コントラコスモス -8-
ContraCosmos


― マヒト ―

 格子のはまった窓から西日が差し込み、監禁も二日目が終わろうとしている。マヒトはさすがに疲労を覚えて、そんな時間でもないが寝台に横になっていた。
 正午から別室に呼ばれ、今まで四人の司教に代わる代わるぶっ通しで告白を迫られた。マヒトはただ両手で両の膝頭をつかみ、一言も発さずに忍んだのみだ。
 全く、一体何がどうなっているのか。どうして自分が疑いを掛けられるのか、何故自分の注射器に毒が入っていたのか、そもそもそれは事実なのか、一から十まで全く分からない。こんな見えない霧の中では、サリアの死を悼む暇もなかった。
 本当は、彼女の行いの一々を思い出し、彼女の仕草や話し声を繰り返しかみ締めて、その死を悲しく辛く思いたかった。しかし今そんな心が弱くなるような真似をしたら、鈍い自分といえども折れてしまうかもしれない。
 マヒトはそれだけはならぬと唇を噛み、やむを得ず彼女を知る人間としての義務を先延ばしにしていた。そしてそのことが、自分が監禁されたり不当な扱いを受けていることよりずっと辛い。
何より彼女に悪い。
 そもそも……、どうしてあの温厚な女性が殺されねばならなかったのか? マヒトは緊張を解くついでにその問いもこっそり紐解いた。司教たちは彼の上にその答えを探そうとしているようだが、彼は自らの潔白を何よりも簡単に知っている。
『彼女から非道な告白を受けたりしたことはなかったのかね?』
 こう聞いてきたのは誰だったか……。ヨシュア司教だったか?
 非道な告白って、一体何のことだ。マヒトには本気で意味が分からなかったが、その語に滲む情欲の香りだけはなんとか感じ取った。
 そしてそれを馬鹿な。と否定する。
自分とサリアはただ准司祭と信徒というだけのことだ。そもそも彼女の告解僧になったのだって、三ヶ月前とかそれくらいからのことじゃないか。その前に誰に着いていたのかよく知らないが、告解自体も三回だけ。
 それでどうやって懇ろになるというのだ。
なれるわけがないだろ。
 正道な男女関係しか知らないマヒトは、かえって司教たちを馬鹿だと思い、もちろん司教たちは彼を馬鹿だと思うしで、互いに妙な沈黙の中で長い間にらみ合っていた。
『一番最後の告解の際、彼女はどんなことを話したのか?』
 などとフザケたことを聞いてきた司教もいた。全体何を考えているのだろうか。告解の内容は喩え相手が王でも法王でも、絶対に漏らしてはならない。
 不問(罪を問わない)、不責(責めない)、不疑(疑わない)と同様に、秘密は告解という行為の永遠の基盤だ。
 それがどんなに他愛のない内容でも、彼女が死んだ今となっても、一言たりとも他言は出来ぬ。彼女の最後の微笑みは、自分が墓場まで持っていかねばならない。ただその誓い故に、人である我が身が神と人との間の架け橋となることが許されるのだから。
 大体、その最後の内容も、彼らが知りたがるようなこととは思えない。あれは告解ですらなく、ただ娼婦らしい人生相談だったと思う。

――神父様は、気になさいますか?

ああ……。そうだ、この声だ。

――実は私を身請けしてくださるという方がいるのです。

 マヒトは寝返りを打ち、背を少し曲げて横になった。

――私も、相手の方のお心をとてもとてもありがたく思っています。けれど。

 その彼女が、同じ告解室で、人形のように棄てられていた。

――私、その方が正しくない方法でお金を稼いでいることを知っているんです。
――勿論、それと私の身が自由になることとは、直接関係ない、ということは分かっているのですが。
――神父様は、私のことを汚い女だとお思いになられますか?

 誰が、あんなむごいことを。
あんな、あんな、喩えようもなくひどいことを。
 抑えがたい悔しさで、涙が出る。
 戒めていたのに。やはり駄目だ。
どうやら自分は一生、冷静になることなど出来そうもない。

 ――私が気にするかどうかとお尋ねですが、それよりもあなた自身が気になさるかどうか、そのことの方が重要ではないでしょうか……。
 あなたは既に少し迷ってらっしゃる。自分のお心に素直におなりなさい。自分の心に尋ねてみて、自分が許せないのならお止めなさい。もし大丈夫なら、お進みなさい。
 たとえ人は許さなくとも、主は必ず許してくださいます。自分の心に嘘偽りなく道を選んだ結果としての過ちは、必ず分かってくださいます。
主はそういう方なのです。

 ――ありがとうございます。はい。
私は自分に素直になります……。



 誰かがドアをノックするので、マヒトは両手で顔を覆い、二、三筋流れ落ちた涙の跡を消した。
「入るよ、マヒト。僕だ」
 親しい神父ヒルデベルトの声だ。マヒトは寝台から体を起こし、呼気を落ち着けながら、彼が入ってくるのを待った。
 馴染みの、優しい顔を見るとほっとする。積み重なる理不尽な一日の終わりに、やっと心許せる仲間にめぐり合えた。
 ヒルデベルトは同時期に同じ街からコルタ・ヌォーヴォへやってきた神父の一人だ。努力家で真面目なところも好ましいし、寮で同じ部屋にいたこともあって、入学以来の長い付き合いだった。
「今日も一日大変だったな、大丈夫か?」
「何とか……。元気なのが俺の唯一の取り柄だからな。体力で乗り切るさ。……なんだそれは?」
 と、指差したのは、彼が手にしていた小さな籠である。ヒルデベルトは微笑んで、寝台に座る彼の膝の上にそれを差し出した。
「かわいいお嬢さんがお前に差し入れだと。中はまあ果物だったから、許可を頂いて持って来たよ」
「え? お嬢さん? かわいい?」
 マヒトは何やら合点が行かぬ風に呟きながら籠の中を改めていたが、やがて大きな手が真っ赤な林檎を取り上げると、
「あ――。なるほど」
と、柔らかい声が出た。 ヒルデベルトは笑って腕を組む。
「君の無罪を信じているそうだ。優しい子だな。どこの子だ?」
「いや。知り合いだよ。『林檎』だ」
「林檎だな」
「いや、違うよ。違うってこともないか。正しいんだが。――とにかくありがたいな。また泣いてしまいそうだ」
 冗談だったのだが、ヒルデベルトは本気でちょっと驚いたらしく、意外そうな顔でマヒトを眺める。
「泣いたのか? 君が?」
「うんまあ、ちょっとサリアのことを思い出して。俺だって、たまには泣くこともあるさ。あの子はいい子だったんだし。
 あ、他の人間には言うなよ。」
「分かった。そうか」
 マヒトは照れ隠しに、手にした林檎の表面に息を吹いて小さな埃を飛ばすと、かしり、と音を立てて赤い皮にかぶり付いた。
 そうだ。へこたれるわけにはいかない。こんな非道がいつまでも続くわけはないのだから、神に祈り、耐え忍んで、そしてまたあの日常に帰らねばならない……。
 林檎がうまくて安心したためか、何かと気が緩んだせいか、マヒトは早めに眠たくなり、その晩は久しぶりに、海に沈むように深く眠った。






<< 目次へ >> 次へ