コントラコスモス -32-
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寝ても治らなかった。二日目の朝、私はとうとう正真正銘の風邪っぴきとなった。 熱はそれほど出ていないようだが、鼻は詰まっているし咳は間断なく出るし、味覚が落ちてる上にちょっとめまいまでする。これほど典型的なのも久しぶりだ。 「一昨日、調子悪そうだったから大丈夫かと思って」 と、わざわざ喉にいい飴を持ってきてくれた花屋がびっくりする前で、私は派手に咳き込んだ。 「ああ、悪い」 声は前にも増して鼻声である。 「今日は休んだ方がいいんじゃない……? 大丈夫?」 「いや、まあ平気。熱はないみたいだし」 「朝ごはんちゃんと食べた?」 「いや、食欲なくて……」 「じゃあ私、食べやすいの作っていくわ。そこの火借りていいわね?」 「え? いや、いいって。大丈夫だって」 病気と聞くとえらく活気づいて世話を焼いてくれる人がいる。花屋もそういう類らしい。 事は決まったとばかりさっさとカウンタの中へ入ってきた。彼女の勢いを止めることが出来ず、私はうろうろする。 「いや、本当にいいっ……ゲホゲホッ。いいってば」 「病人は座ってなさい」 丸椅子に押しやられてもはや為す術も無く、体は痛いし鼻水は出るし、ほとんど自棄の境地でカウンタに頬杖を付いた。我ながらふてた子供みたいだ。 やがてリップとピヨピヨ君が連れ立ってやって来た。今朝はどうやら店の前で対面したらしい。 「あれ、どうしたの? ミノスさんが客になってるよ」 のん気なリップに花屋が命令する。 「ちょうどいいところに来たわね。ちょっとオーロ市場に行って魚と野菜買ってきて」 「い、いやいや、その……」 「いいよ。何がいい?」 きれいに無視されたかわいそうな私の右手。話は脱力する当人に構うことなく勝手にまとまり、男どもは出かけて行く。 「いい父親になれるのにね……」 説明も受けないのに恐ろしく手際よく器具や材料を揃えながら、花屋が低い声でぼそりと呟いた。手を頬に当てたまま無言の私の耳に、やがて包丁の音が聞こえ始める。 「――慣れてんるんですね」 三軒目で青物を選んでいるリップを眺め、ボレアはそんなことを言った。彼は自ら志願して両手に魚とトマトを下げていたが、いかにも慣れておらず、何故か周りに痛々しい印象を与える出で立ちになっていた。 「買い物は女性の仕事かと思ってました」 「ああ、まあそりゃな」 手を止めてリップは振り向く。あっ笑ったとボレアは思った。 「軍隊には基本的に女がいないしなあ。だけど街じゃ旦那が買い物篭下げてたって普通だぜ。俺も最初は居心地悪かったけど、すぐ何でもなくなった」 結局男二人、両手に商品を抱えて店まで帰る。店の女主人は奥で休んでおり、中では「花屋」と呼ばれる女性が料理をしていた。 さっき、朝一番で店に入ってきたときも少し驚いたのだが、どうやらこの女性とリップとはそれほど疎遠な仲でもないらしい。前、街で会ったときには、単簡な挨拶だけしかしなかったような記憶があるが。 「はい、ありがとう」 「いいえ。……お茶飲めるかなあ。ちょっと二日酔いで」 「いいと思うけど、自分でやってね。私、魚いじったら手がもうアレだから」 「はいはい」 と、リップも板を外してカウンタの内側へ入る。通路状の狭いスペースの中で、それぞれ働く二人の体がすれ違ったり離れたりする。その様が傍で見ていても分かるくらい自然だった。 いや、彼女だけではなく、店や市場。通路、梢、石畳。 この街自体が落ち着いて、ほとんど昔からの住人のように、彼を取り巻い―― 「お前も飲むか?」 白シャツを腕まくりしたリップが、勝手知ったる他人の店、茶器を両手に持って後輩に尋ねる。我に返って瞬きをしながら、ボレアは曖昧な返事をした。 「ああ、はい……」 それから何かを振り落とすように、首を軽く振った。 |