コントラコスモス -44-
ContraCosmos


 霧の渡る早朝、男達は上着に露を纏わせて薄暗い地下室へ戻ってきた。狭い室内には粗末なテーブルが一つ。小さい燭台の周囲に地図や紙が散らばっている。
 残っていた五名は、空になった木箱を椅子代わりに夜通しそこで議論していたはずだが、二人が戻ってくるや疲労のそぶりもなく、食いつく猫のような目を一斉に彼らに向けた。
「首尾は」
 すっかりお馴染みになったブリスクの低音に、リップはあっさりと返答した。
「上々だ。そちらは」
「問題ありません。あとは全て、あなたのご希望次第というところです。……毒師チヒロは何と言いましたか」
 リップは自らを取り巻く雰囲気がざらつくのを感じる。いずれも故人コーノスを恃むところ大であったこの遺臣達は、生前主から何らの説明も無く、ともすると今回の不幸の元凶とも見える女毒物師に対して複雑な思いを抱いているのである。
 それは、リップがまず彼女に会ってその希望を確かめたい。自分の希望は彼女の希望をかなえてやることだと言ったとき、一層高じたようだった。尚「命令」である故に彼らは全ての情報をリップに渡したが、その表情には未だ斑な不信が張り付いている。
 不安げなボレアを背中に、あえて気付かぬように無造作な表情を保ったまま、リップは壁に背をつけ、顎を引いた。
「その望むところをはっきり聞いてきたよ」
「聞きましょう」
 人望のあるブリスクの声に、他の部下達も従う。リップは静かに、チヒロが言ったことを彼らに伝えた。





「――なるほど」
 沈黙を破ったのはトネリという別の部下だった。怜悧で手先が器用な男である。細い指を顎に這わせ、平坦な口調で呟いた。
「確かにその方は、妥当な方のようだ」
「ブリスク」
 リップは、腕を組んだまま無言でいた彼を呼んだ。男は暗いけれど、まっすぐな鳶色の目を向けてきた。
「納得いったか」
 目と目がぶつかる。そして、彼は肯いた。
「はい」
「――よろしい。ではそちらの首尾を聞こう」
 低い物音が地下室を満たす。机の中央へ体と注意を戻す僅かな間に、男達はめいめい、コーノスの最期に対する割り切れなさを思い切った。
「決行日は明日の深夜にて変更ありません。我々は西棟に軟禁中の教皇奪還を目指す『聖イヴァン十字隊』の突入の混乱に乗じて目的を遂げるものです。
 部隊は三つに分かれます。
第一隊は当日も十字隊の連中と一緒に行動します。翻意などが起こらぬようオマルとアリトー、ラインが最後までこれの監視と操作を行います。尚、アリトーは現在も信仰者として十字隊と同宿しています。
 第二隊は中尉とブリスク、それに、ボレア少尉の協力を得て行動します。十字隊の決起の混乱に紛れて僧侶マヒトを奪回し、毒物師チヒロの居室窓から外堀へ脱出します。地下一階から三階までの移動がどうしても手間になりますが、城の構造をご存知の当のお二方が他の脱出路を思考するより確実と判断なさっておりますので、お願いします。
 外堀には第三隊の用意した舟が浮かんでいます。全員を確保次第脱出します。外堀から地下水道への柵は当日第三隊があらかじめ破壊しておきます。私サイメイと、トネリがこれを行います」
「いい舟は手に入ったか?」
「何とか。ボブリンスキ公女の資金援助のお陰様で」
「様々だな」
「ええ。十字隊の情報を下さったのもあちらですから」
「よし……」
と、言ったのは若いオマルだ。小さな、けれど望みのこもった一声だった。
 その横顔は「やっと闘える」と語っているのだ。信頼していた指揮者を突然に失い、仲間達と共にその混乱と虚無に耐えてきた人間の、安堵にも似た呟きだった。
「感謝します、中尉。私の望みを遂げさせて頂いて。これでようやく混迷の日々を抜け出せます」
 側で聞いていたボレア少尉は、リップが傷つきそうな台詞だと思ってひやっとした。だが彼は平静な顔をしたまま、何も答えなかった。
 解散が告げられ、ボレアは夜が明ける前に兵舎へ帰らねばならなかった。
 階段を昇ると埃と家具が積み上げられた廃屋の一階へ出る。中から鍵をかけるためにリップが着いて来た。
 彼はやっぱり無言だった。それも悩んでいるという様子ではなく、謂わば無感覚になってしまったような感じなのである。
「迷ってるんですか?」
 ボレアは説明もなしにいきなり尋ねた。三日ばかり、夜が来るたび共に行動したことが彼等の絆を深くしている。
「迷ってはいないよ。ただ……、これは一体何だろうな」
「え?」
「俺の望みで大勢人が死ぬんだ。だのにこれしかないと思ってる。全体、何だろうな、これ」
 うっすらとした笑みが、リップの唇に滲んだ。それを見た瞬間、ボレアは、自分は最後までこの男の指示に従うだろうと稲妻のように思った。
「……先輩。怒らないから教えてください」
「何だよ」
 いい加減外が明るくなり始めている。廃屋の汚れたガラスから差し込む淡い光が、ぼんやりと舞い散る埃に床までの線を為していた。
「ひょっとしてあの人のことを愛してらっしゃいますか」
 屈み込むようにして、奥のほうで音も無くリップは笑った。そしてばんばん、と手でボレアの肩を叩くと、扉を開けて追い出した。
 縁は先着順じゃないんだぜと言いながら。




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