コントラコスモス -29-
ContraCosmos


「そういえばお聞きになりまして? ブラネスタイドにいらした公女アンジェリナ様が、この度大学の医学僧達と一緒にコルタをご来訪になるんですって」
「まあ随分急なお話ね。そんな予定はなかったでしょうに」
「ええそれがね、医学僧の中に大変なお気に入りが出来て、その方を送り届けにわざわざいらっしゃるんですってよ」
「まあ、どなたかしら! 神学なら有り得るお話ですけれど、医学なんていわば下の下。そんなところにそんな、いい方がいらした?」
「いいえ、特にお血筋のよろしい方ではないのよ。普通の学生さん。変わったお名前で、マヒトさんと仰るんですって」
 テーブルクロスの刺繍の目を数えてやりすごす退屈極まりない世間話の中に、突如爆竹が紛れ込んだ。
 少女は驚いて顔を上げ、作り声で会話を続ける女たちをテーブルの端から見つめる。
「ブラネスタイドでこの間医学会が開かれてね」
「まあ、そんな学会があるの?」
「あるらしいですよ。その会で、方々から集まってきた学生さん達の中から、特にその方に目をつけられたんですって。だからとても優秀な方なんでしょうねえ」
「名前からすると東部の方ねえ。ではきっと黒髪黒眼だわ。あらちょっと素敵」
「もう二、三日で帰っていらっしゃるそうだけど、ちょっとどんな方か見てみたいわね」
「マヒト? とおっしゃるの?」
「ええ、そう。マヒト神父」
 その名が聞こえるたびに、口から心臓が飛び出そうになる。同じくらいの困惑と緊張で喉が震えたが、こらえ切れずに少女は身を乗り出した。
「……私、その人のこと知ってるわ……!」
「…………」
 女たちの目が一斉に、忘れかけていた娘の上へ注がれた。だが、長い間誰も口を開かなかった。
 やがて、冷たく不審げな表情の中から一人母親が、なだめるような笑みを浮かべ、
「まあ、本当?」
と言った。
「どんな方なの?」
「どんなって……」
 少女は答えに詰まる。何を言えばいいのだ。血筋のこと? 顔つきのこと? 髪の毛の色や目の色のこと? 身長のこと?
 ぴんとこなかった。そんなことに拘泥すること自体が、現物の彼にそぐわないのである。
 彼女の頭の中にあるマヒトは、言葉でもなく、データでもなく、そのものだ。見た目ではない。
 少女の心理は均されず純粋で、女たちが広げる網の中へ、齟齬を許して彼をなげうつことが出来なかった。
 その間に、女達はもう別の会話を始めている。どこかの家に生まれた子供の顔が大変に不細工だ。あそこの家は上の子供も普通じゃないのよ。
 そんな、退屈などという以前に彼女の良心が軋むような会話がこの先、暗くなるまで砂糖菓子の中で延々と続く。
 母たちはそれが女の人生だと思っている。同じ女でもミノスのような人間の生活と知識については、想像も及ぶまい……。
 だが、今はそれどころじゃない。大切なのはマヒトが帰都するということだ。考えるだけで熱が出るような気がして、少女は一人拳を握り締めた。
 思えば自分はまだ、花束の礼も言っていない。




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