コントラコスモス -4-
ContraCosmos




 アールベジャン通りは川向こうにある。まだ新しく開発されたばかりの界隈で、それだけに威勢のいい、新しい家がたくさん建っていた。
 ここらに住まうのは大概大きな店を持っている商人たちだ。彼らの作る街並みは夜に沈んでいても分かる。実に自我的で派手だった。
「なんかこう……、通る人間たちに見せるためみたいな家だな」
 普段、古い地区にしか出入りしないマヒトが、珍しく的確な感想を口にする。
「冴えてるじゃないか。ちょっと神学生っぽいぞ」
「だから俺は神学生だってば……。なんだかお前んとこの家主を連想するんだがなんでだろうな?」
「連中に毛が生えるとここに来るのさ」
 きっと区の財も豊かなのだろう。他の地区より狭い間隔で光る街灯をたよりに、番地を確かめながら歩く。
「それにしてものどかな区だな。浮浪者が一人もいない」
「そうだな」
「行く人々の服もみんな綺麗だし……。驚いたな」
 感心しているマヒトを背に再び番地を確認すると、もうすぐ近くまで来ていた。
「お、そろそろだ。多分その通りを渡って、次の家だ。分かり易いな、ここの地区は……」
 古い街は一般に区画がバラバラで苦労する。しかしこの通りでは番地が乱れることは一度もなく、実にあっさりと目的地が見えた。安心して紙をしまうと、
「ミノス、気をつけろ」
「なんだ?」
「酔っ払いらしいのが向こうにいる。問題ないと思うがな」
 言われて顔を上げる。確かに渡ろうとしている通りの向こう側に、辺りの雰囲気にそぐわない(我々に言われたくないと思うが)、やせっぽちな男が酒に酔ったらしい足取りで歩いていた。
 歩調を変えずに道を渡る。二人して我関せず、といった顔つきのままその男の脇を通ろうとした瞬間、はて、と思った。
 どうも見覚えがある。
 どうもあの、白髪頭。どこ、かで―――
「!!」
 どうやら同時に結論に至ったらしい。私とマヒトは一緒になってざっと振り返り、やり過ごした男を呼んだ。
「ヤ、ヤナギの先生?!」
「――あーん?」
 気の抜けた声で振り向いたのは確かにモグリの歯医者、ヤナギだ。彼は一杯引っ掛けた後と見え、妙にご機嫌ななりで
「おお?! 変なところで会うじゃないか!」
我々と全く同じ感想を口にした。
 唖然と言うか、意外と言うか。思わず辺りはばからず聞いてしまう。
「こんなところで何してんだ!」
「何って、酒飲んでたンさ。帰るところよ」
「こんな通りに酒場なんかないだろう。道を間違えたのか?」
 と、マヒト。するとヤナギ先生はばたばたとしきりに手を振った。
「いやいやいや、酒場じゃなくて、知り合いのところで飲んでたのさ。こないだ綺麗な歯を売ったろ。アレ、この屋敷の旦那のでな、それ以来そこの使用人と仲良くなったってぇわけで。
 いや、いいぜ、金持ち商人の家はさ。いい酒が飲みたい放題だ!」
「先生、それは、横領だ」
「んだよ、マヒト。カタイこと言うなよ」
「そんな真似して見つからないのか?」
「今日は大丈夫さぁ。内輪のゴタゴタで、家の中も落ち着きがなかったからよ」
「――ヤナギの先生」
 思わず低く、抜き身な声が出た。のん気に話していたヤナギとマヒトが驚いて振り返る。
「……どうした、ミノス」
「一つ聞くのを忘れてた。あんたの旦那は女の為に泣く泣く歯を抜いたんだったな。それで抜いた後は、うまく行ったのか」
 すると、は、とヤナギの医師は酒くさい息を吐き、皮肉っぽく顎を反した。
「うまく行くもなにも。もともとうまくは行ってたのさ。嫌がるのを口説き落として妻にしてるんだからな。無骨で無学な旦那に似合わない、若くて美術品みたいな女さ。
 しかしアレだ。金に明かして無理矢理結婚したってろくなことはねえよ? その奥方も色んなことに細々注文つけては駄々こねて、えらく扱いづらいんだってその使用人もこぼしてたねえ。
 歯だってその奥方の希望で抜いたンさ。あなたの歯が嫌い。歯があんまりみっともなくて一緒に歩けない、一緒にいられないってもうそりゃ嫌がったとかなんとか。
 なんでもその奥方に、結婚前からの愛人がいたのが分かったってんで、昨日今日と大揉めさ。あたしに言わせりゃ、そんなのを無茶に妻にした方が悪いと思うがね。ともかくそれで今日もゴタゴタしてたってわけで……」
 ああ、何か頭がクラクラしてきた。
「……念のため聞くが、その奥方は細身で落ち着いた声の、二十五六の女か」
「れ? 何で知ってんの?」
「――――」
 答えず、目を閉じる。
 じゃ、何か?
私は、当の旦那が奥方の為に抜いた歯を使って、奥方の為に旦那を殺す毒を作ったと?
「……ミノス」
 ひきつり始めたマヒトの言いたいことは分かっていた。
「病気のけなげなご夫人はどこへ行った」
 私は腕を組み、こうなってはもう仕方がないんで肺を膨らませ、堂々と開き直ることにする。
「手遅れだったらしいな」
「フザけんなよ、この――!!」




 ペテン師。
そう続くはずだった。マヒトのもっともな苦情はしかし、屋敷の中から聞こえてきた絶叫に立場を奪われた。
「大変だ!! お医者を、早く!」
 ざわめきがそう形を成したかと思うと、我々の背後で鉄の門が開く。慌てふためいた使用人らしき男が馬に乗って、飛び出していった。
「な、なんだァ? 何が起きた?」
 ヤナギの医師がふらつく膝に鞭打って玄関へ走る。無論我々も一緒だ。開け放たれた玄関は大騒ぎだった。メイドたちがてんでに悲鳴をあげながら我先にと逃げてくる。
 うち一人をやっとのことで捕まえて聞いてみると、
「旦那様が、奥様を!!」
とのこと。
 げ。と思った矢先、二階に通じる広い階段がみしり、と軋んで我々の視線を捕らえた。
 総身返り血で赤く染めた男が、右手にえもの、左手にだらりと垂れ下がった奥方を持って立っている。気の毒な婦人の手には、見覚えのある結婚指輪が相変わらず光っていた。
「――まあなんだな、問題は」
 我々を隠すようにずいと一歩前に出ながら、大きなマヒトが妙に肝の座った背中でこう言った。
「歯並び云々じゃなかったってことだよな」




-了-


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