コントラコスモス -27-
ContraCosmos



 店を閉め、最後の戸締りを確認している時、表に今日縁が切れたはずの男が突っ立っているのに気がついた。
 外は暗くて相当寒いはずだが、男はそれ自体に気がつかないといった様子で、所在無さげにそこにいた。
 ああ、子供がいることが分かったんだなと花屋はすぐ勘付いた。堕胎薬を買った際に口止めはしておいたが、ミノスがつい喋ってしまったのかもしれない。或いは別ルートで気づいたのかもしれないが、どちらにせよいずれは知れたことだ。
 なんて情けない姿かしらと花屋は思った。それで彼を店の中へ入れてやった。筋に迷うリップに引き換え彼女は落ち着き払っていた。
「随分ひどい顔してるわね」
 リップはそう言われた顔を蝋燭の明かりに照らした。鼻先にべったり良心の呵責が張り付いている。いい年なだけに見ている方は失笑してしまった。
「そんなにビクつかなくてもいいわよ。責任を取って欲しいなんて思っちゃいないんだから」
「……すまない」
「何がすまないの?」
 彫刻のような陰影の花々の間を歩きながら、彼女は聞いた。
「そんな顔をされるほうがよっぽどすまないわ」
 リップは相変わらず突っ立っていた。そこから一歩も動けないらしかった。足と同じように口からは謝罪以外出てこなかった。そこから一歩も進めないらしかった。
 いつまでも謝ってもらったって仕方が無い。花屋は腕を組んで彼を見つめた。
「産んでくれとも産まないでくれとも言わないのね」
「…………」
 リップは無言だった。彼女は顎を少し反らす。
「意志が無いのね、あなたには。これはあなたの人生でもあるのに、物語を紡ぐ気がないんだわ」
 沈黙の中でリップの瞳が僅かに動いた。
「俺は……」
 遮る。
「私、あなたの側にいて自分の知っている物語を静かに流し続ければ、いつかあなたもあなた自身の物語を奏でてくれるだろうと思っていたわ。
 でも、結局あなたは自分を鳴らさないことを選んだ。今だってそう。何一つこちらに聞こえてこないわよ」
 リップは長い間黙っていた。だが、やがて喉が動き、やや落ち着いた声が彼女の比喩に応えた。
「壊れてるんだ。……弦は全て吹っ飛んでいて、俺は健全な物語を自力で紡ぐことがもう出来ない」
「そう言ってるうちは確かにそうでしょうね」
 静かな肯定は反論より冷ややかだった。
「あなたは甘えた子供みたいに臆病だわ。ひとり立ちしてまた苦しむよりも、いつ迄も病気のまま、暖かいところで寝ていたいのよ」
「そうしなければならないんだ。俺が眼を覚ませば、苦しむものは俺じゃない。いつだって俺は、弱いもの、幼いもの、殺したくないものばかりを殺し続けてきた」
 やや勢いづいた彼の言葉に、花屋は憐みをしぼり出すように微笑した。
「殺されるものはみんなそうよ、リップ。そんな修辞並べて何が楽しいの? 人はいつだって弱いものを踏みつけにせずに済んだことは無いのよ。ほんの子供だって、虫の一匹も潰さないで生きることなど出来ないのよ。
 それは生きる年数だけ積み重なる避けられぬ罪で、それ故に神の赦しが必要なのじゃない。
 あなたはひ弱よ、リップ。たかが自分の業に気づいたくらいで傷つくなんて、女の子みたい。そんな弱い人に私を苦しめる力なんてないわ。私の子供を育てたり殺したりする力もないわ」
「どういう意味だ?」
「あなたはただの精子製造機だってことよ」
 花屋の聡明な瞳が静かな光を湛えてリップを見据えた。そこに彼女の結論があった。
「ご心配なく。自分自身が怖くて逃げ出すようなあなたには、父親の気持ちなんか絶対に味あわせてあげない。
 私の子供は私が産んで私が曲げ私が狂わせるの。それが物語を持った大人の責任だもの。約束を履行すると言うことだもの。
 あなたには何も期待しないわ。自分自身さえ受け入れる覚悟が無い人間に、何ができるというの?」
 睨みつける強さに、リップの足が一歩退く。
「欲しければお金を上げるから、お家に帰りなさい、ワンちゃん。けど甘えに来るなら二度と来ないで。これは三行半よ。あなたはもう、見限られたの」






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