コントラコスモス -28-
ContraCosmos
「ボレア」


 ちょうどその頃「隠し子」は、冬らしい薄っぺらな青空の下を、厚い外套に両手を突っ込んで当てもなく歩き回っていた。
 子供の遊ぶ路地を抜け、市場を歩き、大聖堂の尖塔の近くまで行って引き返し、大道を往き、時々行ったことのない袋小路に引っかかったりしながら、もう一時間以上外に出ている。
 別段、部屋にいてもいいし、中庭でもいい。ミノスだって店から追い出したりするようなことはないのだが、彼自身が、どうにも居たたまれないのである。
 花屋の懐胎に伴う騒動で、確かに彼は相当株を下げた。だが、彼がろくでなしなのは前から分かっていたことだ。林檎ならどうなったか知らないが、ミノスは慣れている。
 ヤナギだって、花屋だって大人だ。リップは彼らと居合わせても、今までと同じ単なる別れの後なら店にいられただろう。
 だが、今回は少しばかり事情が違う。リップは石畳を蹴りながら、俯いた。
 今回は、バレた。
なんというか、あの場にいた全員に、自分自身がバレた。ヤナギがぽろっと「子供いるぞ」と言ったとき、あんなに逆上しなければ良かったのだが、後の祭りだ。
 ――恥かしいなあ。
恥かしい。
リップは歩いていても顔が赤くなるのを感じた。
 ミノスに見られた。ヤナギに見られた。
底が知れるのは恥かしいことだ。
 だから昔は頬を赤らめながら恋をした。
消え入りそうになりながら女と寝た。
 コルタ・ヌォーヴォに流れ着いて最初、屋根の為に女と寝た日は面白かった。乾燥という言葉の意味を初めて理解した。どこまで進んでも羞恥まで届くことはなく、物足りない女のような気持ちで流れるままに過ごしていたら、いつの間にか周りの人間関係がえらく不穏になっていた。
 そこから抜けた後も、基本的に一緒だ。誰とどこでいつ寝たって、ああいう頭にガツンとくるような恥かしさはまるで無かった。この間の、
『な、なんですとーー?!!』
が、来るまでは。
 あの時、ミノスの顔がめきめきと変わるのを見て、彼は二重にはっとしたものだ。しまったと。
 聖庁でコーノスに勧誘を受けたときは、こいつは他人のことを随分勝手に言うものだと思った。またたとえ彼の言うことが正しいのだとしても、まだ逃げ切れると思った。
 だが、あの瞬間確かにリップは何かに追い抜かれた。その穂先はミノスの両眼に刺さり、そして跳ね返ってリップの村雲を貫いた。
 コーノスが「本質」と呼ぶもの。
 リップが「底」と呼ぶもの。
 花屋が「自分自身」と呼ぶもの。
 変わっていくのだろうか。
リップは前髪の中で僅かに目を細める。
 あの取り返しのつかない損失の後、流れに流れ続けた三年間の果てに? 思う様堕落するだけ堕落しておいて今更?
 教会の鐘の音が余韻を引いて終わる。午後三時だ。
マヒトがいるなら、店に現れる時刻だな。
 そう思ったとき、ふいに後ろから誰かに、すがりつくような強さで右腕をつかまれた。
「――?」
 戸惑いも怒りも湧く以前に、反射でそちらを振り向くと、若い、自分より少し背の低い男が真剣な目でこちらを見つめていた。
 リップはぽかんとする。あまりに意外な顔だったので咄嗟に思考が復活しなかったのである。
 だが、相手の瞳がきらきらと光り、顔が嬉しさのあまり泣きそうに歪むのを目にすると――血の気がザーッと引いていった。
「ボ、ボレア?!」
「バルト先輩!!」
 次の瞬間、今まで考えていたことも忘れて、リップはその場を逃げ出した。
「あッ! 先輩、待ってください!!」
 男は追いかけてくる。リップは青くなったり赤くなったり訳のわからないことを呟いたりしながら、必死で大道を逃げて行った。






<< 目次へ >> 次へ