コントラコスモス -32-
ContraCosmos



 ―――。
扉が閉まると、地下への階段は暗闇になる。上の段に足をかけた格好で、リップはいつ迄も立っていた。
 奥の部屋で「何なんですか?! 誰なんですか、あれ?!」と、林檎が騒いでいるのが聞こえる。
(お前はいい。)
 ゆっくりと、足が動き、リップは身体を反転させ、段を一つずつ、下まで降りた。廊下には、花屋がいた。
 彼女は、その賢い目でじっとリップを見つめる。無言のまま側を通り抜けようとする彼を責めることはなかった。
「いいわね、あなた達」
 だが、平坦な声がリップの足を止める。
「お互いのことを、自分よりも大事にして」
 沈黙の後、ぎゅっと細い手がシャツごと二の腕を掴んだ。
「――私もそこへ入れてよ」
 そのまま、二人は凝固した。花屋は唇を噛み締めたまま腕を離さず、リップは痛いとも言わずに、前を見たまま、立っていた。



(みんな、信じて待ってる。)
(悪かったな。)
(お前が苦しんでるのを知って)
(何も知らなかったんだ。)
ごめんな。



 ――待っている。
 何かを。本当だと信じられる何かを。
 単なる平穏でもなく、怠惰なる持続でもなく、
 不自然な辻褄でもなく。
 待っている。
 祈っている。
 みんな。
 俺を信じて。
 俺の本質の、必ず跳ね返ることを信じて。



(――君は、運がいい。)



 君は、思い思われている。
 君は、待たれている。
 バルトロメオ、いい加減気づいてもいい。
 誰がお前にそれほどのものを
 与えてくれるというのか。



 たとえどのような過去と葛藤がお前を阻んだとしても、
 それに応えずしてどうやって
 生きていると言えるのだ。






 コーノスの横顔を思い出した時、階上からものすごい物音がして、地下までも揺れた。
「あいつら店を壊してやがる!!」
 ボレアの絶叫が耳朶を打った。慌てきった小動物のように彼が部屋から飛び出してきて、階段を駆け上がろうとする。
「我慢できません! 処罰されようと僕は行きます! こんなところで黙って見てるなんて……!」
 半身を闇に溶かすリップに言いかけて、ボレアは途中で力が抜けてしまった。
 駄目だ。今まで何を言っても駄目だったではないか。今だってどうだ。あんな音が聞こえたというのに、彼の顔は風邪引きのようにぼんやりしたまま。
 ――分かった。よく分かった……!
 結局、自分にはこの人を動かすことなど出来ないのだ。自分の思いはもはや彼には通じないのだ。
 突き上がる寂しさに鼻が痛んだ。だがそれを振り捨てて、先へ行こうとした時だった。
 ボレアは襟首をつかまれて、一気に背後へと体勢を崩された。
「わっ?!」
 必死で足を出して身体を引き受ける。驚いて上げた視線の先に、走るリップの背中があった。
 ボレアは目を見開いた。今扉を開いたその背中は、違っていた。いつも戦場で、彼が追いかけていたそれだった。




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