コントラコスモス -15-
ContraCosmos



 河を抱く夏の城で友人を見失ってから五日が経っていた。マヒトは既にいつも通りの生活に戻っていたが、飛び出してきた型に今となっては納まることが出来ないことに煩悶していた。
 どうやらこのバカでかい体のまたどこか、手か足か、伸びてしまったらしい。或いは今まで割りと置いてきぼりを食っていた魂の器の方が、めきめきと音を立ててカサが増えたか、或いは損なわれたのかもしれぬ。
 何故なら、正しいと思うことをして自身がぐらつくことなど、今までになかったことなのだ。僧侶としては、それが正しい。全ての法は聖典に収められている。それを民草に広め、この世の正義を定めるのが聖職者の務めだ。
 だから、自分も本当は午前に怒らした司祭のように考えるべきなのだ。自分は正しかった。それに対してクレームが来るのは、相手が道理の何たるかを理解していないからだと。
 その態度は分かる。理屈では。だが、あのリップの顔を思い出すと――、全ての理論が消し飛んでマヒトは、自分がひどく間違ったことをしたのではないかと考えてしまうのだ。
 そして次の瞬間にはそんな自分を戒めている。惑ってはいけない。そんなはずがない。
 だって止めなければ彼は死んだではないか。それは罪だ。司祭の言うことは正しい。神から与えられた肉体を、たかがヒトの感情一つで棄てるなど絶対にあってはならない。
 だが、それならリップが、あんな顔をしてあんな絶望を吐きながら、生きた方がましだというのか。そんな運命を他人に強いる権利があるのか。自分に。
 ……確かなのは、極楽の話をしたってリップは救われないということだ。大体、聖庁にいる聖職者は確かにミサの時には地獄と楽園の話をする。しかし、今の時代になって日々現世的な学問をものし、銀行口座にせっせと黄金を蓄財している神父、司祭、その上位の聖職者たちが、本当に、本気で未来の審判を信じているかどうか、甚だ疑問だ。
 彼等は恐怖で熱心な信者たちの心を縛る。だが現世的で冷静な(例えばミノスやリップのような)人間達は、教会について冷淡なものだし、それよりもっと冷めているのは、実は聖職者本人達なのではないか?
 実際、誰よりも地獄の炎と主の天秤について詳しいはずの我々が、今では慎みを忘れて様々な違反を働いているではないか。教皇猊下にすら、「姪」「甥」という名の公然たる子供がいる。今時、坊主だからといって人並みの快楽を諦めるような奴がいるか?
 そうやって自分たちは世の楽しみを謳歌していながら、一般の信徒たちには苦役を耐え忍べと言うのは……、何か変だろう。彼等は――考えるのも恐ろしいことだが、本当に聖書と主の言葉を信じているのだろうか?
 マヒトは、自分の犯した罪の清算を考えれば考える程、我が身が聖庁から浮き上がっていくことに困惑した。彼は若いし傲慢な性格ではないため、感じた違和感は全て自らの責任に帰した。それで一つの鋳型の中で相反する二つの感情が喧嘩をする羽目になるのである。
 そんな精神状態で日常がうまくこなせるわけがない。マヒトは講義の最中には頬杖をついて上の空になり、ミサの最中にはぼんやり蝋燭を持っていてうっかり睫毛と前髪を焼くという派手なことをした。
 仰々しく説教していた大司教の左肩から一瞬嫌な煙が立ち上がり、同僚の神父が前髪を押さえる彼のもとへ慌てて駆け寄っていった。
 というわけで、悄然の上にも悄然となっていたマヒトの元に、夕刻になって参務次官コーノスから報せが届いた。
 リップが東北の聖ベネクティス修道院で発見されたと言うのだ。
 勿論、マヒトは今まで考えていたことも全く忘れて、誰かに一言断る暇もあればこそ、即座に聖庁を飛び出していた。





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