの容器も寂しがっているよ。そして、工房のみんなも寂しがっているよ。
君には過去なんかないと思って、みんな安心してたんだ。
その辛さを知っていた君じゃないか。
僕等を置いてきぼりになど、しないでくれ。
グロリア。





*






  ごめんね、アル。
 あたしアルが好き。
真っ黒で落ち着いた瞳がじっとあたしを見るとき
アルが好き。









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