コントラコスモス -2-
ContraCosmos




 ……こりこりと、乳鉢の底の擦れる音がする。
「――売り子? こんな流行らない店に?」
「ああ全くヘマだね。珍しいこともあるもんだ。鬼の霍乱だね」
「本気か? あんな子どもに仕事できるのか? 手つきがいかにも危ないじゃないか」
 がしゃん、と乳鉢の中に硬いものが落ちる音がする。
「――あっ!」
「……言った側から」
「平気平気。人間やろうと思えば何でもできるさァ。兵隊やらガラス屋なんか、もっとガキの頃からがんがんに仕込まれる。確かに流行ってない店だがそれは表向きのことだしな。奥に入ればやることはいくらでも――」
「そのことだがな、リップ。俺は立場上どうしても毒物の売買には賛成できん。ミノスは女だし、そんな危険な商売からは足を洗って、真面目な薬屋を営むべきだ」
「俺からもそう言えって? 冗談だろ。俺がそんなこと言ったら検体にされる」
「……あ、す、すみません、ミノスさん。うっかり瓶の蓋落としちゃって、乳鉢の底が欠けちゃいました……」
「今度やったら検体にするぞ」
リップは隣の男に目配せした。
「ほらな」
 ドジな売り子の後始末をして、カウンターの前へ出る。六名ほどが十分に座れる広さであるが、ここの素っ気無いスツールに腰を預けて薬膳を嗜むのは、数人の強者だけだ。
 こないだ墓場で鉢合わせした神学生のマヒトも、そんな稀少動物の類である。機会さえあれば毒屋の廃業を唆すこの男は、今日も難しげな目つきで私に説教を垂れようと待ち構えていた。
 生憎と本日はこちらも油菓子のようにカリカリである。自分の馬鹿さ加減が頭に来てしょうがない上、相手は坊主と来ている。顔を見るなり挨拶もしないで極めつけた。
「お前らがきちんと仕事しないから毒は売れるし、私はあんなガキを雇うハメになるんだ! 少しは反省しろよな!」
 神学生は絶句する。横では不真面目なリップの肩がくつくつと揺れていた。
「……おいリップ。なんか今俺、八つ当たりされなかったか」
「やあ気のせい気のせい」
「なんなんだよう一体」
 悲しそうにずず、と茶をすすっているところへ、地に足のついていない売り子がわたわたとやって来た。
「えと、とりあえず言われた分のすり下ろしは終わった……と、思います……」
「あそ。じゃあ次はこの袋の中身を同じ要領ですり下ろして、さっきの夜弦草の粉末と混ぜる」
「え。あ、は、はい……」
 少女が混乱したまま行きかけた時、だらしなく肘を着いたリップが至極まっとうな疑問を口にした。
「ところで、その子の名前は?」
「何?」
「いや、名前。この先も時々来るんだろ? なんて呼んだらいいのかと思って」
「――……」
 自然と、全員の視線が足を止めた少女に集まる。
そういえば私も名前は聞いていない。余程腹を立てていたか、夢と思いたかったか、そうでなければ老衰だ。
 ところがいつまでたっても返答はなかった。彼女は当惑した素振りで、心底窮したようにリップのアレ? となった水色の目を見た。それから私を見たり、坊主を見たりして、その間呼吸するのもおざなりだ。
「…………」
 ここで窒息されても仕方が無い。せめて今日一日分の下ごしらえくらい済ませてもらわないとワリに合わない。
 私は目を閉じ、腕を組んで、ほとんど自棄くそに呟いてみた。
「りんご」
「……あ?」
 何のことかと気の抜けたリップの声。仕方がないんでじろりと見つつ、もう一度押した。
「だから『林檎』だよ、分からんのか?」
「…………」
 カウンターの上の籠に、二三その果物がうっちゃられている。沈黙の中で私以外の全員の視線が籠に行き、売り子に行き、私に来、また籠へ戻った。
「……良かったね。にんにくだったらどうなっていたことか」
 リップが呟くので、
「なんならドクダミ、たわし、試験管でもいいぞ」
見えるものを片端から並べていたら、カウンターで小さくなっていたマヒトが急にぶるぶると震え出した。
「ミノス……。どうも君とは真面目に生きるということについて一度じっくり話し合った方がよさそうだなあ」
 どうもいき値を超えたらしい。
額に血の筋が浮き出ていた。



-了-



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