コントラコスモス -33-
ContraCosmos



 暮れ始めの街に戻って店の前まで来た時――、感じるはずの無い気配を中耳に感じ、妙に思った。
 本当ならそこでマヒトと別れるつもりだったのだが、右、左、右と歩むうちに予定を変え、大道まで出てみることにする。
「薬を届ける予定があったのを忘れてた」
 店の玄関でマヒトを待たせ、中のリップにもうしばらく留まるように頼み、適当な空包みを抱えて再度出る。翳を落としいかにも冷えた聖都の路地を、何も知らない神学生としばらく連れ立って歩いた。
 生ぬるい呼吸が着いて来る。気の毒なほどの素人でもないが、気付かれた時点で既に玄人ではない。
 この不慣れな気配は前にも……。
 しかし、公女アンジェリナはとっくに帰国し、現在私や店を密偵する必要性は無いはずだ。
 同一の誰かが引き続き「俺たちのことを知りたがってる」のか、別の因子が平行して動いているのか。
 リップは気づいているのだろうか。それとも今のこれは私だけを追っているのか?
 刃の様な憶測を走らせながら、角を曲がって大道に到る。往来は忙しい時刻だけに混雑していた。
「今度はゆっくり茶を飲みに行くから」
 マヒトはにっこり笑って手を振りながら帰っていった。それにしても体の大きな男がちょこちょこ手を振ってるのはなんだか見てて気恥ずかしいものである。
 さて、と私は体の方向を変えながら気持ちを切り替えた。ビギナーな私の尾行者君に、雇い主のところまで案内してもらおう。
 私は人ごみを遡り、よく知った小路に入り、角を利用して引き離しておいて、尾行者の視界から姿を消した。階段を昇り、とある住居の二階部分から道を眺めると、追跡者はちょうど私がいなくなったのに気づいたところで――あまり厄介なものを追ったことがないようだ。慌てて影から飛び出して辺りをきょろきょろしていた。
 危ないな。他人事ながら呟いた。弓にこの位置を取られたらまず頭を抜かれるぞ。
 このレベルの男を平和に使役しているなら、雇い主は恐らくそう、「素人さん」なのだろう。だが、それだけに身に覚えが無い。最近は忙しくて市井の毒商いはほとんどしていないし、特別誰かに恨みを買ったような記憶もないが……。
 眉を八の字にして上から見ていると、追跡者はちょっと調べに入ったらしい私のいる建物の一階から、困り果てたような様子で出てきた。
 階段にガラクタが詰まっていたので、二階には行っていないと判断したらしい。私が内務上がりだということも知らないのか、そもそも内務について知識が薄いのか……。……ますます妙な客だ。
 十分ほど悪あがきした後、やっとそれは動き出した。姿を消して背中に迫る存在から、どこの街角で見かけても記憶に残らないありきたりな通りの人間に成り変わって。
 代わりに今度は私が追跡する影になり、動く点を追う点となる。
 技能は半端だがしつけは悪くない。男は寄り道して酒を飲むこともなく、まっすぐ雇い主に報告へ戻っていた。トリックの可能性も踏まえて一応用心しながら追う。
 やがて馬車を盾に川を超すと、街並みの種が変わってくる。新しくて清潔で顕示的なこの通りは、アールベジャンだ。
 縁があるな。と、以前ここで起きた商売がらみの事件のことを考えたけれど、途中で捨てる。有り得ない。あの多血な旦那は殺人罪で死刑になった(あれほど目撃者がいた上に、捕まえたのが聖庁の坊主じゃしょうがない)。地獄から逆恨みを晴らしにきたのでもなければ、関連は無いだろう。
 実際、男はその家屋敷を通過し、さらに進む。そしてそこからやや東へ入った一つの大きな邸宅の裏門へと、姿を消した。
「…………」
 私は明るい場所へ出ぬまま、その建物を見上げた。三階建ての実に立派な建築だ。表門に回ると、頑丈な鉄柵の前にはお仕着せの門番が立っており、その中には豪奢な馬車が一台停まっていた。
 私は笑顔を浮かべ、道に迷った振りをしてその門番と少し話す。親切に教えてくれたので、立派なお家に仕えていて幸せね、とお世辞を言った。
「ここはどなた様のお屋敷なの?」
「オスカー・クライスデール様のお屋敷だよ。色んな商いをなさってる立派な旦那様だ」
 礼を言いその場から離れたが、相変わらず思い当たる節は無く、今ひとつ判然としなかった。
 一瞬、林檎の素性について考えたりもしたが、どうもリアリティがない。いや、親として自分の子供が出入りしている場所を調べたいと考えるのは不自然なことではない。
 だが林檎の親はそんなに「自然」な親だろうか。娘が自殺騒ぎを起こしたことや、夏至祭であぶれてしまったことや、花束をもらったことなんかに、果たして関心があるのだろうか。
 大体今は家にいるはずだ。今更店に密偵を放って私の行動を監視するとはどうにも考えにくかった。
 とはいえ、可能性は捨てきれない。林檎の親が本人によく似た混乱症なら、行動が理屈と直結しない場合もあるだろう。それに彼女には父親だけではない、母親もいる。
 ――ともかく、今度林檎が来店することがあれば探りを入れてみよう。後は引き続き、密偵が張り付くかどうか注視するしかない。
 すっきりしない胸中に難しげな顔をしながら、私は念のため順路を変えつつ店まで戻った。扉を開けると、リップが勝手に秘蔵の薬草酒に手を出していたところで、奴はいたずらが見かった犬のように振り向いて一瞬固まった後、愛想笑いを浮かべた。




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