コントラコスモス -27-
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「別れてきたよ」 「――……」 危うく頭を抱えるところだった。揃いも揃って、予想に違わぬ素早さだ。マヒトが遠くで死体の腹を開いてる間に、何もかも終わってしまう。 しかもリップは変化に乏しいまま、荒んでいた。無感動な建前の下で核が崩れ始めていた。今までの女達との別れの時とは明らかに違っている。しかも厄介なことにその自覚も無いらしかった。 「そろそろ河岸を変えたほうがいいかなあー」 リップは呟いた。締りの無い口元は普段と変わらないが、体の動きは鈍く、今日に限って楽器を手に取ることも無い。 「……河岸を変える?」 恐る恐るな私の反問に、薄く笑って見せた。 「コルタを出ようかなあってこと」 衝撃を受けるような理由は、別段ないような気がする。だが恐らく人は、相手が自分にとってどんな対象であろうと、面と向かって「いなくなる」とか「やめる」とか言われると狼狽する生物なのではないか。 それに、リップのそれは明らかに「逃げ」だった。今まで彼がそんなことを言い出したことは無い。そんな投げやりな逃げ口上、おいそれと飲み込めるものではなかった。 音も無く自棄になってらしくないことを言う彼を、前に一度だけ見たことがある。あの時は(無茶を通り越して)無謀な坊主が追いかけて捕まえて来てくれた。 だが今回は、つなぎとめるものがもう無い。既に私は奴の目に映っていなかった。 リップは遠いような、それでいてとても近いような別のものを見ている。その虚ろな視線を現へ引き戻す手段を思いつくことが出来なかった。 私はマヒトと違って彼がどんな状態にあるかはおそらく、ある程度的確に理解出来る。だが、その動きを変える言霊のことは知らないのだ。 そもそも彼の考えに口出しする資格が自分にあるのかなどと迷う時点でダメだろう。人一人受け止めようと思ったらあれくらい問答無用でないと用に足りまい。 「…………」 弱り果てて私は実際、神に祈りたいような気分だった。年末の赤ん坊騒動をひどく昔に感じる。 もう何でもいい。株なんか幾らでも上げてやる。あれ以上背が伸びたって構わない。 何でもいいからマヒト―― (戻って来い!!) 心中で吐き出したその時、まるで呼応するかのように店の扉が開いた。 「よ、お久しぶりー」 入ってきたのは、巨漢坊主ではなくモグリのヤナギだった。緩む空気の中で、振り向いたリップまでが何となく落胆して視線を戻す。 勿論ヤナギは何も知らないから「?」という顔をしながらも気軽に彼の隣の席へ着いた。そして実に前触れも無く、 「おー、そういやリップ。お前さんに会ったら言おうと思ってたんだよ。知ってるか?」 冷めた茶に口をつける彼に言ったのである。 「医者の観察だけど花屋ちゃん、ありゃ子供いるぞ」 リップは茶を噴出した。 「な、なんですとーー?!!」
大騒ぎだった。 反応のよさに目を丸くするヤナギの襟元を締め上げて、リップが別人のように慌てる。勢い私が知っていたこともバレた。 「お前、何で黙ってるんだよ!!」 とリップ。声は大きいけれども震え、汗が出ている。 その情けないほどの狼狽ぶりを目にした途端――脱臼した肩が、再び定位置に戻ったかのような妙な手応えに、私は瞬きをした。 ゆっくりと息を吸いながら、普段の調子を取り戻しつつ、私は「……ああん?」と腕を組んだ。 「そういうキレ方はありなのか? この最低中出し野郎」 「まあ良家の子女が!」 ヤナギが両手で口を押さえる。 「林檎の代わりに言ってんだよ!」 鬱の雲が晴れた。リップに引きずり込まれていた自分自身が戻ってきた。 何と言うか、今の叫び声を聞いたとき私は、今更ながらリップが大馬鹿野郎だということに気がついたのだ。 場亀。大場亀。 誤字だが、こうやって罵ってやらなければ気がすまないくらいこいつは馬鹿だ。 格好をつけて、しがらみから逃げ回って、人に向かって「いなくなる」だのと嫌な脅しをかけて、それでいて自分に子供がいると分かった途端、本質に追い抜かれて青い顔をするような奴なのだ。 こいつには子供は殺せない。絶対に殺せない。 それくらいなら自分が死ぬだろう。こいつはそういう奴なのだ。 ――本性なのだ。 だからこそこんなに慌てふためく。大馬鹿野郎のコンコンチキ! 動揺した挙句に店から一人で出て行ったが、どうせ花屋のところへ行ったんだろう。 私はと言えば立腹していた。真剣且つ的外れに心配していた数時間前の自分に立腹していた。 工房で一人苦虫を噛み潰しながら、二度とリップの三文芝居になんか付き合ってやるものかと、心に固く決意した。 |