コントラコスモス -43-
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――ここでは日々全てが洪水のように押し寄せて過ぎていく。情報も、金も、人命も流行も栄華も陰謀も……。 誰しもがそれに洗われて知らず無感覚になる。宮廷の女達(彼の妻もそうだ)は毎日噂話とお菓子に明け暮れているけれど、本当はもう飽きている。だからこそ手応えを得られず二十年でもそうして過ごすのだ。 クレスは自分もとっくにそうなったものと覚えていた。今更誰かが自由を剥奪されたくらいで、我が保身を忘れて取り乱すことがあろうとは思いもかけなかった。 だが、騎士を誤魔化して何とか手紙を渡し廊下に逃れた時、ため息と共に、彼は先にそれを先に書いておいてよかったとつくづく思った。 自分は無力であり、愚かであり、確かに毒物師チヒロは危険な人間だ。舌がもつれて言葉数が変に多くなったのは心が揺れていた証拠である。 彼女は昔から孤高の人間だった。誰の命令にも従わぬ野生の獣のように黙して立っていた。その瞳の中の星空は彼女の内面を映し出して瞬いていたのだ。 だからこそクレスは、檻にいれられ、虐げられたチヒロを目にした瞬間、思いも寄らぬ欲望に息が止まった。 それは、負傷した見事な鷹を手に入れるのに似ている。それを前にして尚放とう考えるには、強い精神力を必要とする ―――凡人には難しい。 あんな彼女を前にとても小知恵は回らなかったろう。 未だに毒を嗅がされたような気持ちだった。面会時間が短くて幸いだった。 騎士の手前難しい顔を装いながら、クレスは目に焼きついた彼女の姿を何とか薄めようと額を押さえる。 そして無反応を貫いたチヒロの手元には林檎と、注意深く折りたたまれた一枚の紙片が残される。 緊張が過ぎ、一種呆然たる精神状態で、彼女は自然と食べ物を口に運び、そして紙を開いた。 甘い果実は彼女の命を繋ぎ、手紙はその心を繋いだ。 陥落は近いと見る王と側近、突き動かされて慄く文官、そして我欲との葛藤に疲弊しきった一人の毒屋。 誰も知らないことだったがこの時、暁は実に目前だったのである。 |