コントラコスモス -8-
ContraCosmos



― リップ ―

「女どもにあまりこの辺をうろつくなと言っておいてくれよ! お客さんが逃げちまうからよ」
「へいへい。分かりましたよ。ゲス豚のケチ野郎が」
 男は異様に背が低かった。顔だけが老けた子どもという感じで、またその顔が浅黒くて労苦に皺よっているから一層気味が悪い。
 喉元でごろごろと悪態を転がしながら小店から出た彼に、埃っぽい路地の隙間から何も知らない軽さで声を掛ける者がある。
「よお、カスバ」
 名を呼ばれ、小人は苛々したように目一杯顎を上げた。それが相手の姿を認めるや、ぱっと別人のような笑顔になり、同時に声まで変わっていた。
「……おや! なんとなんとお懐かしい……! リップの旦那じゃありませんか。どこをどうしていなさったんで」
「まあなんとかな」
 と、小さく手招きしたリップは実のない返答をする。付き合って路地へ入り、にやにやと無精ひげや衣服の様子などを観察しながら、小人は下からからかった。
「お元気そうで何よりです……。どうせ今も女のところにいなさるんでしょ」
「ん? ……まあ、一応そうかな」
「なにが『一応』だか。相変わらずですねえ。
 思い出すなあ。あなたがねえさん方の家に転がり込んで、四人の女とどろどろ暮らしてたの。なにも言わねぇでするっといなくなっちまって、ねえさん方えらく悲しんでましたぜ。きちんとご挨拶なさいよ」
「……まあそのうちに」
「だめだこりゃ」
「悪いが今日はちょっと聞きたいことがある」
「なんです。話が聞きたいなんて珍しいですな」
「サリアという名前の女の子を知ってるか?」
 カスバは首を傾げた。
「ええと、二人いますぜ。幼いのと、年増のと」
「二十代で年増はひどいな」
「そっちの方ですね。何か?」
「教会に通ってるっていうのは本当か?」
 リップは水のような無表情でさらりと尋ねる。それで小人も何も知らずに答えた。
「ええ、そうですね。よく神様は拝んでるようですね」
「珍しい女だな。ボツラクか?」
「いえ、そうでもないと思いますよ。母親も同じ商売だと聞いてるから……。
 あのコはちょっと頭の切れの悪いぼんやりした女の子でしてね、別に普通に神様が大事なんです。素直で親切で優しくって、だから男運が悪くてね。あっちこっちで騙されちゃあよくヤリ逃げされてますよ。まあそういう気立てのよさを買われて優しい客がつくこともあるんですが……、知ってるでしょ、そういう間抜けな女の子を滅多矢鱈痛めつけるのが楽しいっていう変態野郎もいるもんで」
「支配階級に多いよな」
「ごもっともで。あの子の客もそういう行儀の悪い金持ちが多いみたいですな。実際損な子なんですが、ひどい目に合わされても一向恨みに思ったりしないみたいでね……。
 サリアがどうかしたんで?」
「うん。……どうも事件に巻き込まれたみたいだな」
「……事件に?」
 微かに沈み込んだ勘の良い男の反問に答えず、リップは続けた。
「どうしてサリアのような立場の女が教会に通う?」
「……どうして、とは?」
「教会はこの商売の人間に対して門戸を開いていないはずだ。生殖に関連の無い性。性の快楽のみを切り取って売買する人種。坊主の言い分に従えば、売笑なんてほとんど悪魔の手先に近いはずだが」
「そうですなぁ、聖キタヌスの幻視、聖アゴステルに対する悪魔の誘惑。聖人伝の幻視には決まって裸の婦女子が登場しますからなぁ。
 坊主どもがいつも女ことばっか考えてるって証拠じゃあねえかとあたしは思うんですがね。
 ま、ともかくリップの旦那の言うとおりです。少なくとも二年前までは」
「……方針が変ったのか」
「ええ。勿論、通常のミサに参加するとまでは行きませんが、最近では一部の志ある僧達が彼女らを教会へ招き、聖書の教えを説き、望むものには告解を許すし、文字を教えてもらっている者もあるようです。
 そういうのを快く思わない一派も当然いるようですが、それに対して『聖テオドラは救われる前は弱い女であった』『迷える魂に王女も娼婦もない』と彼らは言ってます」
「立派だな。で、本音なのか?」
 カスバはオモチャのような肩をすくめた。
「さあ、坊様方の本音がどこにあるかなんて、あたしには分かりませんや。神様がご存知だといいなあと思うきりで。
 ただね、どうも聞いたところじゃ、聖堂に通う女達はやっぱりあまり商売をしなくなるって話です。そういやサリアも最近はそれほど客を取っていないなあ。
 まあ坊主たちも伊達や酔狂でやってるって訳じゃないってことですかね。こう……、身を落とす前に、もっと早く救ってやれよって気はしますが」
「……」
 答えぬまま、青い目を空に向けたリップに、小男は乾いた声で尋ねた。
「……旦那。サリアは帰ってくんですか?」
「いや。……彼女の部屋を整理してやって構わない」
 また、面を取り替えるようにカスバの表情が暗くなる。目の下に厳しい線を引いて、吐き棄てるように彼は言った。
「……ったく、神も仏もありゃしないね……」





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