コントラコスモス -32-
ContraCosmos |
私は、カウンタの隅に身を寄せてその様に耐えていた。暴力というのは良くも悪くもリアルなものだ。それが直接自分自身に向かって来ることはないと頭では分かっていても、大きな音がするたびにどうしようもなく体が震える。 男四人はそれぞれ忙しく動いて、勤勉に、的確に破壊した。棚、窓、カウンタの椅子、床。扉は最後にとってあるのか、それとも親切で見逃してくれるつもりなのか。 きっと店の前では物音に駆けつけた連中がざわめきながら、店の中の様子を窺っているだろう。 しょうがない。 しょうがないな。 収まりきらぬ感情にまた呟いたその時、地下の扉が開いたもので、私は本気で縮み上がった。 咄嗟にボレアか林檎が飛び出してきたと思ったのだ。何をやってるんだちゃんと見てろよ! と、汗を流す私の前に現れたのは、だが、 リップだった。 「お前――」 彼は私に構わなかった。散乱する品物を避けてカウンタの上に跳び乗ると、そこからせっせと破壊にいそしむ男達に言ったのだ。 「悪い。帰って」 「――?」 男達は一斉に振り向いた。そこには、さっきこそこそ引っ込んだはずの締りの無い男が一人。 連中が芸事でも始まったのかという表情を浮かべるのも無理は無いだろう。 靴音がしたので見返ると、扉の向こうで唖然としているボレアと目が合った。 「やめろよ、お前。怪我するぜ? 邪魔さえしなけりゃ何もしねえんだから。大人しく見てろよ!」 男達の一人が面倒くさげに吐くが、リップ(ここからでは表情が見えない)の返答は妙にはっきりしていた。 「咎のない人間が害されるのを見るのも嫌だし、下らん争いも嫌だ。だからもう帰ってくれ。あんたらだって怪我や危ないのはごめんだろ」 リップは丸腰だ。見た目にも役立たずの青二才が、芝居でも打っているように見えた。 だが、その言葉の訝しいほどの強さが男達の心を刺激する。一方的な力の奔流に真っ向から逆らう人間。男達はそれを潰してからでないと仕事が続けられないと思い始めたようだ。 狼藉を一旦止めたその手が、腰にえものを探す。そして、カウンタを取り囲むように四人がナイフの刃先を彼に向けた。 「なんとかするぜ?」 一人が呟き、他の三人が肯く。自分独りでも足りるという意味だろう。 「……ムカつくなあ、その高さ」 唾を捨て、突進する。 「降りろってんだよ!」 ナイフの刃が白い軌跡でリップの足元を払った。と思うや、それは跳んだ。 そして天井から紐でぶら下げてある、ハーブを吊り下げるための横棒を掴み、体重で紐を引きちぎり、着地する。 紐は取れたが、乾燥した植物は先に二、三残ったから、なんだかその様は滑稽だった。 が、次の瞬間その棒が視認出来ないほどの速さで曲がり、二撃目を繰り出そうとしていた男を「弾き飛ばした」。 嘘ではない。 私は、成人した男の体が地面を離れて飛ぶのを初めて見た。人間の体がまるで小麦の袋のように、自分達が壊した棚の中へ突っ込んでいく。 「――!」 輪を広げた男達と一緒に、私だってたじろいだ。 即座に分かることだ。 これは、生半可な「力」ではない。 その気になれば人間を何人でも、単なる物体に変えてしまうほどのそれだ。 分かった瞬間、総身の毛が逆立った。私は喉が痛いのも覚えず叫んでいた。 「やめろリップ!!」 ――ピヨピヨ青年は誤解したが、別に私とリップは男と女がどうのという関係じゃない。 ただ分かっただけだ。 どうしてリップが執拗に自らから逃げ続けるのか、その理由がなんとなく分かっただけのことだ。 その逃走の根にあるのは多分、また殺してしまうかもしれないという恐怖である。いつかあいつはマヒトに言った。「信仰」がいるのだと。 自分には他人を殺す力がある。だのにその知性は曖昧であり、思考は狂いやすく、手は間違いやすい。そう信じるに足る過去もある。 だから孤独でいよう。二度目が来ても恐らく自分は思い留まれず、且つその結果を受け止めることも出来ない。 そして隠していよう。自らが信頼できない以上、分厚い外套の奥底にその物騒なものを、死ぬまで。 殺さないために。どのような名で人から後ろ指をさされようとも、とにかく二度と周囲の人間を殺さないために。 その必死の努力を、こんな些事のために止めてもらうことはない。奴はお人好しだから、何だかんだと言いながら今まで私やマヒトの為にその力を使ってくれた。我々もそれに甘んじてきた。 だがもういい。 店なんか、金さえあれば幾らでも建て直せるではないか。力があるが故にこいつだけが、一人無理をすることはない。 「いいんだ! お前が使いたくないというものを、私やこの店のために使う必要は無い!」 「この野郎!」 状況の変化を未だに悟り切らぬ男が、汚く叫んで横から踏み込んで行く。リップの動きは、夏至祭でダナ婆さんを誘った時のようだった。髪の毛が体の動きに一歩後れて流れて行く。 二度いなされてナイフが落ちた。三度目の回転する突きは男の腹を打ち、彼はハーブの切れ端と一緒に反転して顔から壁へ突き落とされた。 「やめろ、馬鹿! いいんだ! いいんだったら――リップ!! 外套を脱ぐな!!」 くらくらするのは風邪だからなのか、叫んでいるせいなのか、もう何もかもなのか、判別不可能である。 その時突然、リップが闘う様を唖然と眺めていたボレアが、脳天に突き抜けるような声で絶叫した。 「ああ畜生、その手があったか――――ッ!!!」 そして床から手ごろな長さの棒を拾い上げると、猫じみた速さでリップの隣へ滑り込んだ。 と、彼は後輩を振り向いて肩越しに笑った。見たことの無いような笑い方だった。 もっともボレア青年も赤い髪に赤い顔で、爆発をこらえる両肩で、泣き笑いだったが。 「ボレア! 俺、戻らなくてもいいだろ?!」 リップが怒鳴る。 「戻らなくていいです!!」 ボレアも真っ赤な頬で怒鳴った。 「あなたがあなたでいてくれるならどこにいたっていい! 分かりました! よく分かりました!! ――終わったんですね?!!」 その一語は、荒れまくった店の中に妙にきれいに響いた。 終わった。あの日々は。 愛憎も、失敗も成功も生も死も全て込みにして、ようやく終わった。 リップは答える代わりに前へ向き直る。そして気後れと意地の間で動揺している男がいつ迄も向かって来ないので、カウンタを蹴った。 店の外には見張りが一人いて、全体何事かと集まろうとする野次馬達を凄んでいた。 だが、店の扉が開いて、見知らぬ優男がまず二つ、それからまた引っ込んでさらに二つ、仲間達の体を道端に投げ出したのに接し、顔色を変える。 「ちゃんと連れて帰ってよ。こんなところで伸びられてちゃ迷惑だからね」 と、地面を指差す男はただの運び屋かと疑うほど無事な格好をしていた。だが詳細を確かめる余裕は無い。 見張り役の一人は驚いて二、三歩後ずさったかと思うと、ひらりと身体を返して逃げていってしまった。 「聞いちゃいねえな」 扉を閉めて戻る店の中は、まあ簡単に言うと地震の後、という感じだった。ボレアと花屋が棚だけは立てたから足の踏み場は出来ていたが、窓は割れているし、床中に瓶や壺の破片、それに薬草が散らかりまくってご大層な状態である。 しかも当のミノスさんも大風邪ときている。 「じゃあちょっと俺、出てくるから」 「どこ行くんだ?」 咳の出る口元を押さえながら聞いてくる。 「まあ秘密には出来ないでしょ」 「…………」 微かに複雑そうな影を宿すミノスの肩を叩き、リップはボレアに護衛を頼んで再び店を出た。 「ちょっと! 一体何?! 何なの、この有様は!!!」 ちょうど店の前で大家のご夫妻と遭遇した。どうやら出かけていたらしいが、幸運だったのかそうでないのか。 彼等の相手は気持ちよく残った連中に任せて、リップは大聖堂へと足を向けた。 |