コントラコスモス -37-
ContraCosmos


「――!!」
 きつい酸が鼻腔を焼いた。刺激されて涙腺が爆発する。
 吐き気が盛り上がるが、実際には吐けなかった。嘔吐(えず)いた上体が痙攣したに過ぎなかった。
 金属性だ。水。とにかく水で一度洗――
 私の手よりも先に少女の手が水差しをつかんで下げた。少女の目が爛々と光っていた。
「飲み込んでよ」
「…………」
 酸にのたうつ口の中に無数の水泡が膨らみつつあった。それは舌の上から天井、そして喉の入り口まで、辛い水を蓄えて悲鳴を上げていた。
「飲み込んでよ!!」
 少女が割れた。忍耐に忍耐を続けた果てに亀裂から生じた憎悪が牙を剥いて鬼の形相になった。
「あたしが先だったのよ! あたしが先だったのよ! あんたさえいなければあたしが! ああああたしが愛されたのに!!
 飲み込んでよ! 飲み込んでよ! あたしの前から消えてなくなれ!!
 あんたなんか薄汚い毒屋のくせに!! 裏切り者で人殺しの毒屋のくせに!! 死ね――――ッ!!」
 水差しが飛んできた。
 避け損ねて肩に浴びた。陶器は下へ落ちて割れた。
 一緒に何もかもが割れた。
涙が零れた。
 ああなんて。なんてまずい林檎だ。
そして『林檎』の馬鹿。もっとましな毒をもっておいで。
 これでは死なない。爛れるだけだ。
もっとも爛れた部位が炎症なんかになれば別だが。
 しかし苦しい。肺にまで何か悪い空気が入ったらしい。喘ぐたびに水泡が潰れる。不快な汁が口に広がる。
 眩暈がした。カウンタの中で突っ伏した。林……、エヴァは暴れまわっている。どこかで見た紙切れをずたずたに破り裂いていた。
 そうか。彼女はさっき下に降りたとき、あれを見たのか。旅先から届いたマヒトの手紙。持っていく荷物に紛れていたから。普段は奥底に、隠してあったのに。
 ごめん。
ごめん林檎。
 お前の言うとおりだ。
 私なんか生まれてこなければよかった。
 私がいなければきっとこの世はもっと幸せだ。
 マヒトはクレバナに行ったろう。
 リップは一生自堕落に過ごせたろう。
 お前はこんなふうに怒らずに済んだ。
 コーノス。カイウス。クレス。誰も皆、馬鹿げた苦労をしないで済んだのに。
 今更ひっそりと街を抜けるなんて……。どこからか笑いがこみ上げた。ああ、それすら虫のよすぎる話だったか。
 死ぬべきだったか。
でも林檎、今は、私がいないとこの街は――。
 まだ気の済まない林檎がカウンタに入ってきて私の身体を突き飛ばした。バランスを崩したところをさらに突かれた。鋭い力だった。
 床へ落ちた。頭を打った。林檎の手の側に薬缶がある。あ。さすがにそれはやめてくれ。と朦朧とする意識で私は思った。
 だが、止める術も資格もない。降っても仕方ないと目を閉じたその時。
 扉が破れる音と一緒に、
「――何をしてる!!」
 リップの大きな声が、店中に響いた。





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