私が馬鹿なのは生まれた時から承知のことだ。
だが思えばバルトロメオ・リフェンスタインという男は、
多量の恵みをまとって産まれて来たけれど、
その後は、実に失いつづけてばかりの人間なのだ。
彼の周囲の妥当で大切な人たちは死んでいく。
その誠意故に死んでいく。
彼は誠意故に止められない。
自分を資する他人たちは主体的に見れば
当人の財産でもあるのだから、要は彼は、
自ら守る術を知らない男なのだ。
幾ら強くてもそれでは仕方がない。
内輪から出る火に応することが出来ないから。
幾ら優れていてもそういう人間は脆い。
最も尊いものを犠牲にする仕組みだから。
彼はそのことを知っている。
自らの腕力が馬鹿げて何の役にも立たないことを知っている。
けろりとした顔して絶望していた男がそれでも行くというのなら、
彼は
どうしてもあの人達を、失いたくないのだろう。
私としても、全然彼を失いたくはないが、
(もしそんなことが出来たとして)
彼を見えたり見えなかったりする鎖で幾重にも縛り、
強引に私の希望に服従させたとしたら
……私はあの弱い者いじめの兵士達と同じ人間になってしまう。
勿論彼は痛い顔ひとつしないだろう。
けれど後悔という黴がその魂を侵しつくして
どちらにせよ 私が愛した男は私の手に入らない。
なら 去るがいいのだ。
彼の心は鳥のように羽根を持ち自由なのだから
身体もそうしてやればいい。
無論 私の心も自由だから、
泣いたり悔やんだり怒ったり張り裂けたりするだろう。
それが生きるということだろう。
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