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コントラコスモス -12-
ContraCosmos




 薬草を取りに城壁の外へ出入りする時、大道は使わない。行きはともかく帰りの籠の中には法律で所持を禁止された毒草も入っているわけで、それを頭のいい衛兵に尋ねられたりするのは具合が悪いのだ。
 籠を両手に持った林檎とリップも、北の古い門の一つを使った。ここは付近の住民が用事がある時だけ使うような小さな寂れた出入り口で、普段は警備もなく夜も締切られるだけのいい加減なところだ。
 行きは何の問題もなかった。ところが籠を草や根で一杯にしてくたくたになって戻ってきたら、その門の前で検問が行われ、留め置かれた人間達が十人ばかり列になっている。
「な……? なんで? こんなところで検問なんて……」
 うろたえた声を出す林檎の傍らでリップには見当がついていた。昨夜の殺人事件のアオリだろう。不審な人物が出入りしていないか調べているのだ。
「大丈夫だ。今日は大してやばいものを持ってるわけじゃないし、ここに回されるような連中は草見たって何が何だか分からないよ」
「今日は大してって……。もっとやばいものを持ってたことがあるみたいな言い方ですね」
 林檎の疑惑の眼差しに、リップは愛想笑いで答える。無論ミノスにかり出されるような時は、植物程度では済まない。
 列の最後に着いた時、背中から聞き覚えのある大きな声が二人の名前を呼んだ。
「――おい、林檎とリップか?」
 振り向くと、黒づくめの神父服に馴染みの帽子を身につけた神父マヒトが立っていた。思いがけない場所で会うものだが、相手は彼らの格好を見てすぐに合点が行ったようだ。
「ああ、原料の採集かあ、ご苦労さん。林檎、その籠一つ持とう」
「あ、ありがとうございます。じゃあお願いします。これ重たくて」
 と、マヒトも一緒に列に着いた。聖庁の人間は順番を抜かしてもすぐに中へ入れるだろうが、これが彼の性格だ。リップはちょっと微笑んだ。
「それで、お前はどうしてこんなところに?」
「北区墓地で解剖だ。朝一で開始したんだけど、長引いて、しかも俺は後片付けもあるから時間がかかってな」
「珍しいですね? 長引くなんて。マヒトさん、得意中の得意でしょ?」
 林檎が首をかしげると、マヒトは苦笑いした。
「いや、今日のは普通の解剖と違うんだよ。昨夜、旅行者の男性がラーギン街で殺されたろう。家族がその遺体を領地まで持ち帰りたいと言ってな」
「遺体の都市間移動は禁止だろ」
 中世代に猛威を振るった黒死病防止策の名残である。
「そうなんだが、こういう場合は大抵特別措置が取られるんだよ。遺体を開いて防腐処理を施してだな――」
「すごい! じゃあマヒトさんその遺体を見たんですね?! どうですか? すごかったですか?」
 会話に割って入ったミーハーな聞き方に、マヒトは少し眉を寄せる。
「いいかい、林檎。これは非道な殺人事件なんだ。まず第一に被害者と家族の心情を慮るべきで、遺体がすごいとかすごくないとか――」
「いつも思うけどお前、よく解剖なんかやってられるな。それはそうと、順番だぜ」
 軽装備の若い兵士から、名前は? 住所は? 何の用事で外に出ていた? などと杓子定規なことを聞かれる。林檎を下がらせてリップが当り障りなく、それでいて不誠実な回答をしている時だった。
 不意にまだ越えぬ門の彼方(あなた)で、騒ぎが起きた。耳に怒鳴り声と、数人の足音。そして剣戟の音。姿は見えないがそれらの気配は建物の影から流れてきた。
 最初にそれに反応したのはリップだった。突然反れた視線を追って尋問中の兵士が後ろを振り向く。ほとんど同時に、長い外套に身を包んだ男が一人、門の前の道に飛び出してきた。
 手には血染めの剣。男も血まみれだ。リップの目の前で若い兵士が瞬間。息を飲んだのが分かった。
「ひゃ……?! ひゃ……!!」
 変な声を出してるのは林檎だ。しかし実際目の前で何かが起きても、小説のような悲鳴はうまく出せない。
 尋問を行っていた兵士たちでさえ虚を突かれ、居合わせたまばらな通行人たちと全く同様に、危険を危険とも覚えずその場に固まっていた。
 もどかしいほどの一秒の後、男の背後から武装した兵士たちが現れた。聖庁の近衛兵たちだ。
 外套の男が門を見た。なかんずく、丁度中央に立ってこちらを見ているリップを見た。
 二人の視線が衝突した瞬間、男の体が地を蹴る。ベクトルは門を指している。本能が逃げなければ! と発動する間にも、男とその剣は迫っていた。
 林檎は突然肩に衝撃を感じた。と思うや後ろに思い切り突き飛ばされる。重心を失って悲鳴を上げそうになった体が、マヒトの大きな胸に抱きとめられた。
 その目に舞い散る薬草の中、棒立ちになった若い兵士を今度は横様に突き飛ばす、リップの後姿が映った。
「うわっ!」
 門の柱にあたって兵士が転ぶ。開けた道を滑るように走る男の手が、リップの首に巻きついた。ツルのようななめらかさで回り込んだその腕が次の瞬間、狂いのない角度で彼の頭を固定し、広げられた首筋に剣の刃を見せ付ける。
 事態はそれで決まった。
近衛兵たちも、突き飛ばされた兵士も、未だ唖然としていたマヒトたちも、結界を張られたかのように入ることの出来ない境界を思い知った。
「その場を動くな。二度は言わん。これ以上追うな」
 冷静な声が言う。
それで近衛兵達の動きがひとまず止まった。
 リップの両手が持ち上げられて、彼らに掌を見せる。男は丁度同じくらいの身長である彼の体を引きずるようにしながら後退した。一歩ごとに、リップの喉元に当てられた血染めの剣を見せながら道を開けさせ、とうとう門の外へ出る。
「卑怯な! 彼を放しなさい!」
 呪縛から解けたマヒトが神父としての立場で叫んだ。
「何があったか知らないが無関係な人間を巻き込むとは何事です! 今すぐ彼を放しなさい!」
「…………」
 聞こえないでもないらしい。男がマヒトを見る。
 ――ぞっとした。その男の目にはなんら手がかりになるようなものがない。怒りも反発も興奮すらそこにはなかった。ただ静かに何かをなくし、言葉もなく狂っている。
 係わり合いになってはならないという生物としての予感が、マヒトの胸をひやりと包んだ。
「……一言でも喋ればこの男は殺す」
 結局、男はマヒトの義憤に剣による立場の違いを説明しただけだった。さらにリップを引きずり、充分な距離を取ると叫ぶ。
「門を閉じろ!」
 兵士たちは逆らう、というよりも呆然としていてその言葉への反応が遅れた。
「貴様らの失態で死体を一つ増やしたいのか?! 門を閉じろと言っているのだ!!」
 王都訛りだ。マヒトは男たちが慌てて動き出す最中にあって思っていた。
 右の扉が閉められる。次いで左の扉も。思わずマヒトは叫んだ。
「リップ!」
 髪の毛に隠れてさっきから彼の表情が見えないのだ。
「リップ!!」
 風景が消えうせる最後の一瞬、リップの右手がちょっと動き、「心配するな」とその口元が小さく動いた……。
 ごん、と音を立てて色が断ち切られる。その向こうから男の鋭い声が響いた。
「少しでも門を動かしたらこいつを殺す! 分かったな!」
 兵士たちはようやく悔しそうに互いの顔を見始めた。だが偶然合流することになった兵士たちは咄嗟に命令系統も決定できない。その上予想外の人質が出てしまったことが、場に更なる混乱を生んだ。
 一人が門の上に上って、二人の姿を確かめようとしたがその瞬間、肩口に短剣を食らって転落した。
 開けるか開けないかでひとしきり揉めた後、再び門の上に重装備の男が上り、恐る恐る顔を出す。が、その時にはもはや、辺りには誰もいなかった。
 北門の先には僅かな草原の後、雑木林が広がっている。そこに馬がつないであったのだろうと、マヒトに詰め寄られた彼らは言い合った。





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