コントラコスモス -31-
ContraCosmos



 話を聞いて、どうしてこの少年、じゃなかった、二十二歳がこれほどまでにリップに拘るのか理由が分かった。奴の転落の原因となった事件の現場に、しかもその核心にいて、一部始終を見ていたからだ。
 しかも多分、自分の存在がリップの足を引っ張ったと思い込んでいる。彼が修復したいのは奴の過去と同時に、自分の過去でもあるのだろう。
 なるほどと納得はしたが、それゆえに唸ってしまった。ボレア青年の心が真っ直ぐなことは分かる。本気でリップを心配していることも分かる。
 だがリップを、あの傷つきまくった運の悪い男を、もう一度カステルヴィッツに連れて帰るというのはどうだろう。確かに警備隊というのは彼の天職だったのかもしれないが……。
 未来を思うとどうにも難しい顔をせざるを得なかった。もっともボレアの方は、これだけ内実を喋ったのだから、協力してくれなければ困る、といった様子だ。
「あなたはバルト先輩が今のままでもいいと仰るんですか? たった一度降り懸かった災難のせいで、先輩が、あんなに優しい心を持った人が、一生を台無しにしても仕方が無いと仰るんですか?」
「…………」
 冷めたお茶の側に両手をついて、食って掛かってくるボレアの顔を見る。この男は、いかに庶民的とは言ってもやはり軍人だ。それ以外の職についたことは無く、剣を振るわない男達の日常を知ることは無いだろう。
 リップは、それは確かに自堕落だ。しかし、特に最近は、それほど糸が切れた凧のような生活を送っているとも思えない。
 コーノスに惚れられた彼。花屋の手伝いをしていた彼。赤ん坊を抱いていた彼。
 その本性は傷を抱えながらも日々の中でゆっくりと覚醒し、当人が望む望まないに関わらず、周りにもじわじわとバレ始めているように見える。
 確かにそれは、ボレアにしてみれば王道ではないかもしれない。けれど、私が女だからだろうか、或いは毒物師だから? 王道を歩むことはそれほど重要でないように思えるのだが。
「彼はこんなところで人生を無駄にしていい人じゃない。カステルヴィッツには彼がすべき仕事があり、受けるべき評価もあるんです!」
「……じゃあ君は、リップに言えるのか? もう一度隊に戻って、ショーンと同じくらいの部下達の面倒を見てくれと。殺してしまった新兵達の家族や友人達が生きている同じ街で?」
 ボレアは怯み、不愉快そうな顔でこの得体の知れない薬草屋を見た。きっとこんな風にずけずけものを言う女を見たことが無かったのだろう。
「ど、どうしてそんな嫌な言い方をするんです!」
「君が敢えて言わなくても、リップにはそう聞こえてるさ。結構無茶な要求だろ?」
「……あなたは、本当はバルト先輩を帰したくないんじゃありませんか?! それでそんな意地悪を……」
 どういたしまして。不本意ながら知り合いの子供の父親なんでね。さすがに口には出さなかったが、ボレアは充分、私などに事情を話したことを後悔し始めているようだった。
 苦い顔をした若者が席を立ちかけたちょうどその時、店の扉が開いて、当のリップがどこからか戻ってきた。顔色を伺うが、あまり変わっていないようだ。
 相変わらず飄々として、人を食った表層の奥に、割り切れぬ痛みを噛み込んでいる顔だ。広くて明るい道を走ることを赦された人間は、こういう容貌にはならない。
 そして私にとってリップとはこういう人間だ。かつてはそうであったのだろうが、今の彼から素直な、引き裂かれていない姿を再現することは難しかった。
 少なくとも、そこへもう一度押し込めるほどの鋳型を作り上げることは、私には出来ない。
「どこにいらしてたんです、先輩! 朝からずっと探してたんですよ!」
「うんまあ、テキトーに」
 いい加減に言って手を振る。いつもの席にはボレアが座っているから、その隣に腰を下ろして「お茶くださーい」と言った。
 私は黙って準備をしながら、世話女房のようなボレアの攻撃が勿体無くも受け流されて無為に終わるのを、やれやれと思いながら聞いていた。
 私と話をしたこともあるのだろう。青年は今日は普段にも増して攻め口調だった。
「こんな生活していて身体にいいわけありませんよ! せめて一週間だけでもいいから、僕と一緒に王都に戻ってください!
 何故そんなに投げやりなんです? 僕の話を聞いてください!」
 相手の必死さに、リップは笑った。女達を捨てるときと同じだ。見ているこちらがため息をつきたくなるような微笑だった。






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