コントラコスモス -40-
ContraCosmos



「もうやめろ、カイウス。そいつは何も知らんぞ」
 駄馬を打つように不運な家主を叩きのめす男に、うんざりして騎士は言った。叩きのめすことが悪いのではない。どうせ許可が出れば狩場になる場所だ。
 だが男のやり方はあからさまに狂的で、味方にあっても唾棄を見るように不愉快だった。二十ばかりの部下達も、みな辟易した顔をしている。
 毒物師の工房は全てが日常のままだった。だが肝心の当人は消えうせている。いつ出て行ったのか特定出来なければ、街の内部に潜んでいるのか既に脱出した後なのか判断がつかない。
 だがその動きを確かに知る者はいなかった。毒物師は明らかに彼等の来襲を勘付き、前々から備えていたのである。
 カイウスがいきり立つのはそのためだった。彼は完全に裏をかいたと思い込んで、悠々と毒物師を拉致しにきたのである。そこにカラッポの工房では、仕事上がりに年増を宛がわれたようなものだ。その失望にどのような態度をとるかは人格次第だが。
「ジジイをいじめるより、他の手を探すがいい。俺達は別段構わんが、チヒロとかいうその女が見つからない時は、貴様の首が危ないぞ」
「やかましい、百も承知だ!」
 カイウスはようやくぐったりした家主の身体を離した。地面に倒れたそれに、妻が泣き喚きながら取りすがる。通りは無人で、周囲の住人達は固唾を飲んで各々、鎧を下ろした窓の後ろへ隠れていた。
「一応捕虜にした近衛兵にその女が出入りしなかったかどうか聴取させるが」
 騎士は腰に手を当て、冷めた口調で言う。
「望み薄だな。門番をしてた連中はあらかた潰しちまったし、俺がその女なら、そんな正規のルートを通って誰かに記憶されるような真似はせん」
「じゃあどうしろというんだ!」
 青ざめ、逆上したカイウスは相手構わずだった。無論騎士は無関心の色を強めただけだ。
「大概にしろ、それを考えるのは貴様だろ? 陛下は貴様の言うことを容れて俺達を出した。結果が出なければ困るのは貴様だ。
 とりあえず出せるだけ捜索に回す。その間に頭を冷やして、少しはまともな知恵を出すんだな」
 カイウスの額に血筋が浮き出していた。空想の中で消えた女を睨みつけてでもいるのだろう。手がぴくりと動く。睨んでいるだけじゃないらしい。
 この男は騎士より一回り年上のはずだ。全体まともではない。命令でさえなければ、誰がこんな犬の面倒を見るものか。
 しかし現在、毒物師チヒロに直接会い、且つ正常を疑うほどの執念を抱いている人間はこの男の他いない。王キサイアスはその狂気ゆえに男の言うことを信じた。うまく手繰って獲物を狩り出させることを望んでいる。
 どんなご大層な女なのだか……。騎士は今一度カイウスの歪んだ横顔をちらりと見、それから手袋を振ると部下を街に散開させた。




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