コントラコスモス -9-
ContraCosmos




「売春というシステムは喩えて言うなら人に引かせる馬車のようなものだ。車輪が回れば回るほど金が儲かる仕組みになっている。商品の消耗は激しく、頻繁な交換が必要だが、不幸な女、或いは男達はいくらでもいる。そしてその馬車に乗りたがる連中も上下の別なく尽きることは無い。
 王都なら高級軍人や王侯貴族の堕落を相手にする売笑があり、それを管理する組織があるだろう。ここは聖庁だから、商売の相手は半分が僧侶になる」
「当然だな」
 私の相槌にコーノスも白けた表情で頷いた。
 正義には生憎だが、そんなことに驚く人間はこのコルタにいないだろう。
 勿論聖典は聖職者の性行為を戒めているのだが、何しろ教皇猊下にすら「甥」「姪」がいる世の中だ。問題視するものがあるとしたら、潔癖な修道会くらいだろう。
「聖庁がここに移ってから、娼婦の数が増えたんじゃないのか?」
「その通りだ。都市が大きくなって人口が増えたし、集まる富の量が変わったからな。聖庁の『恩恵』に与ろうと商売人が集まってきた。
 だが人身売買も、売春も、僧侶の好色も、それほど目新しい動きではない。もしサリアが痴情の縺れの果てに殺されたのだとしたら私も特に問題にしなかった」
 コーノスの顔に、ごく僅かな嫌悪の影が滲んだ。気を落ち着けるように両手を後ろに組み、しばし間を置いてから、彼は続けた。
「二、三年前からだ。奇妙な動きが起こり始めた。聖庁やそれぞれのサロンで商売をする女たちの量が変に増えていったのだ。
 しかもその女たちがどこから来てどこへ行くのか旧来の情報網では把握できなかった。少なくとも、我々が見逃しつつ管理してきた売春組織の仕業ではなかった。
 全くの別ルートだと判断した私の下世話な部下たちは、醜悪な推測を投げてよこしたよ」


聖庁内部にこの組織を運営する者がいると考えられる。最上流サロンへの浸透を鑑みるに、高級官僚である可能性が高い。


「連動する事実がある。三年前人事の大幅な改編があり、一人の高名な枢機卿が弟子を引き連れ聖庁へやって来た。
 南部の都市で民生について優秀な成績を収めた尼僧で、赤字を出さない組織の運営に長けている。また貧民の救済にも熱心で、一部には彼女を『聖女』と呼ぶ連中もいる。
 彼女は大聖堂での聖務一切を取り仕切る責任者に就任し、ここでもまた、石頭たちの反対を押して娼婦に対する教会の門戸を開放した」
 そこまで言われれば私にも見当がついた。三年前に就任した女性の枢機卿と言えばナタリア枢機卿しかいない。四十を少し越したばかりの、そうとは見えぬ美しい尼僧で、確かに熱狂的な信者からは『聖女』と持ち上げられている。
 貧民街を裸足で歩いて人々を見舞ったり、孤児たちを集めて教育したり、そう。不幸な女たちを教会に集めて読み書きを教えたりミサを開いたり――。
「なかなか世紀末的だな」
 感心した私が頬を押さえると、コーノスは肩をすくめた。
「話としては単純なものだ。経済の才能のある者が、非常に儲かる商売に手を広げたというわけだ。それを衝撃だと我々が思うのは、聖職者たちに対して期待があるからだな。
 おそらくサリアは、教会に通ううち、組織に引き入れられて聖庁内部で商売をしていた。ところが何を思ったかこの度その秘密を誰かに漏らそうとした。それで消されることになった。
 その罪を被せられている以上、彼女が告白しようとしたか、実際にした相手はマヒト君だろう。それで彼は陥れられ、一緒に消されようとしているわけだ。殺人罪は縛り首だから」
「火あぶりじゃないのか」
「それは放火と背教者」
「で、どうする? 相手が枢機卿とあっては表からはどうにも出来ないだろう」
「そうだな。どうにも出来ん」
 あっさりとこの痩せカラスは認めた。枢機卿などと、一歩間違えれば教皇にもなれる雲の散歩人だ。海千山千のコーノスとは言え、下手に動けば上から軽く潰されてしまうだろう。
「どこまで聖職者たちを抱きこんでいるか計り知れぬところもある。商売の内容から言って、聖庁の近衛隊は充分たぶらかしてあるだろうし――」
 だが、相手が蓄財し二枚の舌を使いこなす聖職者なら、彼とて尋常の公僕ではない。一向参った様子も見せないで、唇の端をゆがめた。
「だから裏からどうにでもさせて頂くさ。
 枢機卿だぞ――。双世の権勢を恣に出来る立場にありながらその上さらに弱者を貪るなどと、そんな一方的な力の流れを許すわけにはいかん。
 娼婦なら利用しても構わないなどと一瞬でも思ったお方には、それ相応の罰を受けてもらうさ」
 いつになく断固とした口調だった。
 昨日から思っていたのだが、この鳥づらした男がこれほど能動的かつ感情的に動くのは珍しい。そもそも私に頼みごとを(負債を盾にしたとは言え)すること自体、今までになかったことだ。
 何か理由があるんだろうとは思ったが、人のことなので黙っていた。するとコーノスはそれを察したらしく、
「何も聞かんのだな」
と笑って私を見下ろす。
「それだからリップ君も君のところを離れんのだろう」
「なんでそこへ行くか。あれはただ面倒くさいから出て行かないだけだ」
「ではそういうことにしておこう。
 夜分にご苦労だった。話は終わりだ。マヒト君は数週間のうちに普通の生活に戻れるだろう。私がヘマをしなければだが。
 した時は連絡する。その時には君たちに牢破りをしてもらおう」
「負債がいくら減るか楽しみだよ」
「そうなったら私は死んでるな。……なんだその目は、バカなことは考えるな。無論借金は子供に――」
 コーノスの台詞が途中で止まった。
椅子から立ち上がりかけていた私も吊られて止まり、扉を半開させたまま固まっている彼を見やる。
「コーノス?」
「君のところのお嬢さんがいないぞ」
「――なに?」
 嫌な予感が音を立てて両肩にのしかかった。慌てて彼と一緒に執務室へ入るが、趣味のいいガラス達が蝋燭の明かりを受けてきらきらしているだけで、バカ林檎の姿はどこにも無い。
 しばらく二人して黙り込んだ後、
「……ここからマヒトのいるところまで行けると思うか?」
 我ながら冷静な声が出たのが不思議だ。頭の中では貧血を起こして三千回は死んでいた。
「いや、無理だろう。どこかで衛兵に見つかる」
「……だよな」
 右回りに回転する額を押さえると、
「どうしてくれるのかな、ミノス」
ぽん、と痩せた手が私の肩を叩いた。
「ひょっとして君は私を殺す気かな」
「……」
「利息一割増」
「林檎ォ――!!」



「林檎がどうかしたの?」
 ふいに、部屋にいないはずの男の声がした。私とコーノスは反射的に壁に隠された小さな扉を振り向く。三十分前、私と林檎が入ってきた通路に通じる扉だ。
 そこにはどういうわけかお調子者のリップが、見たことのない背の低い若い男と一緒に、ドアの隙間に挟まっていた。
「何だリップ君――」
「お前、こんなところで何してる!」
 私の剣幕にリップは目を丸くすると、咄嗟に逃げようとした傍の男の襟首を引っつかんで引きとめた。
 男は少し抗ったが、結局諦めてだらしなく床に崩れる。なんだか肝臓の悪そうな男だった。
「いや、店でミノスらの帰りを待ってたらさ、突然この人達が勝手に店の中に入ってきたから。聞いたら教会の人間だっていうから――」
「教会の人間が、ミノスの店に?」
 それが指し示す事実は一つだ。コーノスは不審げな私の眼差しを見ると、ばたばたと手を振った。
「冗談じゃない。私じゃないぞ。断じて尾けられてない」
「うん。この人じゃない。この物分りのいいお兄ちゃんの話によれば、今日の昼間女の子が一人、マヒトに差し入れだって林檎を持って、聖堂へ来たんだってさ」
「…………」
 もう下がる血の気が残っていない。あれほど教会に近寄るなと言っておいたのに、一体私は何のために面倒くさいのを押してクドクドと……。
「どうも稀に見るいい人材のようだな」
「まあもうやっちゃったことは仕方ないよ。あの子は後でお尻ぺんぺんするとして――どうする?」
 なんとも具合の悪そうな表情を浮かべた小男を放さぬまま、リップは私たちの顔を見る。
「なんかねえ、あんまりマヒトががんばるんで、上が薬使う気になってるらしいよ」
「薬? 何を」
「『真実の薬』だって。ミノス知ってる?」
 知ってるも知らないもない。最悪だ。そんな薬、飲まされるならまだいいが、サリアのように皮下に打たれたら、あのマヒトと言えども意識混――いや、正気が危ない。
 戦争時、後始末を考えないでいい敵軍の捕虜に使うような部類の自白剤であり、察するに枢機卿はもう、マヒトが縛り首になろうが薪の上で死のうが今部屋で死のうがどうでも構わないらしい。
「そんな状態のところに林檎が捕まったら、一緒に殺されちゃうよねえ、多分……」
 深刻な内容を話しているくせに平然とした顔でリップはカリ、と頭を掻いた。
 どうでもいいがあのバカ林檎は自分が助けたいと思っている人間の首の縄を自分がぐいぐい締めているのだと知っているのだろうか。
 ……知らんだろうな。
そもそも知っていたらこんな事態になるはずがない。
「仕方ないな」
 黙っていたコーノスがため息と共にそう言った。厳しい顔つきで私たちをねめつけ、腕を組む。
「私の部下たちに命じて衛兵の詰め所を幾つか襲わせるから――」
「あらあ」
 と、リップ。
「その間に何とかして牢を破ってマヒト君を連れ出してくれたまえ。危険度が高い者から優先だ。あの爆弾なお嬢さんは一般人だから、よし彼らに捕まってもおいそれとは殺されないだろう。
 それも夜明けまでもつかどうかといったところだが、とにかく状況を変化させないと連中は前進してしまう。それに少ない時間の中でお嬢さんを優先させればマヒト君は切り捨てになる。
 後のことは後で考えよう。取り敢えず行け。自分の撒いた種の後始末くらいして行ってくれたまえ。
 それで利息は二割増くらいかな、ミノス?」
「…………」
 私はほとんど白目を剥いてコーノスを見た。
「おっけー。じゃあ行こうか。案内してくれるよね?」
 リップはぐい、と小男の襟を引く。彼は逆らう力もないらしく、動物のように引き上げられ、立たされた。
「そういや店に来たのは何人だ?」
「四人」
「他のはどうした」
「素人さんばかりだったからまだ寝てると思うけどね」
「ふうん」
 少し思うところもあったが人のことなので黙っておいた。リップは少し嬉しそうに笑うと、正面の「本物の」ドアを開け、小男を引っ張るようにして廊下へ出た。
「じゃあ案内してもらおうかな、マヒト神父がいるところまで」
 何度か歩いたことのある聖庁の豪華な廊下は時刻が時刻なだけに静まり返っていた。ふんだんな蝋燭の炎が、全体を橙色の洞窟のように見せ、ちらちらと揺れては我々の影を震わす。
 リップの後ろに着いて歩きながら、私は仕方がないので上着の裏を探り、刃に薬を塗った小さなナイフに指先で触れた。





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