『コーノス……』
 数時間前、その短い走り書きの末尾までを読んで、最初に漏れた音はそれだった。
 次に紙の上に水が落ちる音が続いた。
『……あ……』
 染みが広がるのを見て初めて自分が泣いていることに気が付いた。
『……あ……』
 まだ足りなかった。まだ不足だった。涙が出たというのに、それでも補いきれぬものがこの世にあるのか。
 私は父母を持たぬ人間だった。だから知らなかったのだ。自分が身代わりになった方がましだと思うほどの深い、果ての無い、許容出来ぬほどの喪失があるということを。
 私はああああああ、と叫んだ。潰れた喉で叫んだ。肯んじられぬことのために、野獣のように吠えた。


(外務の権限を使って君のご友人たちの動きも調べています。力の限り保護・支援させてもらいます。
それにしても……)



 石の壁を叩いた。両の拳で思い切り。痛みが跳ね返る。それでも納得には足らなかった。


(コーノス卿の死は私にとっても痛恨事でした。心中お察し申し上げます。 ――R.C.)


 押さえつけたまま握り締めた爪が削れる音がする。それでも尚足りない。全く足りない!
 私は崩れ落ち、額を床にこすりつけながら、自分の禍々しい呼吸の音を聞いた。
『――』



 十日。その死も知らず、最期も知らず、与えられた恩情をただ災いでしか返すことが出来なかった。
 髪に触れた手。肩を抱いた腕。あずけられた体重。皮肉と甘さがない交ぜになった無数の言葉。無限の誠実。
 そんなものが与えられる理由や価値は、この私のどこにもなかったのに。
『……コー……』



 コーノスが死んだ……。
 私は初めて親に値するものの死を知った。
 それは今まで開いたことの無い世界の扉を破り、どっとばかり風を運んできた。
 コーノスが死んだ。コーノスが死んだのに、お前は一体こんなところでいつ迄も、何をしているのか。




 血の吹きすさぶ心の奥底で、その時、一つの目が瞼を開いたのが分かった。
 そして私は、王キサイアスが撒いたこの長い粘りつく悪夢から、ようやくにして醒めたのである。






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