コントラコスモス -18-
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昼夜逆転の生活の余波が消えて、ようやく眠気を感じずに昼の商売が出来るようになった。三日続けての好天で湿気も消え、書物の虫干しも出来たし、あらかじめ開店休業を宣言したから誰も寄り付かないし、実に気分がいい。 たまに忘れかけるのだが、そもそも私は独りでいるのがもっとも落ち着く性分なのだ。何かが足りないとか、寂しくて不安だとか思わない。 それどころか大人数で過ごす時間が増えると追い詰められたような気になり、そろそろ孤独になりたいとすら考える。 結局、他人と一緒にあることに向いていないのだ。或いはまた、独りであることに向いているのだ。 けれども憧れはある。恐らく自分という人間は一生他人に心を開き、くつろいで共に慈しみ合うことは出来ないだろうけれど、それが出来たら心地のよいものだろうという思いは、割と昔からしぶとくあった。 (多分お父さんやお母さんが私を迎えに来ることはないだろうけれど、もしもそんな人たちと一緒に暮らすことが出来たなら、とても楽しいだろうなあ。) だからきっとこの青年のことも、同じ文法で遠い眼差しで、適わぬ夢想として考えている。 「世話をかけて、すまなかったね。随分沢山の薬を使ってもらったみたいで、気が咎めてるよ」 戸棚といわず、カウンターといわず、床の上にさえ本が並べられた店内で、すっかり落ち着いた彼は、いつものように気を遣った身なりで、丁寧に私に謝った。 「いいんだ。私はコーノスに命令されて治療しただけなんだから、そういう費用はみんな奴に出してもらうさ」 「ありがとう」 大人しく、善良で誠実な彼は、見栄とか逆恨みとか嫉妬とかいうありふれたことにすら、ほとんど関係がない。 「君のおかげで、生きて国に帰れるよ」 「今回はたまたま、そういうめぐり合わせになっただけさ。もう知っているかもしれないが……、私は薬師ではないんだから」 まして、毒物に関係のあろうはずがない。最初から別世界に生きていることは分かっていた。 それに彼には夢がある。はしたなく貪欲で不毛な私の性(さが)に巻き込むなんて、初手から全く有り得ない話だ。 だから、たとえ何もなくても、私はいなくなるべきだった。私のような人間の存在は、もともと彼の夢によろしくない。彼はくたびれた母を慰め、死んだ父の無念を晴らさねばならないのだから……。 「難しく考えないでくれ。君はそれでも僕を助けてくれた。それにありがとうと言いたいだけなんだ。君にはいつも助けてもらう。君のおかげで僕は幸福に暮らしている。……だからこんなのは勝手だけれど、君が元気に暮らしていてくれて、嬉しかった」 「感謝されるような義理はないよ」 「チヒロ」 ……それでも、捌いても捌き切れぬ細胞一つ一つの不可解の中に、そのしぶとさは息を存えている。たったひとかけらの手がかりで、鳥肌を立てて体を広げる。 「チヒロ」 「……なんだ?」 「君の名前が好きだったよ。とても優しい、かわいらしい響きだから」 俯いたまま、私は弱々しく笑った。 「おかげさまで私に似合わない」 「そんなことはない」 クレスは言って、指輪のはまった手で帽子を被り、挨拶をして店を出て行った。 私は明るい店の中に独りで居残り、まだ諦めが足りないなと思った。 私は独りでいることに向いている人間だ。独りでいるべき人間だ。自分の有毒であることが知れている以上、そうでなくてはならない。 けれどもまだ諦めが足りない。希望は泉水のように湧いてくる。この欲深こそが私の最大の業であり、諸悪の根源だと言うのに。 「…………」 秋の終わりの風が店の中を流れていった。 私は両の掌を広げて顔を埋める。すると何枚もの薔薇窓が浮かび上がった。 その赤や黄や緑の織り成す綾があまり懐かしいものだから、そのまましばらく私は風を感じながら―― 瞼を開くことが出来なかった。 -了-
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