コントラコスモス -8-
ContraCosmos



― ミノス ―

 感心した。
流石に才能を持った毒物師の工房は違う。何より広いし、この職業に必要な、水火風光が実に知的に配してある。
 一般人を連れ込んだら恐れおののくだろうが、同業者からするとここまで無駄をなくして洗練された工房には、滅多にお目にかかれるものではない。
 その嫌味なほど上手に作られた仕事場の椅子に、毒師ポワントスは書物に囲まれ、座っていた。
 年齢が幾つか見えない男だ。漆黒の髪に二十代の後半とも取れるが、四十路だと言われれば納得もする。人間として契約違反をしているかのような、不埒な空気が総身を取り巻いていた。
「どなたかな。注文にいらしたのでもなさそうだが」
 書物から目も上げないで背中にいる私に声をかけてきた。
 その声はつぶれていた。嫌な感じのつぶれ方だった。何か呑んだな、と私は目元を覆うヴェールの後ろで考える。
「尋ねたいことがある。毒師ポワントス」
「……毒物師は弟子でない相手の質問には答えぬ。我の生業を承知ならそれしきのこと知らぬとも思えぬが」
「古の大毒師カナスは斯く宣まった。
『毒には劇物と呼ぶにふさわしき力あり。そは召使がただの一滴こぼして主を弑す可能性、か弱き女の凶暴な亭主を一瞬にして昏倒さす可能性、即ち、寡にして逆転をもたらす力なり。』」
「ほう――?」
 ポワントスは印刷物から目を離し、椅子を回すと、工房入り口に立つ闖入者をやっと見つめた。整った顔立ちだったが、やはり嫌な感じの、泥沼のような目だった。
「この地に我以外、王都育ちの毒師がおるとは知らなんだ」
と、椅子をきしらせる。私は続けた。
「『毒屋ならず毒師たるもの、俗世の栄権に惑わされる事莫れ。』」
「『強きものの出鼻をくじき、』」
「『か弱き者を助けるが毒師の本分と知れ。』」
「天邪鬼で知られたカナスの真骨頂。如何せん?」
「師の毒で一人の売笑婦が殺害された。教会の中でだ」
「――何故我の毒と知れる」
「分析したが、成分はまるで判らない。植物性の毒であり、投与すると心臓に強烈なストレスを与え、その機能を停止させる。それほどのことしか判らなかった。おそらく渡来の新種だろう。
 無味無臭無色。実に高純度な上、投与法が皮下注射。 明らかに一般向けの毒ではない。この街にこれほどの毒物が作成できる者を他に知らない。王都にあっても音に聞こえし毒師でなければ他に」
「スジのよろしいことだ。名は?」
「ミノス」
 ポワントスは目を細めた。笑ったようにも、嘲ったようにも見えた。
「はああ。女とは知らなんだぞ。しかしこれで異様な繊細さの理由が判った」
「答えられよ。彼の毒を、注文した者の名前は何か?」
「そは求めすぎであろう、年若き毒物師よ」
「相手が聖職者ゆえ答えられないのか」
「笑止。堕落した坊主たちの何が我にとって脅威であろう。そも我は坊主どもとはそりが合わぬ。あれ相手に商売はせぬ。我も毒師なれば天邪鬼の一派ぞ」
「然様か。なれば」
 私は目を閉じた。
――坊主でないなら、とっくに考えていた人物が一人がある。
 そもそも毒は知るか知らぬかだ。知らぬ人間は絶対に使わず、知る人間は使わないで済むことがない。聖庁で詳しく毒を知る俗人が一人ある。
 ポワントスが私の沈黙を楽しんでいることは分かっていたが、その上でもしばし、心の準備が必要だった。
「聖庁参務次官コーノス」
「――我は何も言わぬよ」
 にやりと笑った男を見たとき分かった。もはやこいつは人間ではない。
 毒物師は何十年もの間毒物と親しく交わり、結果人間より毒物に近づく。神に肉薄する手を持ち、心に鬼を飼い、秩序の逆転をもたらす薬を子とするその存在は、世界に住まう染み。
 自分が毒そのものになるのである。





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