コントラコスモス -16-
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小部屋。と言われていたからもう少し狭いのかと思ったが、三対七ほどの比率で横に長く、人が五、六人入って自由に動けるほどのちゃんとした部屋だった。 建物の内側だけが見せる無骨な壁際に、鉄製の鎖が幾つも厳重に止めてある。ここは広間に吊るされたシャンデリアを管理する部屋、俗に言う「綱元」だ。 その奥、部屋の片隅から椅子を二つ引っ張り出してくると、リップは小窓から遠望鏡で下を覗く私の側へ一つを置いた。 「見えるか?」 「まあな、手前側には悪くないポジションだ。全部上から見える。……奥の方はちょっと無理だな」 「その辺はコーノスの旦那も分かってるだろ。どうせ別の監視もつけてるだろうから、見える範囲で見張ればいいんじゃないの。 ちなみに今日のメニューは……」 煌々と明るい広間を覗き込む私の耳に、背後で紙を開く音がした。 「鶏のスープ、焼ききのこ、ウサギ肉のゼリー、水菜、子牛肉のソテー、各種葡萄酒に水煮無花果か……。いいなー、腹減ってきたよ、俺。先に食っていい?」 「好きにしろ」 「ういー」 またごそごそと動く音がする。 まあこの先二、三時間はどう見積もっても掛かる。今から気力を使っても仕方がないか。 私もそう考えて彼から包みを一つ受け取った。 「癖になりそうだねえ。こういう場所から表舞台を見下し、監視してコントロールするって立場は。なかなか経験無かったけど、表側にいるより遥かに面白い」 厚手のパンの間に挟まれた冷肉と野菜をかじり取りながら、リップが呟く。彼の頬に浮かぶ光は手元の蝋燭のものではなくて、広間のシャンデリア、それにテーブルにともされた何十本もの灯りのものだ。 下のほうが明るい。 だが暗い方が上だ。 豪華で幸福そうなのに、こうなると明るい方が生贄にされているような気がするから不思議である。 「コーノスの旦那がいつまでも参務次官あたりでぐずぐずしてる理由が分かったような気がするよ」 「あれ以上昇るとかえってやり辛くなるんだろうな。例えばこういうことも今の役職の方が……」 「――おっ。来た」 リップが包み紙を捨てて声を鋭くした。私も再びグラスを目に当て、ぞろぞろと大きな扉を開いて広間にやって来た連中を捉える。 「まるで神様みたいな感じだな、ミノス」 窓枠に肘をついたリップがくすくす笑った。 「こうやって全部の人間の生活を覗いているってか?」 「思えば変態じゃなきゃやり切れんな」 さて、どうして私とリップが聖庁の大広間の天井近く、照明の綱元部屋で、夜を明かしているかというと、例によってコーノスである。 彼は一週間前いきなり我々を聖庁に呼びつけて言ったものだ。 「すまんが、三日間ほどバイトをしてくれ。一週間後、王都から役人十五人ほどで構成された使節団が来る。そいつらの監視だ」 「監視って?」 リップはぴんとこなかったらしいが、経験から察して私は嫌な顔をした。 「『誰も死なないように』か?」 「そういうことだ」 「二十四時間待機なんてごめんだぜ」 「いや、今回は毎日の晩餐だけ見張れば充分だ。それ以外は使節団も毒見役を使役できる。彼らも敵陣の真っ只中で妙なものを口にしたりはしないだろう」 「……」 「……」 目の前の透明なグラスに撓んで映る私とリップの顔が、ますます不可解に歪んで揺れた。 「気のせいかな。今のだと、俺たちは『王都の使節団が誰も死なないように』働く、って感じに思えたんだけど」 「双方だ。だが、死ぬのなら聖庁側の人間でなければならない。 今、両陣営が互いに互いの粗を探そうと躍起になっている状態だ。そんなときに聖庁で王都の官僚が死ぬ、という事態だけは絶対に避けねばならん。 逆に王都の連中の毒で聖庁の僧侶が死ぬのは悲劇だが、材料になる。分かるな? 従って君達には、飽く迄聖庁の人間が王都の人間を殺さないように監視してもらう。勿論私の部下たちも同任務に就くが、連中が聖庁側の出す食料を毒見抜きで食べねばならない毎夜の晩餐。そこがどうしても不安なのだ。 晩餐の間中、不審な動きが無いか見張り、万が一王都側に昏倒するものがあれば、ミノス、君にはその処置に当たってもらう。何としても落命させないで欲しい」 「――落命したら?」 「あら不思議、利子が三割増に」 リップの笑い声が響いた。 「……無茶な話だよ。ったく」 長大なテーブルを覆う、橙色の灯りに染められた白いリネン。向かって右側に聖庁の官僚・僧侶達が、左側に明らかに衣装の種の違う王都の官僚達が腰を下ろす。めいめい十名。 総勢二十名。加えて給仕や伝令。 全員の動きを監視するのはどだい無理だ。あらかじめ危ない動きを見せそうな人間を示唆されているので、それを中心に黙々と監視する。 会話はほとんど聞こえてこない。話しているのは分かるが、反響もあって一つ一つの言葉は分からない。 「へえ、結構若いのもいるなあ」 リップの呟きが隣で聞こえた。 「……坊さん方に、牽制はかけてるんだろうな」 「かけてるさ」 コーノスは憮然と顎を引く。 「だがキサイアスを『悪の具現』だと思ってるような坊主どもに、まともな思考は期待できない。 彼は最近各地で正位教会の所領に圧力を掛けて、さんざ恨まれているからな。とにかく世の中から消してしまえばいい、と坊主らしからぬ乱暴な考えを抱く奴は沢山いる。実行するものもいるかもしれん」 「だが使節団に噛み付いてどうする」 「なめられている、と感じることにひどく脆弱な人間がいるものだ。彼らは一度そう感じるとたかがプライドを回復するために、何を始めるか分かったものではない。当然後のことなどこれっぽっちも考えん。 君も知らないはずは無いがな、ミノス?」 「――」 思わず睨み合った我々の視線を解きほぐそうと、リップが軽い調子で口を挟んだ。 「ところでコーノスの旦那。俺のバイト料は? そんな責任重大な役目押し付けられたミノスさんの、護衛役の、報酬はナニ?」 「適当な名義での市民権ではいかがかな」 「……罠ってるなあ」 「そうだね。君は受けた恩義を忘れるようなタイプじゃないからね」 「どうやら俺がどこの誰だかもうご存知の様子で」 コーノスは眉を上げたきり、話題の矛先を変えた。 「随分元気そうじゃないか、リップ君。安心したよ。どうやら色々諦めたらしいね」 「あんたも一度手にスティグマ(聖痕)の出るような人間に助けられてみるといいよ」 「ああ。あれか。本物だったのか?」 我々は二人同時に頷いた。 「だが、もう消えたらしいじゃないか。二、三日だったんだって?」 「消えたさ。その時マヒトの言ったことが。『あー……』」 三人の声が唱和する。 「『消えてよかった!』」 今、食事は三皿目だ。 ウサギ肉のゼリー。当日に急遽変更されたメニューを、前日に総とっかえされた給仕役の僧侶たちが運んでいく。 少し疲れたので、私は遠眼鏡をリップに渡し肉眼で広間奥を眺めていた。 「王都側も毒見役を連れてきたってことは、危険を分かってるってことだよな。いやだなあ、こういう飯を食わなきゃならないのは」 「宮廷に関わるような高級官僚なら慣れてるさ。自分とこにいたって、似たようなもんだ」 「……成る程ね。しかしなんで旦那は俺等を使うかねえ」 「――……」 少し寒くなってきたので肩掛けを取り出した。時刻は午後九時頃だろうか。 「いざという時、切捨てがきくからだろ」 「まあそうだろうねえ。……そういや前々から不思議だったことがあるんだけど、聞いていい?」 「聞いていいことならな」 「じゃ、殴って止めて」 「グーでいくぞ」 「了解。 あの店開くときに金出したのコーノスなんだろ? よくお前に金貸したな、と思ってさ。知り合いだったの?」 「いや。だが私の親を知ってたんだ。母とは顔見知りだった。だから私の利用価値についてはすぐ納得した」 毒物師は師弟でなければ親子伝承だ。リップはすぐ察したらしく、遠眼鏡を当てたまま「ああ」と言った。 「それにしても大金じゃない。身柄の保護はともかく……、破格だよ。まるで何か買ったみたいだ。……ね、何かしたんでしょ?」 私は肩をすくめた。確かに「おまけ」はある。 別段この恥知らず相手に隠すことでもない。 「髪に触らしたな」 「はあ?」 「あいつ女の髪の毛好きなんだ。そん時は後ろで一つに結んでたんだが、それを外して触らした」 「うわー。意外と変態だな、あのおっさん」 「意外かねえ」 そもそも、表舞台よりも舞台裏で画策し、場を用意する方が好き、という時点で少々込み入っているではないか。 単純な人間は拍手喝采のほうが快感なものだ。コーノスは書類に囲まれた部屋で、事がうまく運んでいることの方が楽しい。他人からの評価など必要もないくらいに。 立派とかいう以前に、やはり一種の変態である。 と、ガチャン、と上にまで響いてくるような音がして、人々の声がぼわんとざわめいた。 「――――」 トリックを感じて私もリップも殺気立つ。 音の原因は一人のでっぷり肥えた老司教だ。床に落としてしまった食器を拾わせながら、「失敬失敬、手が滑って……」などという手振りを示している。 だがその派手な動きの裏で、誰かが動いていないか。 見られる範囲で見た。気のせいかもしれないがコーノスの部下たちの視線も感じる。 突然の司教の失敗に苦笑したり、呆れたり、慌てたりしている広間の上に、瞬間、無数の注意が飛び交った。 だがやがて張り詰めた蜘蛛の糸が一つ、また一つと薄れ、何事もなかったかのように空気が静まっていく。 「……大丈夫だな。そもそもこのテーブルの形だと、相手の料理に何か入れるのは結構大変だ」 「旦那の知恵だろ。うまい距離だね」 結局、その日はそれ以上派手な事態が起こることもなく、晩餐は終了した。優雅な連中のゆったりした食事がやっと終わったのは十時過ぎ。こちらは十分で夕食を済ましたのだから悪態の一つもつきたくなる。 広間からゾロゾロ退出していく官僚たちを、リップがやけに眺めているので、 「どうかしたか?」 と尋ねる。 「いや、どうもしないけど。一人だけ妙に若い官僚が混じってるから感心して。ミノスも気付いたろ?」 この男は番犬にしては狡猾に過ぎる。 私は無視して先に出口に向かった。 コーノスの居室に戻って報告すると彼は我々をねぎらい、先ほど食器を落とした司教はリューマチとアル中で普段から手元が危ないのだと教えてくれた。 「……そりゃあよかった」 心のこもらない挨拶をして、我々は聖庁を後にした。 |