コントラコスモス -2-
ContraCosmos




 自殺用毒物を取り扱っている以上、自殺について批判がましいことを言う気はない。
 本当はいけないんだけれどもと前置きするつもりもない。
 今世を統べている宗教がそれを未来に渡る禁忌と戒めていたとしても、過去に自死を克服した文明はないし、おそらく人類が総出で天国へ直行するまでの間にも、現れないだろう。
 ならばそれは、人間という生物に備え付けられた一種の機能なのである。そんな機能がどうして取り付けられているのかと問うのは自由だが私はしない。
 我々は自分のどんな生物的機能についても、二次的な説明は出来るが、最終的な存在理由など知ることは出来ないだろう。
 何故ならそういう問いは結局「何故生きているのか」という原初の問いに終着するからであり、そこへ至った途端、理論は死にうせて想像というあやふやな地図を頼りに人生分の旅をすることになる。
 私はそういう商売でないので、そんな厄介な問題は教父の先生方と思春期のガキ共に気持ちよく任せきっているのだ。その代わり、誰が自殺したいと言おうがまた実際に自殺しようが、私は何も言わない。
 何故生きるのかという問いに答えを用意しないまま、自殺を咎めるほど胆力はないということ。
 だから構わない。
故意に死のうが、親に先立とうが毒を仰ごうが川に飛び込もうが文句は無い。文句は無いから……
さっさと死ねよ。


「――でェ、あたし本当に心の底から、飲もう飲もうと思ったんですけど。ヒック。手が震えて……、どうしても、エッ。どうしてもうまく蓋が開けられなくて……」
「ええ。だから今私が蓋を開けて差し上げましたよお嬢さん。どうぞお持ち帰り下さい」
「あっ。ごめんなさい。ヒック。あたしもう、すごい動転しちゃってますね……」
「みたいですね」
「もう、ごめんなさい。こんな迷惑かけちゃって……。また人に嫌われちゃう……、ぐすっ。子どもの頃からこうなんです……。悪気はないのに要領が悪くて……」
 ……いいから帰れよ。
帰ってさっさと続きをやれ。
 こんな真昼間に毒が毒がと表から乱入しやがって。店にはちょうど常連客の不真面目リップしかいなかったからいいようなものの、他に誰かいたら当局に通報されかねないところだった。
 噛み合わせた歯の後ろでブツブツとつぶやいたが、少女は一向動く気配がない。年は十六ばかりだろうか。真っ赤になった目の淵に、もうぐちゃぐちゃになったハンカチを押し当て、死にたい死にたいと訴えるばかりだ。
 明るい以上、こちらにだって商売がある。取り敢えず店番はしてもらっているが、いい加減帰ってくれないと迷惑だ。
「いつもこうなんです。あたしもう自分がイヤ……。本当に、誰の役にも、何の役にも立ってないし、ヒック、生きててもしょうがないと思うんです……」
「…………」
「お母さんには愛されないし、お父さんにも無視されるし。あたしの辛さ分かってくれる人どこにもいない。ずっ。もう生きてたってしょうがないですよね。死のう死のうって、あたし十の頃から考えてたんです」
「…………」
「でも死ねないの……。手首に剃刀当ててみても、引く瞬間血がばーっと出るだろうなと思うと怖くなって、思いっきり出来ないし。高い場所から飛び降りてみようと思っても、高いところが怖くて階段の途中で人に助けられちゃったんです」
「…………」
「ああ、こんなに死にたいのに、どうして死ねないんだろう? どうして許してくれないんだろう? どうして神様はあたしにこんなに意地悪するの?! あたし何にも悪いことしてないんだから、せめてきれいに死なせてくれてもいいと思いませんか?」
 ……何度も断言するのもどうかと思うが、
私は自殺に異論はない。
 ――だが、その気もないのに死ぬだ生きるだとうそぶき、自傷の血を見せびらかして無理矢理他人をつき合わす奴。お涙頂戴する乞食のような奴は、親の仇か前世の敵のようにもっともっと根深いところで、かなり………
 いや、我慢だ。これが初めてというわけじゃなし、我慢しよう。
 こんなクソガキに毒を売るのは金輪際よすとして、とにかく家に帰すのだ。仕事は山積みになっている。これ以上関わって時間を浪費してたまるか。
 だいたいもう……。うわ、一時間近く話してやがる! いくらなんでも、もうそろそ……
「薬屋さん。もしあたしが死んだら泣いてくれますか? いえ、こんなこと言って馬鹿みたいだと思われてるのは分かってるんです。でもあたしという人間の、最後のお願いですから泣いてくれますよね? ほんのちょっとでもかわいそうだって思って、時々思い出してもらえるでしょ?
 ……えへへ、やだな。なんで黙ってるんですか?
今約束してくれないとあたし、笑って死ねないじゃないですかぁ」
「――――」




 うん。今、ぷちって言ったね。
切れた切れた。
 何か、少女の台詞の中に大層気に入らない語彙が混ざっていたらしい。それがどれだか分からないがともかく、縁だろうが大根だろうが綱だろうが、切れたものはしょうがない。
 私は全く無表情のまま卒然と立ち上がると、「?」と見上げた少女と一度にっこりと顔を合わせ、次の瞬間
「――ッざけんなこのクソガキがァ!!!」
掌で目の前のテーブルを力いっぱい殴りつけた。
「ひっ……!」
派手な音がして小瓶が跳ねる。
「いつまで喋ってれば気が済むんだ! つまらん真似してる暇があったら家で一日手伝いでもしてやがれ!」
「や、やだ、なんで怒るんですか?!」
 両手で自分の心臓を庇う様にしながら、少女は当惑して叫ぶ。どうして叱られるのか全く分からないといった様子だが、こっちだって何だって客相手にキレてるのか全く不明だ。
「ぐじぐじぐじぐじいい気になって駄弁りやがって! 死にたいなら家に帰ってさっさと毒を飲めばいいだろう!! 自己陶酔のバカ女が!」
「っ……! ひどい!」
「何がひどいだ! お望みだろ?! 何なら今ここで飲むか?! 死体は下水溝にでも押し込んどく。あんたが偽でも薬は本物だ、その後のことなんかどうせ関係なくなるんだからな!」
「そ、そんな。そんなの嫌です!」
「何言ってやがる! 消えるってのはそういうことだろうが! 何を勘違いしてるのか知らないが、死んで残せるものなんか一つもない! 死んだ後に広がる夢なんかどこにもない!
 虚無が嫌なら愛されようが無視されようが自分の仕事を黙ってやってろ、この唐変木!! 」
「……『仕事』?」
 その時突然、少女の目に輝きがぎらりと兆した。焦点が合ったと思うや、みるみるとその体の中に力が満ちていく。自分の言葉の中に何か、大層彼女の気に入らない語彙があったらしい。
 彼女は両手をぎゅうっと握り締めると仁王立ちになった。一蹴りされてびっくりしたせいかもしれない。どこか的を外していた少女の関節は初めて正しい位置へはまり、瞬間ものすごい強さで爆発した――たまたま目の前にいた私に向かって。
「そんなこと言われたってあたし、やんなきゃいけないことなんて何もないんです!! 何をやったらいいのかも全然分かんない!!  だから死ぬより他にすることなんかないじゃないですか!!!
 もし別のことをしろと言うんなら、何か下さい!
私に何か仕事を下さいッ!!!」



「――えっ?」


 ヘマった。
気づいた時にはもう遅い。注意一秒ケガ一生。
 やはり人間カッとなったりするものじゃない。





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