コントラコスモス -34-
ContraCosmos


「大司教を逮捕した……?」
「らッしいねえ。二日ほど前の話らしいが。聖庁は大騒ぎだそうな」
 ヤナギの医師は、パイプに棒を突っ込んで、煙草(最近覚えたらしい)のカスを掃除しながらのんびり言った。
「まあそりゃそうだなあ。そこらの神父だって普通手出しが出来ないってのに、大司教だもの。派手なことやってのけるよ、あの王様は」
「大司教を何の咎で逮捕すると?」
 隣にいるリップが片肘をついて尋ねる。
「風紀紊乱、公然猥褻、詐欺ってまあこの辺りは嫌味だぁね。結局のところは脱税さ」
 ヤブロ大司教領は、北ヴァンタスの領地中、一等豊かな地帯にまるで牛の体のガラのように存在する。聖職者に納税の義務は無いから、世俗領主達は、その豊かな実りが全て教会に流れ込んでいくのを指を加えて見送ることになる。
 翻って全ての人間は生まれた以上、十分の一税を教会に納めねばならぬ。それにはどの国の領民であっても例外はなく、結局富の流れは一方的に聖堂を目指す仕組みになっているのだ。
 当然俗人の王達は、過去何世代にも渡って、それを何とかしたいと考え続けてきた。この無法な矢印を変えねば、自分達の利益は損なわれ続け、教会の支配は永劫に続く。
 王キサイアスが、豊穣なるヤブロの教区を狙って法令を発したのは知っていた。だが、その顛末が結局どうなったのか、迂闊な私は今日に到るまで情報を聞き漏らしていた。
 それはリップも一緒らしい。「最近、身内が忙しくってぼんやりしてたなあ」と呟き、ヤナギに説明を求める。
「あの愉快な王様が半年前に法改正して、『領内の全ての土地から発生する利潤は天地に何らの例外なく、全てが課税の対象となる』てな条文を載せたのは知ってるだろ? 勿論ヤブロの坊さんも聖庁も笑って無視してたわけなんだが。
 んで二ヶ月前、キサイアスはカステルヴィッツで一種の臨時議会を開いた。等数の貴族・僧侶・平民で構成され、その議決法は一人一票による多数決。つまりまあ『国民の総意を反映した妥当な議会』の開催ってワケだ。
 そこでヤブロの課税問題が議題に掛けられた。勿論僧侶は反対。だが貴族と平民のほとんどは賛成し、結果は『課税すべし』と出た。
 あの王様が今回ヤブロ大司教の逮捕の根拠としたのはそれだ。議会での決定に聖職者も従うべきだとし、今回はそれを行動で示したわけだな」
 ふっ、と最後に一吹き吹きかけると、ヤナギはパイプを置いた。
「キサイアスってのは、確かに馬鹿じゃねえな。よく考えられた手だ。教会を神聖かつ不可侵なる特別な存在からただ一つの政治要素に引きずり下ろそうとしてる。しかも、平民達の宗教的良心を刺激することなく」
 リップは、しばらくヤナギの横顔を見ていたが、やがて表情を変えることなく、口だけを動かして言った。
「あの男は残虐な権力者だ」
「当たり前さ。誰があの男が優しいなんて言った? 奴は自分の願望の為に最も合理的な手段を採っているだけだ。聖庁の坊主どもと同種の連中さぁ。
 ――だが、市議会は割れるよ。あれを自分達の仲間だと勘違いする俗人どもはいるだろう。いや、確かに奴らにとってみりゃ、キサイアスは仲間なのかもな。
 あいつらがしたいのは支配だもの。楽園の創造じゃあない。長らく坊さん方が握っていたこの世の舵を、自分が握ってみたいのさ。
 だからこれから起こるのは、富と力を間に挟んでのお馴染みの喧嘩でしかないねえ。中には、本気で妥当な世界の到来を願っている人間もいるだろうが……」
 ヤナギは虚無的な表情を浮かべると、口を噤んだ。そして私とリップが眺める前で、黙々と刻んだ煙草を詰め始めた。





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