コントラコスモス -39-
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聖庁の門をくぐったキサイアスは、伊達な羽根飾りのついた帽子を取った。下からは灰色がかった短い巻き毛が現れる。わざとらしく豪華な天蓋を打ち仰いだりしながら、機嫌よく歩を進めた。 それに立ち向かうように、廊下の先から二十ばかりの僧侶の集団が現れる。先頭に立つのは壮年の枢機卿だ。 彼等は共に進軍した挙句、まるで絵巻のように廊下の半ばで対峙した。後ろに控える僧侶達の剥き出しの敵意を背に受けながら、両手を前で合わせた枢機卿が静かに、だが威厳を込めてキサイアスに尋ねる。 「北ヴァンタス公。これは聖庁にどのようなご用でしょうか? 今日はこの街の守護聖人聖テオドラの昇天祭に当たります。このような祝日に、前触れも無く軍勢を率いて来られるとは些か不躾ではございますまいか。 また、公は現在破門中の身であられるはず。一体誰の許しを得て、この聖域にお入りになりましたか」 キサイアスは体躯を曲げて慇懃に一礼した。背後の部下達は壁のごとく不動だったが。 「これはご丁寧なご対応、痛み入ります。聖人の祭りの日であったとは田舎者にて存じ上げませんで、お赦し下さい。本日は教皇猊下と親交を暖めるべく、可愛い部下どもと共に参上いたしました」 枢機卿の額に皺が寄る。 「親交を暖めると?」 「はい。このような上天気にこのような大きな建物の内部に閉じこもっていらっしゃるのは猊下のご健康によろしゅうございません。ご一緒に遠乗り(ピクニック)でも如何かと存じましてね」 「……たわけたことを! そのような冗談を仰るために、わざわざいらしたのですか。不埒千万な! 大体、猊下が破門の罪びとと共に遊ばれるなどということが起こり得るはずが無い。猊下はあなたにご立腹です。そんなこともご存じないのですか」 「――――」 その時、年齢を分からなくさせるキサイアスの黒い、きらきら光る目が、不意に色を変え、冷酷さを露わにした。 「はい枢機卿。無論これは冗談ではありません」 じわ、と王の背後で甲冑が動く気配が、僧侶達を緊張させ中へ寄す。知らず息を呑む枢機卿の前で、キサイアスは依然、笑っていた。 「教皇猊下は世の中にただ一人。崇高な方だ。崇高な神の使命を帯びた方だ。高貴なるご身分の。 そんな方が、こんな能天気で馬鹿でかい建物の中に閉じこもって周囲を堕落した坊主に囲まれ、神そっちのけで現世の陰謀や政治争いに関与なさるというのは、為にならないのですよ。 私はそれを、金輪際やめて頂くために来ました」 「ば、罰当たりな、何を言うのか!!」 僧侶の集団の中から怨嗟の声が飛ぶ。がちゃん、と武具の擦れ合う音一つ。静寂は回復した。 キサイアスは眉を上げ、そろそろ彼の本性を勘付いた枢機卿の青い顔を楽しそうに眺める。 「猊下にお伝えください? そう邪険にするものじゃない。あなたの望みが何であれ、あなたが私を蛇蠍のごとくお嫌いでも、私はあなたを『ピクニック』に連れて行く。その上しばらくは一緒に暮らすのですから、あまり私をお嫌いになると辛いだけですよ。 さて、今から二時間のご猶予を差し上げましょう。その間にお荷物を整えなさい。無駄に騒いでらっしゃると、うっかり大切なものを置いていく羽目になりますよ。 ……今までは単なる飾りだったかもしれませんが、これより後は聖書や十字架なんかが、結構心の慰めになるはずです」 「――あ、あなたは……!!」 遂にはっきりとした意図を悟り、枢機卿は驚駭した。当たり前だ。誰がこんなことを思いつくだろう。 破門されること自体、双世にわたり死刑宣告を受けるようなものなのに、その上聖都コルタに兵士を突き入れるのみならず―――畏れ多くも教皇を拉し去ろうと言うのだ、この男は! 聖ヨシュアの直系の後継者。この世界の太陽であり、唯一無二の尊い存在である教皇を!! まるで卑しいマラガ人か何かのように……!! この世のロゴスで無いかのような無理無体だった。捩れを受け入れられず、枢機卿は吠える。 「神の怒りを恐れよ!! そのような無法はまかり通らぬ!! 通るわけが無い!! 考えることすら人の子に赦されるものではないのだ!!」 「『神の怒り』」 人型をした、悪夢か罪そのものの男(僧侶達にはそう見えた)は、一語を呟いた後、馬鹿高く豪華に造られた『宮殿』の天井を見上げ、それから枢機卿の手に連なる指輪を皮肉な眼差しで眺めた。 「『神の怒り』ねえ」 今一度言い、両手を広げ、冷笑する。 「知りませんな」 その頃には王の背後の兵士達は左右に展開し、教皇庁の玄関を完全に塞いでいた。修辞を蹴散らす力と恐怖の波が空気を圧し、汗となって僧侶たちの皮膚に張り付く。 「呪われよ、この悪徳の申し子め……!」 悔しげな潰れ声で誰かが言った。兵士達が王を透かして歩み出る。その手には抜き身の長剣がめいめい握られていた。 長い衣の坊主達はたじろぎ、後退した。歯を剥き、何とかそれに抗おうとするが、身につきたたる痛みの想像に足は竦み、逆らうことが出来ない。 普段は殉教者は笑って死んだと、得意げに説教をしていた彼らだったのだが。 それを見たキサイアスはにっこり笑って右手を挙げ、よく通る王者の声を聖庁の天井へ響かせた。 「そうそう。そのように素直になさい。意地を張ることはないんですよ。あなた方の正体については、全世界がもうようく知ってるのだから。 あなた方はどこまでも、堕落に忠実で役立たずで神の面汚しな子羊でいなさい。思う存分混乱し、突付き合い、メーメー泣くがよろしい!」 彼の細められた瞳の中に、枢機卿の憎悪に煮えた表情が映った。それを燃え立つ力で跳ね返しながらこの現世の王は笑い続けていた。 いかなる神の罰もその身に振りかかる予兆はなく、寧ろ審判を懼れて秘密を抱え慄いていたのは、司祭達のほうだった。 |