コントラコスモス -44-
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剣を抜き槍を構え、足の悪いマヒトを連れて走る王宮は騒いでいた。警鐘の続く中を、稀に現われる兵士達が西へ西へと走って行く。 アンジェリナ公女から多量の援助を受けた些か狂信的な原理集団『聖イヴァン十字隊』は派手に暴れている様子で、西側からは度々大きなくぐもった音が届いた。 「一体何があんな音を立ててるんだ!?」 柱の影を棄て、走り出しながらブリスクに尋ねると、 「火薬を詰めて作った丸い球みたいなものです。火をつけると爆発して八方に散るそうで! やはり帝國産の武器ですよ!」 「世の中どんどんやりきれなくなるな!」 「同感です!」 東端の階段搭に飛び込み、螺旋階段を上へ上へと昇る。やはりマヒトの足が問題だったが、その巨躯を抱え上げるわけにもいかない。 「もう少しです、お気を確かに!」 階段だけに、出会った運の悪い兵士は斬り捨てた。先頭にリップ、中央にマヒトと彼を支えるブリスク、後ろはボレアが守っていた。 リップは再三、後輩に 「いいところで抜けろよ!」 と怒鳴ったが、ボレアは返事だけして一向離れようとしない。 遂に三階の扉へ辿り着く。蹴破ってここから先は平坦な廊下を行かざるを得ない。一気に駆け抜けたいところだが、当のマヒトがこれではどこかで面倒と接触するだろう。 予想はついていた。だが、さすがのリップもまさか出てすぐのところに随分な面倒が待ち受けているとは思いも寄らなかった。 「なに、あんた……」 廊下の真ん中に立つカイウスの、そのボロボロになった惨めな野犬のような姿を見て、立ち止まったリップは素で唖然とした。 「まだ生きてたの」 「……!!」 マヒトが体を固くする。当然の反応だろう。他の二人にも相手が何やらまともではないということは伝わったらしい。どうすべきかと、言葉に出さぬままリップの決定を待っていた。 「……先に行け、ここは俺が引き受ける。ボレア、先導を」 「はい!」 赤毛の青年が、リップの槍の後ろを東へすり抜ける。それにブリスクとマヒトも続こうとした。と、その時坊主が言う。 「リップ、出来れば殺さないでやってくれ!」 男は呆れたなりで振り向いて、 「えー?」 と、とっても不平な顔をした。 「お前、未だに言うか、それを」 「だって、その人は……」 ぜえぜえと上がった息の下で苦しそうにマヒトは言う。 「一時とは言え、ミノスの親だった人だ……」 「……あのな」 「確かに間違えたんだ。だが彼は愛するものを信じられずに閉じ込めて殺してしまう、心の弱い人間なんだ。救いが必要なんだ。分かるだろう、リップ……」 「…………」 思うに、この男の天寿を全うさせるのは難事業である。 「……行け」 誰よりもブリスクがその命令に忠実だった。のっぽの坊主は何かまだ言いたそうだったが、足場に動かされて進んで行った。 マヒトに執着するかと見られたカイウスだが、意外にもそれを見過ごす。それよりも自らにひしひしと寄せられる悪意をリップは妙だと思った。 「まあいいや、やろうよ『お父さん』。続きをずっとやりたいと思ってたんだ」 「……よくも……」 カイウスは、擦り切れた声で喘いだ。今までになく小さい声だったので、リップは槍を構えながらも耳を凝らす。 「……よくも貴様、俺のチヒロと……!」 「――はい?」 聞き返す彼の問を踏み潰すかのように、カイウスは足を鳴らした。 「とぼけるな!! お前はあの女と通じただろう!! あれがそう認めたんだ! 殺してやる!」 「――――」 間があった。 だが次の瞬間、短剣を構えるカイウスを震わせるような、ひどい哄笑が湧き起こった。笑っているのはリップ一人だったが、彼にはまるで全世界が笑っているかのように思われた。 「何がおかしい!!」 カイウスは眩暈を覚えながらも必死に吠えた。今一人の犬は、まだ体を揺らしながら「だって傑作だよ」と額を拭う。 「そんな馬鹿な……。あんたはねえ、はめられたんだよ! あの女に、まんまとな!!」 「な……?!」 「あはははは、しかし信じるかね。いやあすごい、老いらくの恋ってのはすごいわ! あんたもしかし、そんな手に引っかかるなんざ、つくづくヤキが回ったもんだ!」 「かッ……!!」 ようやく、事態を理解したカイウスは、反射的にマヒトを追おうと走った。リップの体が風のように動いてその行く手を塞ぐ。 回りこむように白い線が迫り、カイウスはすんでのところで避けた。そこを突かれる。さらに突かれる。 「ぐっ……!」 心身をかき回されたカイウスの足はもつれ、うまく動かなかった。リップはようやく五分の力で戦っているだけだ。目が憐憫に細まるのを感じた。 死に体だ。様々な意味でもう、実に。 力ない小娘ゆえにチヒロに目をつけ、騙し、蹂躙し、思いのままに操った。その一瞬だけがこの男にとっての蜜月だったのだろう。その後はただひたすら、失われたものを追い続けて身も蓋もなかった。 この男は犬。だが俺も犬。 同じように女に迷い、踏み外し、同じ様に目が見えぬ。誰かに手を引いてもらわねばならない。 俺は『運が』よかった。この男は運が悪かった。無論それだけでは全てを説明できない。だが。 「はッ!」 「!!」 リップは廊下の一方へ追い詰めたカイウスの顔めがけて突きを放った。薄皮一枚を傷つけてそれは彼の背後、並ぶ窓を叩き割る。 派手な音がして、ばらばらと破片が男にかかった。 「立て!!」 足元を叩き、躍らせる。そうやって攻めても攻めてもやり切れぬばかりだ。リップは彼を追う数瞬の内に、どうしようもなく、辟易した。 「さよなら!」 男の短剣を弾き飛ばすと、す、と前に出、カイウスの襟首を掴んだ。引きずりまわし、先の階段へと突き戻した。 くぐもった叫びを反響させながら、カイウスの体が螺旋階段を落ちて行く。どこかで止まるだろう。当のマヒトが殺すなというのでは仕方が無い。 にしてもつい喧しく立ち回ってしまった。そろそろキサイアスが何かに気付いてもおかしくない。 リップは身を翻し、ミノスのいる『客間』へ向かった。 |