コントラコスモス -29-
ContraCosmos


 夜半過ぎ。
薬剤を持って聖庁へ向うと、コーノスは執務室でいつもの椅子に腰掛け、仮眠を取っていた。起すと悪いなと思ったが、扉を開けたときに滑り込んだ冷気のせいで、一唸りして目を覚ます。
「ああ君か。すまんな、眠っていた」
 両足を足置きから引き上げ、椅子に座り直した後、痩せ男はこめかみを押さえた。
「いかんな、頭痛がする」
「ちゃんと自宅で寝ろよ。年寄りの冷や水だぞ」
 と、私は散らかった机の上に商品を置く。
「年寄りにはもっと優しく接したまえ」
 それでいて顎までの猫っ毛を整える頃には、すっかり普段と同じ調子になった。全くこのおっさんのタフさには呆れる。
「確かに注文どおり揃っているな。ご苦労。火酒でも飲んで行くかね?」
 寒かったので頂いた。一杯流し込むと胃壁から燃え上がるような感じだ。その手ごたえに眉をひそめて吐息をつくと、
「そういえば午前中に、マヒト君らが帰ってきたな」
 と、コーノスが言った。
「ああ」
 私は掌に納まるほどの小さなグラスを、銀の盆の上へ返した。
「らしいな。見てはいないが」
「まだ店のほうへは行ってないだろう」
 コーノスはからかう様子も無く、頭の後ろで両手を組んだ。表情が消えていて、一体何が言いたいのかつかめない。
「まだだが?」
 私は要領を得ない面持ちで続きを待つ。だがコーノスは私の視線を避けるように右を向いて、その用も無いのに戸棚の中のコレクションを見つめた。
 それは言いたくないようなことを言おうとする父親みたいな仕草だった。
「……世の中には色んなコレクターがいる。私の唯一の道楽はガラス類だが、蝶を集める男もいればボタンを集める女もいる。
 この度、医学僧達と一緒にコルタ入りしたボブリンスキ公女アンジェリナの集めるのは人間だ」
 詩人、絵描き、役者や歌手、音楽家、それに学者。サロンに集められる綺羅星の類なら私にも想像がつく。それでもまだ釈然とせずに突っ立っている私に、無理もないと目を細めて年寄りは一気に言った。
「公女はブラネスタイドでマヒト君に会い、その実直さがいたくお気に召したらしい。公女の本拠地クレバナに連れて行きたいので、移籍の手続きを取ってくれと正式に要請があった」
 あちこちを逃げていたコーノスの目がやっと私の上に降った。眉を上げる。
 そんなふうに気を遣って頂いても、どうしたものやら不明だ。基本的に私には関係のない話だし、
「ああ、そう?」
と普通に受けるしかないではないか。
「……公女はルール違反な育ち方をしてるからな、コルタ入りした後もやれお茶の時間だ、やれ夕食だとマヒト君を呼びつけて、出来る限り側から放そうとしない。そのわがまま振りを見るとどうにも不安ではあるが……。
 ただ、今回のことで一段とはっきりしたが、マヒト君はやはり聖庁向けの人材ではない。ここは口八丁手八丁の人間が幅を利かす魔窟だ。ずっとここにいても彼に日があたることは無いかもしれん。
 それくらいなら、学問都市クレバナで学問僧としての道を選んだ方が彼にとっても幸せかもしれんが……」
 私は肩をすくめた。
「どちらにせよ奴が決める話だろう。私の知ったことじゃない」
 ではな、と机についたままのコーノスを背中に残して、ドアを押す。身構える前にすさまじい冷気に包まれ、私は悲鳴を上げた。
 かたかたと震える手で外套の前を押さえながら、暗い通路を歩いていく。明かりには乏しいけれど、口元の息が白く煙を巻いていくのが分かった。
 ――なるほど、ね……。
暗闇の中で自分の足音を聞きながら、私は納得する。
 道理でいつまでたっても店に現れないわけだ。奴の性格なら帰都後すぐに挨拶に来るんじゃないかと思い、一応準備はしておいたのだが、午後三時の鐘も午後五時のそれも虚しく過ぎた。
 もっともこれは私だけの感慨ではなく、リップだって三時過ぎひょっこり一人で戻って来て、拍子抜けしたような顔で茶だけ飲んで行った。
 妙な話じゃないか。
誰がこんな風に、マヒトを待つと想像していただろう。
 聖庁の連中と同じように、私達だって彼を馬鹿にしていた。クソ真面目で、間が抜けていて、図体だけあたら大きくて、融通の利かない石頭。
 けれど、その石頭がリップを連れて帰って来てくれた。その馬鹿が私を止めてくれた。
 世の複雑さに親しみ、自ら罪と嘘とで汚して、彼の単純さを軽んじていた我々が、いつの間にか彼に助けられ、今では少なくとも、待っている。
 奇妙な話だ。
 しかしそれもここに来て夢で終わるのかもしれない。
 与えられて当然だった賞賛が、マヒトにようやく追いついてきた。人が、より自分を大事にする人間について行くのは当たり前のことだ。
 そうだ、これは罰かもしれない。彼を粗末にし、甘えてきた我々に対する、もっともな報いだろう。私達はたとえ彼を奪われるとしても、今更何を言えた立場でもないのだ。
 すっかり眠り込んだ街を歩きながら、月を見上げた。やはり寒くはあったが、地下通路とは違い、空気に一つの落ち着きがあって、日々が春へと向かってゆっくりと動いているのが感じられた。
 蒼い夜の中を南へ下り、店の前まで戻ってきた時。ドアの前に大きな人影が座り込んでいるのを見て、私は足を止めたきり、棒立ちになった。
 だって午前二時だぞ。
 唖然とする私に構わず、彼はこちらを認めると、頬を押さえていた手をひらひらと振り、
「ただいま」
と言った。
「やっと自由の身になれてさ」



 一瞬の後、体の横から崩れるみたいに震えが湧き上がってきた。私は思わず額に手をやり、訳がわからなくなりそうな自分に歯を食いしばりながら、やっとのことで悪態を搾り出す。
「馬鹿かお前は……!」
 いきなりな台詞にこたえるでもない。思えば我々の悪意なんか、初手からこいつには通用していなかったのかもしれない。
 マヒトは立ち上がると前と変わらぬ優しさで、屈託なく微笑した。


-つづく-



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