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 毒薬を作成するのは、主に深夜の仕事になる。別段真昼間に作ってもいいのだが、やはり官憲の目は気になるわけで、連中が決して動いたりしない時刻に商売道具を広げる方が気が楽だ。
 加えて辺りが静かな方が集中できる。根暗で恐縮だが、私は夜が好きだ。
 もっとも夜が好きな奴はこの建物に私一人ではないらしい。ゼシウム科の植物の根っこをごりごりと摩り下ろしていると、中庭の方からいつものように弦の音が聞こえてきた。
 私の今いる地下一階は、正確には地下5/6階である。ほとんどは地下に潜っているが、上1/6は地面に出ていて、西の壁面は中庭に面している。鉄格子と一緒に横に細長い窓も取り付けられているので、そこが開いていると中庭の音は雨水のようにそのまま流れ込んでくる。
 リップというのは……変な男で、ほぼ毎晩中庭でだらだらと横抱きの楽器を鳴らしては遊んでいるのだが、どういうわけか地下に私がいると知っているときには(灯りが漏れるのですぐ分かる)決まって窓のすぐ側に腰掛けて、わざわざ私に聴かせようとしているような素振りを見せる。
 別段こちらから何か言うことはないし、向こうから例えばいい曲だろうなどと言ってくることも無いのだが、いるものは無視できないとでもいうのか、今晩も窓の近くのベンチに座っているようだ。
 勿論こちらは頓着せず、昼間手に入れた歯にヤスリの刃を当て、削り落としていく。独特の嫌な音がした。粉末を集めて植物の汁へ落とす。それから匂い消しの為に乾燥した別の植物を……と、椅子から立ったとき、こぼれる水のように続いていた異国の弦の音が、ぴたりと止んでいるのに気が付いた。
 
 「……かった?」
 「ううん。そういうわけじゃないの」
 
 代わりにどこかで聞いた声が聞こえる。お目当ての薬材を手に違法セットの前に戻った頃、それがあの三階の美人の声だとわかった。
 面倒だな。弦の音ならともかく、人の声は耳障りだ。会話を続ける気ならどこかへ行ってくれるとありがたい。まあ製毒の一番大事なところは終わったから、後は時間の掛かる最後の仕上げだけだが……。
 天井からいくつもの乾燥した植物が垂れ下がり、広い作業机の上には書物と乳鉢、おぞましい魔女の実験セット。それらが蝋燭の灯りでちらちらと照らされる部屋の中に、青い月の下の涼しげな会話は流れてくる。
 私は外の会話を聞き流しながら、黒いベールのご婦人ご所望、苦しいけれどバレない毒を一心にこね続けた。
 
 
 
 「どうしてマラガの楽器を知ってるの? あなたはこっちの人よね…?」
 「前ここに住んでた爺さんに教えてもらった。俺が何も持ってなかったから、多分同情したんじゃないかな。もう死んぢまったけど、いい爺さんだったよ」
 弦の音。
 「ちょっと眠れないでいたら、外から懐かしい音が聴こえるからびっくりしちゃった。『夜の小鳥』って曲弾ける?」
 「いや? よく分からない」
 「こういうのよ。よ、るの、も、りーを、しって、いる、の、は、…わ、た、し達、だーけ…」
 たどたどしい弦の音。
 そして少し沈黙の後、男が言う。
 「いや……、知らない」
 徐々に会話の速度が変わっていくように思える。
 「あなたは一人で住んでいるの?」
 「まあね」
 「……家族や恋人は?」
 リップは笑ったようだった。
 「いないよ」
 「じゃあ私と一緒だわ」
 「そうなの? どうして?」
 「色々あって無くしたから。家や畑も、嫌な親類に取られちゃった。私がぼんやりしてたのがいけないんだけどね。…だから私働かなくちゃ」
 「えらいね。アテはあるの?」
 「ええ。友達が働いているところに呼んでくれたの。そこで明日から働くわ」
 弦の音。
 「爺さんが、マラガの女は働き者だって言ってたな」
 「そうよ? 私の街じゃ男たちはみんな酒飲みで怠け者。いつも女ががんばって何とかするの」
 「いいところだなぁ。俺もマラガに行こうかしら」
 「……ふふ……」
 微かな笑い声。
 やがてまた、弦がぴたりと止まる。
 「袖口がすごく汚れてるわよ。洗濯してあげましょうか?」
 「面倒だろ? いいよ」
 「どうってこと無いわ、すぐよ。どうせ私の分も洗濯するんだもの。……でも、そうね、乾くまでの間に着る服がいるわね。
 ……私の部屋に来て。父のシャツを何枚か持ってきてるから」
 「今から?」
 「ええ。私明日早いもの。今夜のうちに預かっておかなくちゃ」
 「…………」
 弦の音。
 「……どうしようかなあ」
 リップはそれを、まるで近くに相談相手がいるかのような様子で、のんびりと口にした。
 「いらっしゃいよ。大体いつまでもこんな場所にいたら風邪引くわ。
 ……ほら意地悪しないで、立ってよ、ね」
 「…………」
 
 
 
 
 中庭から気配が消えて二十分後、毒薬はようやく完成した。消臭が今までに無くうまくいった。少し酸味があるが、標的が毎日飲むという赤葡萄酒の中へ入れば分からなくなるだろう。
 私は満足して地下室を片付け、窓を閉め、あのバカまたやりやがったなと思いながら、蝋燭の灯りを吹き消した。
 
 
 
 
 -後編へつづく- 
 
 
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