コントラコスモス -28-
ContraCosmos


「コーノスの講義」


 内輪な話が続いて近視がちになっているから少し大きめな話をしよう。
 そもそも何故魂の問題を扱うはずの存在である我等が教父(せんせい)方が、土地だの金だの兵力だのといった俗世の要素にあくせくするようになったのか。
 その始まりをどこと見なすかは難しい。史学の試験でなら、紀元後521年に時のアキシア帝国皇帝バラティヌス五世が聖教会を正統と認め全国民を改宗させたことを書けば及第だろう。
 だがこれは事象の説明であり、本質の説明にはなっていないと私は考える。史書を見れば分かることだがバラティヌスは決して信心者ではなかった。彼は改宗後、教義によって離婚できなくなったので、少なくとも二人の妻を殺害した。
 しかもそのやり方と来たら残忍極まるもので、彼は素っ裸の女を温室に閉じ込め、そのまま蒸し焼きにしたのである。この皇帝が信仰心から教会を頼ったのではないことは明白だろう。
 彼はもともとはっきりした支持母体を持たない皇帝であった。彼の即位する何十年も前から、帝国は内紛に乱れていた。帝位継承の候補者を色んな派閥同士がさんざ殺害しあった挙句、ポツンと一人残されたのが彼だったのである。
 そのことからも分かるように、彼には帝位はあったが振り回すべき鉞(まさかり)が存在しなかった。それ故に選ばれた男だった。
 しかし彼は力無き皇帝の地位に甘んじず、その頃帝国内に大勢の信者を獲得しつつあった聖教会に目をつけたのである。彼を魅了したのは復活の奇跡でも原罪の特赦でもなく、人々を従わすその力であった。
 バラティヌスは神の栄光を身にまとい、教会から洗礼名を与えられることで人々から額づかれる存在となった。教会が世俗の栄権に関与し始めたのは、確かにこれがきっかけである。
 力は力を呼び、集積し倍加する。広大な所領を持ち富を蓄えた聖庁の力は、今や一つの国家に匹敵するほど大きくなった。聖庁は人々を使役し、納税させ、節制させ、戦争させ、内偵し、裁判し、殺すことすら出来る。これは皆国教化に伴う、いわばバラティヌスからの見返りの所産である。
 及第だ。しかし私は今一歩踏み込みたい。そもそも何故、教会は、それほどに人を動かすことが出来るのだろうか。
 ――いや、そうするのだろうか。
 私も青年期には人並みに聖書を読んだ。何度も読んだ。しかしそこには一言たりとも「徴税せよ」とか、「管理せよ」とか「使役せよ」などとは書かれていない。
 私は思う。人は人間の能力、なかんずく言葉を過信してはいけない。人は書かれたものを読めば八割方真意を誤解し、演説を聞けば九割方曲解する。コミュニケーションはディスコミュニケーションの海から生まれる稲妻のごとき奇跡である。
 私は思う。恐らく、聖書それ自体が既に誤解を免れていないだろう。そこに「祭り上げ」の香りを感じない者はいない。況や聖堂や、僧服や、儀式、祭典、政治、聖庁。誤謬の輪は音波のように際限なく広がっていき、否応なく核心から遠ざかっていく。
 多分、一番最初荒野に立ちて吾一人、遍く人間の過ちを引き受けそを赦さんと呟いた男は、絶対に、喜ばなかっただろう。貧乏人から集めた金で、金糸銀糸の衣をまとい三段の法王冠を頭の上に戴くことなど。
「聞いているのですか、コーノス次官!」
 無反応に痺れを切らしたイェーガー司教が机を叩く。この男を中心とする外務院があの交渉の際、毒のことなど考えもしないで、真なる言葉を聞き誠実な心を持ち行動してくれていたなら、私とて忙しい中外務に首など突っ込まなくて済んだのだが。
「少しばかり教皇猊下の覚えがよいからといって思い上がるのもいい加減になさい! 貴君の妨害行為によってどれほど聖庁の威信が損なわれたか分かっているのですか?! 聖庁はあのような非道且つ野蛮な国とは断じて取引などしてはならないのです! 一切してはならない! あれは神の怒りも懼れぬ色気違いの狐だ!!」
「…………」
 真っ赤に染まったイェーガーの鼻っ柱を眺めながら、私は手を腰の後ろで組んだ。無駄と知りつつ、吐息を吐く。
「私は確かにバラシン書記官とシュヴァルツ子爵の対面の場をお作りました。しかし、その後両者が書簡のやり取りを継続なさっていたことについては、お二人のご意志によるものだと存じます。
 バラシン書記官は、たとえ現在は対立関係にあるとしても、外務官僚として最低限の交流は必要だとお考えだったのではないでしょうか」
「何という厚顔無恥な! 道理の何たるかも知らぬ俗人が、聖職の行いに異を唱えるなどと恥知らずも良いところです! 主よ赦したまえ!」



『彼らは自分が何をやっているのか知らないのです』



 最初、教会は人々にとってどのような存在であったのか、憶えている者がいるのだろうか。彼らは考えることがあるのだろうか。
 彼は人々の罪のための犠牲となった。今の僧侶たちは自らの罪のために躊躇い無く人々を犠牲にする。
 この逆転はいつ始まったのだろうか。何十世代も必要だったとは思えない。主の直弟子十五人の中にも、腐った林檎は何個もあったに違いない。
「バラシンや、貴君のような考えの者が聖庁にいるから、愚か者どもが勢いづくのです! 恥知らずにも、北ヴァンタスとの交流による利益見積もりなど提出して。堕落した不埒な商人どもが、自惚れるにも程がある! 大体自分達に正常な判断ができるなどと勘違いするからこんなことになるのだ!」
 人類の奉仕者から貪欲且つ傲慢なる被奉仕者へ。
 講義はここまでとしよう。
 教会は原初の一人が荒野で教えを説いていた出発から、既に恐ろしく遠いところまで来ている。そもそも今の聖庁は、信仰を極めることを目的とした集団ではない。
 ただその権力の正統性として神の名を使用するから、当然「俗人」からすると期待をするだけのこと。中をのぞいてみれば、どんな俗よりも俗らしい連中が利権に群がっているのが実態だ。
 集団化すれば狂い、力を得れば忘れ自惚れる。それは人間がディスコミュニケーションの生物である以上、避け得ぬことなのかもしれない。
 実際、聖庁以外のどんな統治体だって同じような状況だろう。偶然奉仕される側に生まれた人間が、いやこれは所詮借り物だ、などと自戒できることはごく稀だ(自分だってあやしい)。
 聖庁に籍を置いてはや二十数年。こんな幻滅は何度も味わってきた。聖庁入りする前から、予想がついていたとも言える。
 こういうやり切れない脳内講義が終わる頃、いつも決まって私を聖庁へ引っ張りこんだ坊さんのことが思い出される。
 彼は、非常に快活で頭のいい人物で、私の処理能力を買ってくれ、しきりに聖庁に誘った。しかし私は懐疑的だった。中流サロンでは聖庁の堕落について誰もが充分知っていたし、俗人が何かと軽んじられ、汚い仕事を押し付けられがちなことも周知のことだった。
 従って聖庁の中で坊さん達の放縦を諌め、その尻拭いをするなんて選択は、一種の社会奉仕のようなもの、もっと悪く言えばどうしようもないお人好しが、「それでもみんなの為に」と思って引き受けるような仕事だと思われていた。まあ今もその認識にさほど変化はないだろう。
 その坊さんだって真っ当な扱いを受けていたとは思えない。彼には明らかに上位聖職者になるべき資質も年功もあった。だが彼はそういった位階に興味がなく、運動よりも日々真面目に人々と接することを優先した。
 その結果、彼は同僚から非常に侮られた。彼は困ったような微笑を浮かべていつまでも泥臭い、地道で大変な仕事ばかり行っていた。その横では頭のカラッポな、世渡りがうまいだけの坊主が、聖帽をかぶって女を片手に大道を闊歩していたというのに。
 若い私は悔しかった。馬鹿馬鹿しい。この男こそを、聖庁から引き抜くべきだ。そしてある時、我慢しきれなくなって聞いたのだ。
「一体、どうしてそんな思いまでして教会にいるんです? 私が知っている以上の廃頽を、あなたは既にご存知のはずじゃないですか。教会はもう半ば以上、終わっていますよ」
 するとその中年の僧侶は、日に焼けた顔、目の下に皺を寄せて笑ったのである。
 そうだなあ。確かにまあ教会は、かなりなところへ行ってるねえ。しかしね、コーノス。俺は多分そうなる、十中八九自分の言いたかったことは理解されない、と勘付いていながら、それでも一人で説教を始めたあのおっさんのことが、好きなんだよ。
 彼が「おっさん」などと呼んだ男の像の足元を歩いて、私は査問室から執務室に戻る。
 イェーガーはいい加減うんざり顔をしていた査問委員を押して、最後に私が個人的に雇用している人間についても尋ねてきた。
 とはいってもミノスについては既に教皇と話が通っているから直接問題には出来ない。彼が噛み付いたのはアレのほうだ。
「一体、この突如発生した市民権登録はなんですか?! まさかこの男も北ヴァンタス人だなどというのではないでしょうね?! 内務に関係させるとは言語道断ですよ!」
 私は言っておいた。
「ああ、その男は私の隠し子です」
 冷たい空気の張り詰めた廊下を、白い息を吐きながら歩く。不愉快な場は終わったが、どうにも胸のうちが晴れなかった。
 彼の言う「おっさん」が飲み込んだ以上、そしてその信者の一人である以上、私もある程度それを飲み込まざるを得まい。聖庁に入ると決めたときから、覚悟していたことだ。
 だが、それとは別に、そろそろ退避できるものは退避させるべき時が来たのかもしれない。






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