コントラコスモス -24-
ContraCosmos



 私の父であって父でない男が姿を消してから五日が過ぎていた。ようやく顔の形もマシになって二日前から店を開いている。
 が、間が空いたので、表の商品が品薄になっていた。よく出るものから順番に、放置されっぱなしになっていた原料を慌てて干したりつぶしたりと加工せねばならない状態だ。
 林檎が来るとある意味仕事にならないため、私はここ二日ほど不足分を補うべく黙々と早朝作業をしていた。
 店の鍵は開いているが、夜が明けたばかりで客は来ない。ただ店の前の道を小麦を積んだ荷馬車が通る轍の音や、向かいの建物の雨戸が開く音を聞きながら、静かに街が動き出すのを待っていた。
 私はこういう時間が好きだ。表舞台に立つことのない人間の性か、はしゃいでいない静かな街、動いていないがらんどうの通りは、何故かしら私をほっとさせる。
 ミノス知っているか。(と、コーノスがある時言ったことがある。)空間を作るものはなかなか無駄を許せない。従って建築家にとって最も理想的な街とは、人のいない街だ。
 コンコンコン。
と、店の扉が叩かれて、私は顔を上げた。ぎょっとしそうなものだったが、何故か驚くということはなかった。
「失礼するよ、ミノス」
 扉が開いて、見慣れた黒い帽子と黒い僧服が目に入った。このとどめようの無さが、先に言った私の無人好きと関係しているかもしれない。
「おはよう。朝っぱらからすまない――」
 入ってきたマヒトはなんだからしくないものを持っていた。どピンクの蘭がまぶしい花束だ。申し訳ないが、血が逆流するほど似合わない。
 私は呆気にとられてカウンターの上に両手をついた。
「なんだその少女趣味なブツは」
「すまん。林檎の誕生日プレゼントだ」
「――ああ、ああ今日か。だがまだ来ないぞ」
「分かってる。本当は今日の昼にでも持ってこようかと思ってたんだが、急に来られなくなってな」
 帽子を取ったマヒトは歩み寄ってきて、カウンター越しに、私にそれを手渡した。
「だから預ける。悪いが林檎に俺達からだと言って渡してやってくれ」
「……花屋か。ちゃんと金は払ったろうな?」
「払ったよ。もっとも、値引きはしてもらってるんだろうが」
「当然だ。こんな高い花……」
 こんなものを林檎に与えて大丈夫だろうか。自分の誕生日にひどく価値があるなんて誤解したりしなければいいが……。
「まあ、とりあえず受け取っておく」
 林檎の笑顔を思い浮かべ、私は面倒を言うのをやめて、それをカウンターの上へ置いた。後で水にでも浸けておこう。
「それでこれはついでに、お前にだ」
 と、マヒトは胸ポケットに挿してあった小さな白い花を続けて差し出す。
「花束作るときに余ったんだ。どうにでもしてくれ」
「……どうも……」
 私は受け取ったが、小さな孤立した花だけに放り出すと無造作に見えそうで扱いに困った。どうしたものかと目を動かしていると、それを待たずにマヒトが言う。
「前に東部の都市ブラネスタイドの医学会に参加するって話をしただろう」
 口調もやや早口だった。初めて気がついたが、彼は少し急いでいるらしい。
「本来ならもっと後に出発する予定だったんだが、急に前倒しになった。何でも中途のアラム川が氾濫して街道を繋ぐ橋が流れてしまったらしい。一昼夜で直るような代物じゃないから、迂回路を行くことになって急に旅程が長くなってしまってな。遅れないために突如今日、出立することになった。
 ……そんなわけで、しばらく来られないんだ。そうだな、多分一月ほど、この街を留守にする」
 思うのだが、ここしばらくマヒトは一人で早すぎる。愚鈍な男だとばかり思っていたのに、一体いつからこうやって人を、後ろに置いていく人間になったのだろう。
 私は相変わらず馬鹿みたいに花を握ったまま、どことなくぼんやりとその話を聞いていた。
「……お茶を飲めないのは辛いが、辛抱するよ。それにみんなに手紙も書く。一月なんて、あっという間だろう?」
 私は黙っていた。何を言うべきかまるで見当がつかない。マヒトも別段、何かを聞きたいわけではなさそうだった。
 ただ、一度躊躇った後思い切ったように上体を傾け、カウンター越し、また私に口づけをした。それから言った。
「息災でいてくれ」
 準備やら何やらで、急いでいたのは本当だろう。マヒトは帽子を被りなおすともう何も言わずに店を出て行った。
 気がつけば通りには朝陽が溢れていて、照りかえる石畳の白が私の目を焼く。私は仕方がないんで手近な器に花を放り込んで地下へ降りた。林檎の花束の為に、底の深い入れ物を探しに行ったのである。






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