コントラコスモス -32-
ContraCosmos



 壁と壁の間、石畳の狭い道を歩いているとき、よくこんなことがある。
 向こう側から人が来る。すれ違うしかない。ところが私と相手の中間くらいにちょうど道幅が狭くなっている場所がある。(特に古い地区では区画がメチャメチャなので、よく家の壁が乗り出していたり、街灯が立っていたりするのだ。)
 私は相手に遠慮して歩調を緩める。ところが相手も同じ事を考えたのか、互いに調整した結果、よりにもよってちょうど一番狭いところで不細工にすれ違ってしまう。
 親切が仇になるという話がしたいわけではない。出来事は何故か一時に固まって来る、ということが言いたいのである。しかも余裕の無いときに限って。
 まあそりゃ事件が数珠のようにつながってぽろぽろとこぼれてくるのもどうかと思うが、どうしてまた面倒というのはこう重なってしまうものだろうか。







 昼までの二度寝がよかったのか、花屋の魚スープが効いたのか、昼過ぎには朝に比べればかなり気分が落ち着いていた。
 相変わらず喉鼻はよろしくないが、体の痛みは取れて辛さが半減している。それでカウンタの内側に座り、だらだらリップ達と話をして過ごした。
 花屋は店を店子に任せたということで、今日はどうやら終日ここにいるつもりらしい。体調が悪いなら店を閉めればよかったんじゃないかと午後になってふと気づいたが、花屋もリップも知らん顔をしていた。
「夜は早く仕舞いなさいよ」
 と、釘は刺されたが。
 どちらにせよ店は確かに開いていたが、客もなし、茶を飲みながら遊んでいたようなものだ。
 ボレア青年さえ割と打ち解けて、気楽な笑みを見せ始めた頃、いきなり店の扉がすぱーん! と開き、
「こんにちは、マヒトさんいますか!!」
と、えらく久しぶりな――それでいて全く変わらない切羽詰った林檎の声が、全員の耳を驚かした。
「まあ、林檎ちゃん! 久しぶり!」
 入ってきたのは確かに林檎だ。大晦日以来だから、一ヶ月半ぶりの再来である。
 なんだか前よりもいい格好をしていて、髪の毛はきちんと上に編まれていた。ちょっとした家の娘さんといった感じだ。
 だがそれに似合わぬ取り乱した様子が、早くも不安を感じさせる。
「お前、大丈夫なのかここに来て」
 痛い喉で尋ねた。林檎の答えは誠に明瞭で、
「抜け出してきました!」
 私は聖句を呟いた。
「え? 家を勝手に抜け出してきたの? 大丈夫? だってここバレてるよね」
 林檎は興奮していた。目を丸くしたリップに、妙に大きな声で噛み付くように返答する。
「ええ、バレてます! だからとても急いでるんです! マヒトさんはどこですか?!」
 大人たちはみんな顔を見合した。まだ午後三時には三十分ほどある。何も無くたって来てない時刻だ。
「教会」
 簡潔な答えは全く彼女のお気に召さなかった。きっと飛び込んだら店の中に彼が居合わせている、というのが、期待のシュチュエーションだったのだろう。その代わりにごちゃごちゃした用の無いのが四人もいたんじゃ鶏冠(とさか)に来て当然だが。
「どうして邪魔するのよ! ああもう! 折角抜け出してこれたっていうのに!!」
「癇癪か」
「癇癪だな」
「まあ落ち着いて、林檎ちゃん。座ったら?」
「駄目、奥に入れてください! 見つかったら戻されちゃう!」
 というわけで追われる林檎嬢をカウンタにかくまった五分後くらいだっただろうか。第二波がやってきた。
 再び店の扉が開いたかと思うと、あからさまに人相の悪い男達が四人、妙に静かに店の中へ入ってきたのである。
 大柄でなければ刺青で、健康ではないにせよ病気ではなさそうだ。どう見ても薬草を求める客ではないし、林檎の家の使用人にしては柄が悪すぎる。
 呆気に取られる我々を妙な目つきで一通り眺めると、集団の中で一番地位の低そうなのが、
「主人は誰だ?」
と長い顎を動かした。
「……私ですが、何の御用でしょうか」
 ここらでは見かけない連中だ。つまらないことが起きそうな予感に額がちらちらした。不穏な空気を察してカウンタから頭を出そうとする林檎を押さえつけながら、私は立つ。
「ふん、あんたか。……俺の知り合いがあんたのところの薬を飲んで腹を下してな。それをどういうふうに償ってもらおうかと思ってさ」
「…………」
 見れば優男とも言えるような風貌をした若者だ。どうしてこんな顔に生まれてこういう人間になろうと志すのだろうと悩みながら、尋ねる。
「どなたのことです?」
 残りの三人は後ろで扉を塞いでいた。目を伏せがちにしたリップが、花屋とカウンタまでの距離を計算していることを胸の内で期待する。
「私のお客はごく少数でして、皆様お知り合いです。お名前を仰っていただければ分かると思いますので、ご当人に直接お詫びに伺いま――」
「四の五の言うんじゃねえよ!!」
 怒号が店の空気を震わした。病気の頭蓋に響いて、思わず眉をしかめる。
「本気で償う気があるんならまず誠意を見せるのが筋ってもんだろ?! 人が体壊すような薬売りつけといて、何偉そうにごちゃごちゃ抜かしてんだ?!」
「…………」
 私は目を細めた。
 ――姦しい男だ。
 実に苛々する。
 しかし白昼でもあるし、コルタの一般人相手に何かするわけにもいくまい。その上こちらには林檎と、花屋。それにボレア、……リップもいる。
 普段なら私一人ということも有り得るのに。
 なんで何もかも一緒くたに来るんだか。
「おい、リップ」
 私は首を曲げた。
「ん」
 と、彼は肯き、椅子に座って事の成り行きを眺めていた花屋とボレアを、カウンタの奥へ連れて行く。
 花屋は気懸かりな様子だったが、自分が足手まといになる存在だということは承知らしく、林檎と一緒に大人しく扉の奥へ下りていった。
 抗ったのはボレアだ。その胸に掌を置いて、リップは断固と押し戻す。
「馬鹿かお前は。こんなところで事件を起こしてみろ、どうなると思う」
 北ヴァンタスの軍人が聖都コルタ・ヌォーヴォで市民を暴行! そんな楽しい見出し、私だって見たくない。
 ぐうの音を上げるピヨピヨを押し込め、戻ってこようとしたリップを今度は私が止めた。
「お前はいい」
「……は?」
 大きな青い瞳の中に自分の姿が映っていた。
「いいんだ。悪かったな。今まで何度も」
 私は、彼の肩に手を掛け、力をこめる。
「何も知らなかったんだ」
 息を吸おうと口を開けたリップを押し、扉を立て切った。
 そして、ようやっと男四人の方へ向き直った。
 男達は確かにならず者だがそれも商売であって、多分、非常に単純な命令をその雇い主から受け取っている。だからその矛先がブレることはなく、ある意味では行儀よく待っていた。
「で、どうする?」
「んー?」
 社交辞令を振り落とした私の問に、店の中を見回っていた先の男が、右足を軸にしてゆらりと振り向いた。
「あんたらも商売人なら、解除条件があるだろ。今の雇い主からの依頼、何があったら忘れる?」
「んんー」
 男は側頭を掻く。
「それがさあ、確かに普段なら俺らも考えるんだけど、今回ばかりはねえ。ちょいと信じられないくらいの金額、前払いで頂いちゃったから、やらないわけにはいかないのよ」
 他の三人も困ったような薄笑いを浮かべたまま、無言だ。私は薄目で店の中を見回した。
 取り返しのつくものとつかないものを目算して、さすがに愉快とはいかない。
「小娘に顎で使われて情けなくないのか」
「それを言うならそんな小娘に恨みを買ったあんたが悪いよ。妙なものには盾突かないのが、俺ら小物の人生の智慧だろ」
 ……否定はしない。
 私は嘆息して腕を組んだ。
 それが合図になった。
「悪く思うなよ――」
 無理なことを言って、男の手が棚に伸びる。側面をつかむと、身をかばいながら思い切り引きずり倒した。
 中に入っていた薬や、原料や、硝子瓶や陶器が、それぞれ線を描いて床に吸い込まれて行った。




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