コントラコスモス -40-
ContraCosmos


 非常警鐘の乱打からコルタは静寂の街になった。
 もはや聖堂の鐘は時を知らせない。教会が時を動かすことはない。太陽がどれほど高度を上げても、街は見捨てられた地のように依然静まり返っていた。
 数時間が過ぎた頃、兵士が街を洗い始めた。そわそわと様子を伺っていた住民達が家に逃げ帰り、それを取り調べようとする強制に物音と悲鳴が上がる。
「手向かいするな! 手向かいさえしなければ危害は加えん! 薬師の女をひとり探している! 見覚えはないか! 隠し立てすると為にならんぞ!」
 騎士の甲冑に身を包んだ男達はそう怒鳴るが、それはやる方の言い分であって簡単には受け手へ通じない。住民達は恐怖し、逃げ出そうとし、それが疑惑を煽って結局は剣を抜いて牽制しながらの捜査となった。
 私は闇から闇へ、路地から路地へと逃げた。体力が底を突いて脈がいい加減にしろと飛びまくっていた。だが兵士達は同時に数箇所でそれぞれに、火や混乱を起こさないで整然と探し回っている。
 さすがに蒼騎士隊は命令をよく聞く。それが忠誠心によるものなのか、罰の苛酷さに比例しているのか定かではないが。
 内務で得た知識と感覚とを総動員し、引きつる喉を抱えながらとにかく必死で走った。足首がガタガタだった。自分の今いる位置も見失いがちだった。
 しかしこの街には恒星がある。全てを抜いて最も背の高い建物。街の丁度中央に厳然と聳える大聖堂がある。
 街のどこからでも見えるその屋根が、唯一私に大よその場所を教えてくれた。大道と川に近寄るのは危険に思われた。だがその付近の地区が最もごちゃごちゃしていて身を潜めやすい。皮肉だ。
 追い立てる音から逃げに逃げて、私はようやく見覚えのある場所へ戻ってきた。ヤナギの医師の家の付近、一件の面積が狭い故に住居が縦に向かって伸び、危なげなほどひょろ長い建物が煩雑に立て込んだ日当たりの悪い地区である。
 私は出来る限り奥の奥まで入り、ともかく休憩を入れることにした。光が届かないために冷え込んだ古い壁に背を置き、人同士がすれ違うことも出来ないほど狭い通路の対面を見つめる。
 完全に息があがっていた。一息を吸うごとにもう一息をねだられた。まるで陸に上がった魚だ。
 ままよ、と膝を折り、座り込む。ここぞとばかり右回りの眩暈がぐるぐると視界を揺らした。片手をついて前のめりになると、髪の毛の間から汗がぽたぽたと石畳へ落ちていく。
 さすがに楽ではない。畜生と悪態をつきたい位である。普通のときでさえこれほど走り回っては負担だろう、今は普通でさえない。
 一体今は正確に何時なのだろう。あとどれ程逃げ回れば終わるのだろう。
 皆は無事だろうか。マヒトや、リップや、花屋や、林檎、ヤナギ、コーノス。確かめる術もない。
 遣り果せているだろうか? 
 キサイアスは聖庁で一体……。
 いや、考えるのはよせ。取り乱すな。冷静さだけは失ってはならない。感情に捕らわれたらそれがそのまま縛めの瞬間だ。
 その時、路地の彼方から細く、女の悲鳴が聞こえてきた。追手かと私は反射的に立ち上がろうとし、だが果たせずに、よろりと壁に手をついた、
「――?」
 その間に、私は奇妙だと思った。先の声には騒音が付随していない。ベクトルもどことなく遠い。騎士たちとの小競り合いで聞いてきた類と違っていた。
 考えあぐねていると、全く同じ悲鳴がまた上がった。この間隔も変だった。まるで流星群に歓声を上げているかのようだ……。
 私はゆっくりと歩き出した。足の指が痛い。まめでも出来ているのだろう。
 その後も一定の間を置いて続く悲鳴は、住居の玄関が集う小広場から流れてきていた。私は明るいところへ出ないまま、そっと場の様子をうかがう。
 小広場には付近の住民らが五、六人、寄り添うように集まっていた。全員が奇妙に背筋正しく棒立ちになって、その視線は街の中央――大聖堂の方へ釘付けになっている。
 私のいる場所からはよく見えなかった。私は路地を引き返し、丁度彼等の後ろへ出るように通路を変えて再び小広場へ戻った。
 一際寂しいため息のような悲鳴が上がったとき、私は掌大に見える大聖堂の胴と屋根の境から、何かがぼろりと落ちるのを目の当たりにした。




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