コントラコスモス -9-
ContraCosmos |
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何をおいても時間が無かったので、犬のような小男を脅しまくって普段の会合の場所を聞き出した。そんなものはコーノスが調べればいいだろうと思っていたが、こうなっては仕方がない。 これ以上この件でヘマったら、私の負債が増大してしまう。今でさえけちけちしないではやってられないのに、これ以上懐が淋しくなってたまるか。 「しかしまあ、大聖堂の地下とはね」 リップが回廊を走りながら呆れた様子で呟いた。 確かに大聖堂は夜課さえ終了してしまえば無人となるし、聖庁の宮殿とも僧房とも離れているから鍵さえ持っていれば秘密の会合にはもってこいだ。神の罰さえ恐れなければの話だが。 結局、ナタリア枢機卿は地獄の炎のことなぞ信じていないのだろう。いや、そもそも今時、聖典の記述と勧善懲悪の掟など信じている方が少数だ。 コーノスが言ったように我々は聖職者に期待する。しかし最も有能な聖職者が集合するコルタ故に、原初の盲信は意識的に保護される形(「倫理委員会」とか)で残存しているに過ぎない。 聖書や宗教は世の正義を説き、悪が滅びる過程を説くが、実際の世の中ではどうだろう。善良な魂を持った真面目な人間が尊敬されているだろうか? 節制を知る、地味な人間が軽んじられないで済んでいるのか? 人々から財を吸い上げ、騙し取った人間は軽蔑されているか? 虚飾に耽り、金銀で全身を固め、流行の服に身を包んだ金持ちは不人気だろうか? 神の正義を信じれば、現実の理不尽と矛盾に苦しむ。ナタリアはそんなものに頓着しない。世の汚さに煩悶しない。その迷いの無さが、彼女に成功を運ぶのだ。 だが、あの石頭のマヒトがそんな話を受け入れるとは到底思えなかった。恐らく今ごろ自白を迫られて……薬を、使われる前だといいが……。 「見張りだ」 リップが柱に身を隠すので、私もそれに続いた。深夜の全力疾走に不整脈が来ていて、忌々しい。 「マヒトはどうやらここらしいな。さて、どうしようか……」 扉の前に見張りの僧が二人。呼子らしきものを首からさげているのを見て、リップが振り向く。 「何か薬ないの? 眠りの霧みたいなの」 「アホ。こんな広い場所で使えるか。飲ませりゃ別だが、薬片手ににじり寄っていったらものすごく怪しまれるわ」 「そうだねえ。うーん……」 と、その時、僧房の方角で一際けたたましい非常呼集の鐘が、辺りに鳴り響いた。今までの鐘は全て聖庁内部で鳴っていたが、今回のは近場だったから回廊を通って聖堂前まで響いてくる。 「おっっ」 我々も驚いたが、見張りはもっと驚いた。何が起きたかはよく分からないが、とにかく人々が起きてきそうな事態だ。夜間立ち入り禁止の聖堂に自分たちがいることが知れたら面倒になる。 辺りをきょろきょろ見回しながら、しばし相談していたかと思うと、彼らは迂闊な選択をした。一人が内部へ異状を知らせに走り、一人が僧房へ様子を見に戻ったのである。 「コーノスの旦那は有能だね」 リップがほとほと感心したように首を振る。多分あのカラスは、部下からマヒトが許可なく連れ出されたことを知らされて、気を利かせたのだろう。 「債権者としては最悪だがな」 「行きますかねえ」 「ん」 柱から飛び出し、扉にたどり着く。薄く開けて中へ入ると、昼にも増してひやりとした空気が、高い天井まで一杯に詰まっていた。 聖堂内に灯りはない。ただ、ちょうど中央辺りに位置する豪奢な説教台の腹の部分から薄明かりが漏れ、天使たちの透かし彫りを下から照らし出していた。 「…………」 ここまで来たら、無傷では帰れない。監視室に閉じ込められている時は見張りだけを何とかすればよかったが、恐らく中にはもっと多量の人間がいる。 今更作戦を練っても仕方がないな。と目で伝えてきたリップは、小さく頷いて走り出した。仕方がないので私も腰につけた袋を開いて薬品を取り出し、後に続く。 小さな扉を開いて見えたのは、下へ続く狭い階段だった。微かに甘い匂いがするな、と思うやクソ、とリップが悪態をついて降りて行く。 足音はなかった。どこかで消す訓練を受けたらしかった。ちょうど私と同様に。 二十段ほどの階段の終わりまで、運良く誰にも当たらずに済む。広間に出た瞬間、私は布を突き通して強烈になった甘い匂いに驚いてあたりを見回した。 広間には東西に一つずつ扉が、中央に祭壇があった。決して一般信徒が礼拝を捧げることのない、聖堂における「本物の」祭壇だ。 つまりここにはこの聖堂の核であるところの、聖人の遺物が修められている。コルタ・ヌォーヴォの聖堂が掲げているのは女性では聖母に次いで高位とされる、聖テオドラの遺骸のはずだ。 とは言っても、本人の存在は神話時代の話だから、その信憑性たるやかなりあやしいものだ。しかしこの溢れんばかりの匂いは一体なんだろう。地上にある聖テオドラ像のように、信者が香を焚いている様子はないが……。 リップも合点が行かない様子で地味な祭壇に一瞥を投げたが、気配を察して西の扉の脇へ張り付いた。 「……は一旦行きます。お気をつけて……」 若い声が聞こえ、扉から溢れる光が祭壇をさっと撫ぜた。何も知らず出てきた若い坊主の目の前に、ものも言わず私が立っている。 彼が呆気にとられて立ち尽くした瞬間、リップの手刀がその首根っこに落ちた。唸り声を発して坊主が床へ崩れる。彼が下へ行ったので私の前に部屋の中の光景が開けた。 不快なのであまり詳しく書かない。ただまあ言えるのは、三メートル四方ほどの部屋に六人の男と三人の女がいたということだ。火事が起きたら何人がそのまま逃げられるやら。 手前にいる林檎は猿轡に手縄とはいえ、とりあえず衣服はまだ剥がされる前だった。それだけ確認してまあ良しとし、私は手にしていた薬の瓶を二つ、唖然とするサルどもの中へ投げ込み、尚且つ起き上がりかけた坊主を押し込むようにして扉を強引に立て切った。 リップが隣に来て一緒に扉を押さえる。中からはわーとかぎゃーとか声がしたが、やがて二分もすると、無気味なほど静かになった。一人一人片付けているより絶対楽だ。こういう狭い部屋でないと、効果がないのが難点だが。 すっかり静まった頃、 「ああイケナイ林檎ちゃんも眠らせてしまったわ」 棒読みで私が言うと、連れは流石に白けた顔をした。 「絶対ワザとだろ、お前」 「まあ、マヒトが立てれば後で一緒に連れ出そう」 二人して離れると、今度は東の扉へ向かう。 こちらは比較的静かだった。少なくとも乱交をしているわけではなさそうだ。 勧めたナイフを断るリップと一緒に、私は扉ににじり寄って聞き耳を立てる。 それほど人数がいる様子ではなかった。 一人盛んに話している男がいて、それが「マヒト」と名前を呼んでいた。 思わず目を鋭くさせてリップを見ると、彼の方は「そんなに怖い顔すんなよ」といった調子で見返してくる。 同様に投げ薬を使おうと掌にガラス瓶を滑らせたが、それに応じてドアを開こうと側に立ったリップが、ふいに待て、と掌を構えた。 注意は中で交わされている会話に向けられていた。 私も気勢を殺がれた顔のまま、つられて扉に耳を近づける。 「あの少女はお前の何なんだ? 恋人か? お前にそんな真似が出来ようとは思ったことがなかったよ。だがなんでも、夏至祭では女性と踊っていたそうじゃないか……」 |