コントラコスモス -43-
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「――チヒロ……!」 「レジナルド・クレス?」 主人の「誰?」という訝しげな眉に、騎士キタイは説明を付け加えた。 「バスラ伯の末娘の婿です。外務部の補佐次官で地味な男ですが、官吏養成課程に在籍していた頃、毒物師チヒロと『かなり深い交流』があったとのことです」 「つくづく淫奔な女だなあ。まあ毒物師に道徳を説いても始まらんか?」
「――大丈夫ですか、随分やつれて……。
食事が喉を通っていない感じですよ……。」 歌うように言いながら、王は綿のシャツに裸の腕を通した。そして寝台から立ち上がると、反対側で背中を見せて座っている女に「行っていいよ」と声を掛ける。 女は奇妙な無気力さでシーツを纏い、幽霊のように隣室へ流れて行った。 「まあ会わせてみろ。それほど効果があるとも思えんが、使えるなら手駒が増えるに越したことはない」 「はい。しかし、なかなか粘りますな、あの女。もう一週間になりますか。教皇よりも手堅い……」 二日前、聖庁の枢機卿会議が新教皇選出の手続きに入ったと聞いた途端に軟化した男と比べ、騎士キタイは思わず苦笑した。王も軽蔑を隠さない。 「俺の誇り高い財産をあんなジジイと比べるなよ。毒物師でも六年も外にいりゃ仏心が付く。外堀が厚い分陥落に時間がかかるのは当然だ」
「――気持ちは分かりますが、せめて林檎だけでも お食べなさい。後は下げさせますから。 ……騎士殿、失礼ですが、これを片付けて下さい」 「だが心臓には毒を打ち込んである。あの坊主を餌にすれば必ず釣れる、ゆっくり待つことだ。何しろここは、聖職者と添い遂げられる地上に唯一の国だからな。どれほど良心を耕し善人ぶっても、一度目覚めた女の性は消せんさ。あれも、あれと――」 と、王は女の消えて行った扉を顎で示した。 「所詮は同じ魚(うお)だ」
「――チヒロ、もう少しだけ辛抱してくれ。 君が自由になれるよう出来る限り努力してみる。 君の仲間にも連絡を取ってみるから。 とにかく命を大事に。必ず何とかする」 「この間は随分迫真の演技をなさったとか?」 「入用なら台詞を呉れてやるぞ。実に面白かった。何しろ長いこと女を口説いてないからな。手練手管を考えるのも一々娯楽だ」 「かなり効いたようです。その後、食事をほとんど摂っていません。もうそれほど長くは保たないと思われますが」 「そうだな。賭けでもするか」 王は笑いながら、冷えた目元で念を押す。 「坊主の体調にも一応気をつけろ。今死なれては不都合だからな。あれに関して聖庁側に動きはないか?」 「今のところ皆無です」 「なるほど教会というのは人情のある職場だな」 扉の前で一旦足を止めたキサイアスの横から、回り込むように前に出た騎士がそれを開ける。肯いて王は、凄まじい量の衣服で溢れる一室の中へと消えた。 |