コントラコスモス -41-
ContraCosmos


 聖庁の敷地へ足を踏み入れた頃には、空はますます黒雲を増して、今にも雫が垂れそうだった。おそらくまだ正午を過ぎたばかりのはずだが、夕刻のような薄暗さがコルタ全体を覆っている。
 大聖堂と「宮殿」の間に積み重なった三十四の遺体は、残された聖職者達によって移動させられ、一体ごとに布を掛けられて聖堂内部に安置されていた。既に半分ほどが家族の手によって回収済みだ。
「残りは、まだこのことを知らないか、或いはご家族の方も……。川向こうは殊に被害が激しかったらしいのです」
 コーノスの身体を探し当てるのはそれほど苦でもなかった。血糊で固くなった髪の毛の下、顔を確認し、そのままではとても運べないので、側の神父に手伝ってもらって遺体用の麻袋に入れる。それを右肩に担ぎ上げ、大聖堂を出た。
 重たく、麻の荒さが首を刺した。痩せた男だったが、死ねば違う。死んだ身体は皆ずっしりと重いのだ。
 リップは西区の墓地に向け、大道を一人歩いた。家族がもうコルタにいないことは聞いていた。勝手に埋葬していい縁でもないが、この男を誰も迎えに行かないのは嫌だと思った。それにこの有様を、奥方やあの一番末の娘に見せるのは出来ない。
 大道を歩くと、街はまるで大怪我をした獣のようだった。随所に傷口は開き、横たわり、うめいている。
 あの地獄のような争乱の中で、リップは武器を取り、花屋を守り抜いた。助けを求める人間を手当たり次第に助けた。けれども、死んだものはそれより多い。
 ぽつり、と遺体の袋に空から雨が落ちた。同時にやってられない、と思った。
 殺すのはいかにも容易く、守るのは恐ろしく難い。
たった一人のために五人を受け、その背後で十人を失う。或いはたった二人の安堵と引き換えにする、二十人の悲しみ。
 こんな算術はやりきれない。リップはコーノスに呼びかけた。雫は数を増して降り注いだ。
 濡れた上着の上で、麻袋は大人しくしていなかった。歩くごとに重心がずれて、リップはよろめかざるを得なかった。
 普段なら何でもない荷物だったかもしれない。だがリップはもう、振り絞る力が残っていないのを感じた。
 雨が目と目の間を流れて行く。追いつかれそうだった。
 どうあっても御しきれず忘れられず理性を消されそうなほどの感情の固まりに、捕まりそうだった。
 水は遺体に染み込んで、ますます荷を重くした。
 バランスを崩した麻袋が遂にリップの肩からずり落ちそうになったその時――、どこからか現れた手が四本、彼と共にそれを支えた。
「…………?」
 リップは最初、通りすがりの人間が助けてくれたのかと考えた。だが、どことなく現実味のない人間達だった。
 こいつら、コーノス、の――……
「お手伝いします、リフェンスタイン中尉」
「…………」
 ありきたりな街の人間の姿をしていた。だが、その所作には隙がなく、生活感に乏しくて全体に特徴がない。今のように俯いていれば、どこの誰とも分からぬ男達だ。
 リップは何も言わなかった。そのまま三人で遺体を担ぎ、大道を過ぎた。
 墓地に着くと、彼らは手際よく土掘りの道具まで見つけてきた。雨に緩んだ黒土を無言で掘り起こし、袋のままコーノスを埋めた。雫が地下へ染み込んで行った。
「ご家族には我々で連絡します」
 隣でそう呟いた男を、リップは横目で見た。
「で、あんたらはコーノスの部下か」
「はい。サイメイと申します。これはブリスクです」
「何、名乗ってんの」
 薄気味悪くなった。内務の人間が名をばらすなんて裏がないわけがない。
「中尉は信頼に足る方とお伺いしておりますので」
 リップは髪の毛をかき回しながら、
「俺はもう軍役じゃないし、旦那とも知り合いだっただけ――っておい」
 言っている間に二人ともが跪いていた。思わず言葉を切ったリップに、彼らは一礼する。
「中尉。我々に今後の行動の指示をお与えください」
「……しっかりしろよ、お前ら。お前らの上司はコーノスで、それがいなくなったなら内務に復帰すべきだろう。教皇こそいなくなったが、聖庁はまだ機能してるはずだ」
「我々は元来正規の抱えではないのです。卿に私的に雇われていただけの人間であり、故に聖庁への忠誠心は最初からありません」
 頭痛がしてきた。
 リップは右の眉を押さえつつ、続ける。
「……それで何で俺に今後を問いに来る」
「コーノス卿は、もし自分に何かあって行動に困るようなことになればあなたを頼れ、と」
「おーい」
 思わず土饅頭を振り向いた。
「あなた自身がどのような身分にあろうと、あなたは卿の精神的な後継者にあたると」
「……いい加減にしろ。確かにコーノスの旦那に世話にはなったが、俺はあの男の他人を利用するところは嫌いだった。同類だといわれるのは心外だし、お前達に指図するつもりもない」
「……では、今後あなたがどうなさるのか、それだけ、お教えください」
 話にならない。この人間達はリップの命令を聞くといいながら、彼の意思はまるで尊重しないのだ。何らか聞けば勝手に動くに違いない。リップは疲労してきた。
「お前らは馬鹿か? そんな一方的な話で俺を困惑させてどうする気だ? もう雇い主がいないなら、未来は自分達で決めろ。国に帰るなり、別の主人を見つけるなりすればいいだろうが」
「――では」
 今までずっと黙っていた、ブリスクという男がひどく低い声で言った。
「よろしいのですね、全て解散させても。
 現在三人の仲間が王都カステルヴィッツに潜伏しています。いくつかの有効な情報網を持ち、卿が飼っていた『草』との繋がりも未だ維持したままです。必要なら、王宮にも侵入出来るでしょう。それらの網を解き、仲間達を解散させても――」
 ブリスクは顔を上げた。隼の眼差しだった。
「よろしいのですね」
 瞳の中に瞳が対し、沈黙があった。リップの背後を雲が滑っていく。
「お前らは」
 苦々しい声が降った。
「確かにコーノスの部下だな」
「誇りをもって肯んじます」
 部下は一礼する。
「何が誇りだ。分かってるのか? もし俺が考えてることに関わったりしたら、間違いなくお前達全員が死ぬんだぞ」
 手ごたえはなかった。二人の男は訓練された兵士のように、顔を伏せ沈黙したままだった。
 リップの表情が変わる。身体に震えが走り、次にそれを堪えるかのように、手で額を覆った。
「それともそうか―――お前らは」
 薄暗い墓地の風が、二日を闘い抜いた男の身体を撫でて行く。
「死に場所が欲しいのか」
 やはり返事はなかった。ただブリスクはその頭を、今一度下げたに過ぎなかった。






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